臓(すい)がんのため、5月27日に亡くなった漫才師今くるよさんの追悼番組が23日、BSよしもとで放送。「今いくよ・くるよ」がブレークするきっかけとなった漫才が放送された。
「どやさ漫才、永遠(とわ)に…」と題した特番は、9、16日放送の「たくさんの“どやさ!”をありがとう」前後編に続く、追悼特番第3弾。高校時代の写真も公開され、1980年8月からの「花王名人劇場」での漫才場面がふんだんに放送された。
いくよさんが、ぽっちゃりしたくるよさんにつっこみ、くるよさんがおなかを「ポン」とたたく。くるよさんは、いくよさんの濃いめメークと分厚いつけまつげをやゆする。いくよさんが、くるよさんを評して「夏の火鉢、誰も手え出さん」などとつっこんでいく。
互いをとことん、いじり合うものの、決して他人を悪く言わない「いくよ・くるよ漫才」だった。
番組では、漫才場面のほか、木村祐一が監督を務め、芸人の素顔に肉薄したドキュメンタリー映画「ワレワレハワラワレタイ」(17年公開)から、いくよさん、くるよさんをインタビューした映像も放送された。
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いくよさんが女優オーディションと間違えて審査へ臨み、食い下がって、くるよさんを呼び、ネタを演じたものの「秋も深まったなあ」「何メートルぐらい?」だけで終了。いったん帰されて、それでも−と、夫婦漫才の「島田洋之介・今喜多代」に弟子入りした。
いくよさんは「(若い女性でも)夫婦漫才なら安心」と考えたものの、くるよさんは、師匠から「絶対、女の子は務まらん」と言われたことを明かしていた。
当時、老舗同士のライバル会社だった松竹には女性コンビもいたが、吉本興業には夫婦漫才はいても、女性コンビはいなかった。仕事はほぼなく、7年目ぐらいで引退勧告を受けたものの、高校ソフトボール部の同級生コンビは持ち前の負けん気で継続。10年目で漫才ブームにのった。
漫才師としての歴史は、女性コンビのパイオニアとして奮戦してきた歴史でもあるが、いくよさんも、くるよさんも豪快に笑い飛ばして、話を進めていく。
このインタビューは12年8月に撮影されたものだったが、いくよさん、くるよさんはそろって「まだまだ若手にまじって、同じで」と意気込みも語っていた。
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また、最後に「生まれ変わっても、あなたは芸人になりますか?」と木村から聞かれ、いくよさんは「普通でええわ。普通の女の子に戻りたい」。くるよさんも「そやな、ほんで孫もつくってもうてな」。
いくよさんは「別に結婚してないことに後悔してないけども、女としてのそれも作りたいな」とも吐露。ただし、仲良しで知られた2人だけに、生まれ変わっても友人でいたい願望は強く、くるよさんは「心安い(主婦の)グループあるやろ、そういうの」と話していた。
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