日経エンタ!元編集長に聞く、伝説のヒットメーカー吉田敬「強い信念で人を動かす稀有な存在だった」

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2024年06月14日 13:00  リアルサウンド

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黒岩利之『「桜」の追憶 伝説のA&R 吉田敬・伝』(blueprint)


 the brilliant green、平井堅、CHEMISTRY、コブクロ、絢香。90年代から2000年代にかけて、日本を代表するJ-POPアーティストのミリオンヒットを連発。いちからその才能を見出し、数多くのアーティストをトップまで成長させた、稀代の音楽プロデューサーであり伝説のA&Rとして音楽業界にその名を知られる存在、それが吉田敬(よしだ・たかし)である。


  2010年10月7日に48歳という若さでこの世を去ってしまったが、彼が関わった数々の名曲は色褪せることなく、現在でもJ-POPシーンに燦然と輝き続けている。


  吉田敬とはどんな人物だったのか。吉田のもとで数々の仕事をこなし、A&Rとしての姿を近くで見てきたのが黒岩利之氏である。黒岩氏が当時の音楽関係者やアーティストに取材をし、数々の証言から一時代を築いたミュージックマン・吉田敬に迫るノンフィクション『「桜」の追憶 伝説のA&R 吉田敬・伝』(blueprint)が刊行されている。この度、著書である黒岩氏と、雑誌『日経エンタテインメント!』の編集長として吉田氏と親交のあった吉岡広統氏による対談を実施。吉田氏が音楽業界に起こした数々の伝説や仕事術などを語り合っていただいた。


■『日経エンタ!』に行け!という大号令


ーーまずはお二人の関係を教えてください。


黒岩:吉岡さんと知り合ったのは、僕がソニー・ミュージックに勤めている時ですね。吉田敬さん(以下敬さん)の元でプロモーター(アーティストのメディアプロモーションや広報活動を担当する業務)として、ほぼ飛び込みのように『日経エンタテインメント!』(以下日経エンタ!)の編集部に伺った時に出会いました。敬さんは当時、雑誌やテレビやラジオにどれだけ多くアーティストの記事を掲載できるか、みたいなことをすごくこだわっていたんです。


 だから当時は紙媒体だけではなくテレビもラジオも担当していたので、もうかなり多忙の時期でした(笑)。中でも敬さんからは『日経エンタ!』の企画について、直接指示されることが多々あったのを覚えています。


吉岡:確かいきなり新人のアーティストでの依頼でしたよね。


黒岩:そうでした(笑)。最初から新人のデビュー記事を見開きのインタビューでつくっていただいて。他の紙媒体ではまず実現しなかったことなので、もう驚きました。それから敬さんは『日経エンタ!』に対してより注目するようになっていった。会社内でも「攻めれば、掲載してくれるんだ」っていうような雰囲気で。それからは、何かやりたいことがあったら「日経エンタ!に行け!」っていう指令が出ていました。


■ヒットする裏側には理由がある

ーー吉岡さんは吉田さんや黒岩さんのことはどう見られていたのですか。


吉岡:『日経エンタ!』が創刊された1990年代後半当時、世間的には「アーティストに力があれば売れていく」みたいな感じがあったと思うんです。でもヒットする裏側には、ちゃんと理由があって『日経エンタ!』はその舞台裏に注目してきた雑誌だった。だから、吉田さんがアーティストを数々ヒットさせていく仕掛けは、僕らとしてもずっと興味を持っていたんですね。吉田さんに直接取材して、記事にする。そして吉田さんはヒットの仕掛けを語りつつ、メディアを使ってさらにヒットにつなげていく。その後一般的になった手法ですが、当時は斬新でメディアミックスの先駆者だと思います。


黒岩:まさにそうですよね。


吉岡:音楽誌だったら多くのカラーページを割いて掲載するようなインタビューでも『日経エンタ!』の場合は、モノクロ1ページで載せることもある。(レコード会社にとって)効率は決していい雑誌じゃないんですけど、業界の裏側を書いていたので、メディア業界の方がすごく読んでいたんです。テレビ局の人たちが読むので、キャスティングのときに「そういえば日経エンタ!に載ってたね」みたいな後押しにもなっていました。『オリコン』ランキングの上位に入れ込めれば、それを『日経エンタ!』がヒット現象として取り上げる。すると、朝のワイドショーなどが取り上げて、そこから歌番組につながって、みたいな。



