EURO史上最高ランクの決勝戦 名勝負が続いた2008年、スペイン黄金時代が始まった

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2024年06月13日 17:20  webスポルティーバ

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愛しのユーロ(4)〜2008年

 6月14日(現地時間)、ドイツ対スコットランドで幕を開けるEURO2024(欧州選手権)。4年に一度のEUROでは、これまでの各大会に、日本のサッカーファンをも惹きつける人気の代表チームがあった。1992年のオランダ、2000年のフランス......そして2008年はスペインに注目が集まった――。

※                  ※                   ※

 ポルトガルで開催されたEURO2004は、旅情をかき立てられるいい大会だったが、オーストリアとスイスで共催されたEURO2008も負けず劣らずいい印象の残る大会で、なんと言っても好試合が多かった。

 オーストリア、スイスといえば、欧州のサッカーどころとは言えない。日本から足を伸ばす機会は、サッカー絡みではそう多くないだろう。ただ、ある時期、ウインタースポーツの取材現場にせっせと足を運んでいた筆者には、土地勘があった。

 たとえば、スペインが初戦をロシアと戦ったインスブルックなどは、スキージャンプのW杯取材で何度か訪れていた。ジャンプ週間と言われる、年末から年始にかけてドイツ、オーストリア両国で行なわれる伝統ある4連戦の3戦目の舞台となるのがインスブルックで、開催日は毎年1月4日と決まっている。

 だから、あたり一帯の冬景色には見慣れていた。しかし、緑眩しい初夏の景色を見るのは初めてだった。牧歌的な山間の都市に、サッカー観戦のためにロシア、スペイン両国のサポーターが3万人もやってきた。これもビジュアル的に新鮮だった。

 当時、ロシア人といえば大金持ちの代名詞だった。サポーターというより、半分スポンサーのような上客と言うべきだろう。しかし、現場でそれ以上に目を奪われたのがスペイン人サポーターだった。

 EUROの現場にいると、各国の代表チームを応援する熱量がそれほど高くないことに気づく。ドイツ、オランダ、イングランドあたりはともかく、フランス、イタリア、スペインになると、物足りなさを覚える。数は少なく、声も小さい。だが、インスブルックにやってきたスペイン人は、珍しく気合いが入っていた。

【母国オランダを破ったヒディンクの独演会】

 スペインはEURO2004でグリープリーグ敗退。2006年ドイツW杯でもベスト16に終わっていた。反撃のきっかけはバルセロナだった。2005−06シーズン、14シーズンぶりに欧州一に輝いたことで、代表チームの編成も、レアル・マドリード主体からバルサ主体に変化した。長らく主将を務めたラウル・ゴンサレスが外れ、シャビ・エルナンデスがその役に就いたことが代表のバルサ化を象徴していた。

「カタルーニャ人が代表チームに関心を抱くようになったことが大きい。国中がひとつになって代表チームを応援する喜びを、スペイン人が初めて知った大会だった」と、後にあるスペイン人記者は語っていた。

 スペインは決勝でドイツを1−0で破り、1964年大会以来44年ぶりの優勝を飾った。

 自慢は中盤だった。先述のシャビに加え、アンドレス・イニエスタ、セスク・ファブレガス、ダビド・シルバなどの名前がパッと出てくるだろうが、筆者のお気に入りは、ビジャレアルでプレーしていたブラジル系選手、マルコス・セナだった。他のスペイン人MFとは少しばかりリズムが異なる独特のボール運びが、目に優しく飛び込んできたのだった。

 EURO2008でスペインが苦戦した試合は、延長、PK戦に及んだ準々決勝のイタリア戦と、続く準決勝のロシア戦だった。ロシアは初戦でスペインに1−4で敗れたが、3戦目から出場停止中だったアンドレイ・アルシャビンが復帰すると、チーム力は急上昇。準々決勝で優勝候補の筆頭と目されていたオランダを撃破した。

 見ものだったのは、延長戦でオランダを3−1で下した試合後の記者会見だった。

 ロシア代表監督はフース・ヒディンク。言わずと知れたオランダ人監督だ。1998年フランスW杯でオランダ代表を、2002年日韓共催W杯で韓国代表を、ベスト4に導いた名将である。つまりヒディンクは母国を敵に回して戦い、番狂わせを起こしたのだ。

 会見場に集まったオランダ人記者の質問に答えるヒディンクはまさに得意の絶頂といった感じで、饒舌だった。

「今日の試合は左サイドバックのジョバンニ・ファン・ブロンクホルストを止めることがカギだと考え、右にウイングのスペシャリストであるイバン・サエンコを張らせたんだ。この勝利はその作戦が的中した結果だ」

【敗れたドイツも好勝負を見せた】

 うるさ型のオランダ人記者を押し黙らせる独演ぶりは、日本人ライターの目にはこの上なく痛快に映った。監督たるものはこうでなくてはいけない。その理想型をヒディンクに見た気がした。

 一方のオランダ代表監督、マルコ・ファン・バステンは哀れに見えて仕方なかった。バロンドールを3回受賞したスーパースターは、結局、指導者としては大成せずに終わった。名選手ではなかったヒディンクと対比すると、サッカー監督の本質はおのずと浮かび上がる。

 決勝でスペインに敗れたドイツも好印象を与えた。ユルゲン・クリンスマンが率いた2006年ドイツW杯を機に攻撃的に転じたドイツは、ヨアヒム・レーヴ監督で臨んだこの大会ではその傾向がさらに加速。よい芳香を漂わせながらの準優勝だった。優勝したスペインとともに、明るい未来を抱かせたものだ。

 決勝は自分のなかでサッカーのあるべき姿を見るような一戦だった。舞台はウィーンのエルンスト・ハッペル。名物はその脇にそびえる大観覧車で、映画『第三の男』の舞台として知られる。筆者にとってはアヤックスとミランが対戦した1994−95シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)決勝以来、13年ぶりの訪問だった。

 ちなみにロシアに敗れたオランダは、EURO2008のグループリーグの3試合をベルンで戦っている。ドイツ国境にほど近いスイスの首都。オランダからも近い距離にある。

 スタジアムの定員は3万人。それに対してベルンを訪れたオランダ人は、平日にもかかわらず10万人を数えた。入場可能な人数はせいぜい2万人。8万人は観戦できないことになる。だがオレンジ色に身を包んだ彼らはスタジアムまで行進。そして引き返してくると、市庁舎前の広場に集結。そこに設置された大スクリーンで試合の模様を観戦した。

 彼らを市庁舎前広場に迎え入れたベルン市側のホスピタリティにも感心するが、観戦チケットもないのに8万人もの人が現地まで行くオランダ人に、それ以上に感心させられる。オランダサポーターはドイツを通過しなければベルンに辿り着かないので、ドイツ国内の高速道路は大渋滞だったという。

 EURO2008の会場で特筆すべきスタジアムは、スイス・バーゼルの街中にあるサンクト・ヤコブ・パークだ。ミュンヘンのアリアンツ・アレーナを彷彿とさせる外観にも目を奪われるが、高齢者用の福祉施設併設型というコンセプトにはそれ以上に驚かされた。

 どちらかといえば田舎にあるものと相場が決まっている老人ホームや高齢者用住宅を、町の真ん中にあるスタジアムの内部に取り入れてしまう。日本では絶対に湧かない発想である。東京では近々、国立競技場が民営化されるとのことだが、世界に誇れるアイデアを詰め込んでほしいものである。

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