『Re:リベンジ』最終話 「赤楚衛二の新境地を見せる」という目的と、設定における恵まれなさ

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2024年06月21日 16:01  日刊サイゾー

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 ポップでキュートな赤楚衛二くんが闇堕ち&ドクズ芝居に挑んだ意欲作『Re:リベンジ-欲望の果てに-』(フジテレビ系)も最終回を迎えました。

 本格サスペンス風のルックを作り上げ、そこに赤楚くんを放り込んで「見たことのない赤楚」を引き出すという目的は果たしたのではないでしょうか。とにかく赤楚くんは挑戦したし、全力でがんばったからね。

 振り返りましょう。

■もとより設定が恵まれてない

 以前にも書きましたが、この『Re:リベンジ』というドラマは大友先生(錦戸亮)の物語でした。幼少期に母親を医療過誤で亡くし、その復讐のために大病院に潜り込む。必死で勉強して医師免許も取ったし、心臓血管外科医として実績を積んできた。実力で、この位置まで来た人物です。

 一方で赤楚くん演じる海斗は大病院の家に生まれたのに、ろくに勉強しないで医学部を中退。二十歳を超えても反抗期が終わらず、父親に変な誤解を抱いたまま週刊誌に就職。その父親の葬式で頭をパカーンと殴られたのち、会長であるお爺ちゃん・皇一郎(笹野高史)のコネで病院の理事になるという、絵に描いたようなボンボン人生です。

 しかも、大友先生が天堂に来た目的をミステリーとして後半まで残していたことで、ボンボン理事長・海斗を“有能な人”として描けなくなってしまった。海斗が有能だと、途中で大友先生を追い詰めて謎を明かしてしまうので、必然的にどんどんバカになっていかなければならなかった。海斗がバカになっていけばいくほど、相対的に大友先生がミステリアスで魅力的な人物に映っていく。

 もとより、今回の赤楚くんの役柄は設定に恵まれていなかったわけです。ブチ切れたり、絶望したり慟哭したり、悩んだり恋したり、そういう赤楚くんをたくさん見られるという、ファンにとっては眼福なアイドルドラマとして歓迎される作品だったと思う一方で、その赤楚くんの慟哭やブチ切れに、設定として共感できない。赤楚くんがいくら怒っても泣いても「おまえが招いたことやろ」「そもそもおまえが理事長の器ちゃうんじゃ」という気持ちになってしまう。脇を大御所で固めて、対抗馬に錦戸亮を用意して、作り手側としてはけっこう万全な体制だったのかもしれませんが、シナリオのほうで足を引っ張っちゃってた感じですね。逆に言えば、赤楚くんという俳優にドラマの軸である“復讐”を背負わせるほどの信頼感がなかったということでもある。

 でも、がんばってたと思う。赤楚くん。

■完全に食われたけどな

 がんばってたから、ドラマが成功というわけではありません。

 いろんな赤楚くんを見せたいという目的自体は果たされていると思いますが、その「いろんな」の引き出しが少なかった。おおまかに、3つくらいしか表情がないんです、赤楚くん。

 結果、赤楚くんの芝居を引き出すために配置された大御所たちの実力を、まざまざと見せつけられることになりました。

 第3話では、余貴美子の激情が見られました。笹野高史に揚げ春巻きで唇を凌辱されたかと思ったら、逆ギレした息子に掌底連打からのマウントポジション。もう食っちまうんじゃないかという形相で息子に馬乗りになったシーンは、このドラマのひとつのハイライトでした。

 笹野高史はずっとすごかったけど、最終回は特にでしたね。大友先生にベッドに拘束されてジタバタしたり、失脚することが確定してニヘラニヘラ笑ってるかと思ったら、つい体育座りになっちゃったり、威厳と奇人を行き来するダイナミックなお芝居で作品の“格”を確実にひとつ、上げていたと思います。

 今の赤楚くんに、余貴美子や笹野高史レベルの芝居を求めるのは酷というものですし、あそこまでを望まれているわけでもないでしょうけれど、自身の臨界点というか、お芝居として現在の天井を叩けたのかなという疑問はあるんですよね。

 第8話、元部下・木下(見上愛)が自分のことを好きな気持ちを利用して、スキャンダルをもみ消そうとするキスシーン。このドラマにおける海斗にとってのターニングポイントだったわけですが、なんか普通のラブシーンみたいだったもんな。演出部のオーダーも含め、あそこでグチャっといけてたらもっとリアルな感情を表現できてたかもしれないと思うんです。

 でも、それだと本来の「ファン向けのアイドルドラマ」という目的からは離れちゃうか。難しいもんですな。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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