黒岩:リンクしていましたよね。我々も仕掛けをするときには、まずは『日経エンタ!』にアプローチをかけていました。ただ月刊誌なので、当然入稿のタイミングがある。発売される頃には古いネタになっていることもあるわけです。けど敬さんの仕掛けは、ヒット直前に仕込むので、雑誌が出る頃にちょうど盛り上がっている。だから雑誌も売れていく。まるで予言者のようでした。当時『日経エンタ!』とはWin Winの関係ってよく言われていましたよね。


吉岡:音楽に限らずかつてのエンタテインメントビジネスって、だいたいはじめにドーンと仕掛けて、一気に(売り上げを)回収していくっていうモデルだったじゃないですか。当然すごくリスクがあって、ヒットしなかったときは、ものすごい赤字にもなりうる。ただ、ミリオンヒットになれば、多くの利益を生むことができる。だから宣伝費に何億使ったのってぐらいの、すごい仕掛けもありましたよね。


黒岩:敬さんがやろうって言って、青写真を僕らに見せていたときには、もう吉岡さんへの仕込みが始まっているっていうこともありましたよ(笑)。ネタバラシをしながら、ネタを仕込んでいるみたいな。そういう意味では『日経エンタ!』とは特別な関係みたいな感じはすごくありました。


吉岡:『日経エンタ!』はビジネスや経済情報を扱っている日経グループの雑誌である以上、記者はジャーナリストとしてある程度、取材先と相対(あいたい)するところがあるんです。だからとても緊張感があって、勝負があり、一期一会がある。でも、エンタテインメント誌として、取材先と同じ方向を向いて、一緒にヒットを創っていくというところもあって、その面白さもあるんです。「日経」にあっては異端なのかもしれませんが、創刊から編集長までの17年間、「日経エンタ!からヒットを創りたい」という思いはずっとどこかにありました。


■今でも影響を与え続ける吉田敬のプロモーション戦略

ーー『「桜」の追憶 伝説のA&R 吉田敬・伝』でもさまざまにヒットの仕掛けが書かれていますよね。


黒岩:吉岡さんのお話を聞いていて、『日経エンタ!』で当時やっていたことに、今でもプロモーションをする際の原体験があるというか、インスパイアされている部分がかなりあったと改めて感じます。


吉岡:レコード会社の仕事で一番大事なことはヒット曲をつくることですよね。ビジネス的には売り上げと利益をどう作るかという話になりがちですけども、それは結果の話で、重要なのはヒット曲をいかにつくるか。吉田さんが活躍されている頃からそのヒット曲のつくり方がちょっとずつ変わっていったと思います。昔は制作の人がキーマンのイメージがありました。


黒岩:「ハウスディレクター」って言われるスタジオの現場を仕切るディレクターがヒット仕掛け人として主導する時期がありましたよね。


吉岡:そう。それがだんだんといい楽曲をどう伝えていくかが重要になってきた。ミリオンにするならば相当の仕掛けがないといけない。だからプロモーションの人たちが力を持ってきたのではないでしょうか。プロモーションや宣伝を担当する皆さんはなんて呼ばれていましたっけ?


黒岩:ソニー・ミュージックでは営業部で各営業マンに施策などを発信する役割の人たちが「販推」と呼ばれ、一方メディアに向かって発信する宣伝マンのこと「販促」って呼んでいた時期がありましたね。ほかのレーベルは宣伝部とかプロモーション部とかっていう名前だったんですけど。


吉岡:吉田さんも、もともと販促ですよね。プロモーションや販促の人たちがリーダーになって、アーティストをどう売っていくかを考え始めて、次第に海外のように「A&R(アーティスト&レパートリーズ)」と呼ばれるようになっていった。吉田さんは、その移行期をつくっていった人なのかなっていう気はしますね。


■制作スタッフへの3つの禁止事項

黒岩:敬さんはよくディレクターなどの制作のスタッフに「スタジオに行くな」「キャンペーンに行くな」「フェスに行くな」って、3つの禁止事項を言っていました。


吉岡:ええ、なんで!?


黒岩:当時の制作では。外注プロデューサーを立てることが多かったんです。だからレコード会社のディレクターがやることって、それ以外の数字の管理や雑務しかなくて。その音をどう届けるかっていうことを考えることがA&Rだ、っていうのが敬さんの根底にあった。敬さんは曲を多くの人に届けることを常に考えていたんです。だから、ディレクターにはスタジオには行かずにPRを考えろって言いたかったっていうのが「スタジオに行くな」の理由だと思います。

 「キャンペーンに行くな」は、地方のツアーやフェスでは、現地のプロモーターがちゃんとコーディネートしてくれることが多いので、マネージャーとアーティスト本人さえ行けば問題ない。


吉岡:なるほど。


黒岩:突き詰めて考えればフェスにレコード会社の人間が行くことで、直接的なヒットにはつながらないと思うんです。もちろんブッキングは大事ですしどういうステージでどういう風に見せるか演出を考えることも大事だから、ライブでのクリエイティブの部分をチェックしたりすることが大事だというのは制作側としても当然あると思うんですけど。ただそれは敬さんの目には、遊びに行っているとしか映らなかった。


  でもみんなどうしても行きたいこともあるから3つの禁じ手をかいくぐって、現場に行っていたこともあるんですけれどね(笑)。

 多分敬さんの真意は、ルーティンのように現場に行ってぼんやり時間を過ごすんだったら「メディアに売り込みに行け」という教えだったんだと思います。制作部はみんな嘆いていましたけど。でも、敬さんっぽいエピソードだと僕は思います。


■「これは売れる」という強い信念を感じた

ーー吉岡さんは吉田さんとのエピソードで何か覚えていることはありますか。


吉岡:吉田さんは自分の信念というか「思いの強さ」が相当ありましたよね。ある意味思い込みを大事にされていたのかなと思います。「これは売れる」っていう思い込みがないと周囲を説得できないし、ロジカルに説明していても結局最後に人を動かせるかは、どれだけの思いがそこに乗ってるかっていうことが重要になってくる。吉田さんは、キーパーソンをしっかりおさえるっていうところは、きちっとされていましたけど、自分に本当に正直じゃないと、これだけ人を巻き込んで動かせない。これだけの実績は作れなかったのではと思います。


黒岩:敬さんからの提案やプレゼンのときも、そうした思いの強さは感じていましたか?


吉岡:僕らもその提案されたものが正直ヒットするかどうかって、わからないわけですよ。すると誰がやっているか、どれだけ思いが乗っているのか、っていうところで判断していく。吉田さんからストーリーを聞いて、その流れの中で僕らも「じゃあ、このタイミングで取材入れますか」って動かされるような感じはありましたよね。


黒岩:そうですね。敬さんは中長期的なビジョンも含めて明確な意図がありました。


ーー吉岡さんも吉田さんとは、同じビジョンを共有しやすかったということですね。


吉岡:一人のミリオンアーティストを育てられたとしても、これだけ多くのアーティストでミリオンヒットを達成することは本当に難しい。吉田さんは稀有な存在でした。だからこそ、僕らは吉田さんの仕掛けに注視していたわけです。


ーー黒岩さんはそんな吉田さんの軌跡を『「桜」の追憶 伝説のA&R 吉田敬・伝』として本に纏めました。改めて現在はどのような心境ですか?


黒岩:そうですね。ようやく吉田敬という学校の卒論を提出できたっていう感じでがあります。今は敬さんから学ばせてもらったものをどうアウトプットしていくのかという思いです。今は、アーティストが所属する音楽事務所を運営しながら、メジャー、インディーを問わず色々なレーベルやアーティストの宣伝業務に関してサポートしたりアドバイスを行うコンサルティング業務を行っているんですけれども、最近だとインディーズで配信した曲がいきなりある日突然TikTokでバズって大当たりみたいなこともある中で、じゃあメジャーレーベルの意義って何? っていう時代に突入している。だから僕は、メジャーとインディーレーベルとの間を行き来しながら、何かできることを日々模索しています。


(左)黒岩利之(くろいわ・としゆき)
ソニーミュージック、ワーナーミュージックジャパンの宣伝畑を歩み、老舗音楽事務所スマイルカンパニーの代表を務めた後、独立。2022年に合同会社デフムーンを設立。宣伝コンサルタント業を営みながら、新人アーティストの発掘・プロデュースを行っている。


(右)吉岡広統(よしおか・ひろずみ)
月刊誌『日経エンタテインメント!』(日経BP)の創刊メンバーで元編集長。1997年から2013年までの約17年間、同誌にて、主に音楽業界を担当。現在は東京ゲームショウなどのイベント事業に携わる。


【書籍情報】
タイトル:『「桜」の追憶 伝説のA&R 吉田敬・伝』
著者:黒岩利之
価格:3,300円(税込価格/本体3,000円)
出版社:株式会社blueprint
判型/頁数:四六判ソフトカバー/320頁
ISBN:978-4-909852-48-9
Amazon、blueprint book store他、各書店にて発売中です。
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https://www.amazon.co.jp/dp/4909852484


blueprint book store
https://blueprintbookstore.com/items/6597c5b1ff050416c381f125


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