高知東生59歳、逮捕後の“自分の第二章”で再認識「やっぱりエンターテインメントでしか生きられない」

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2024年06月26日 09:11  日刊SPA!

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高知東生さん(59歳)
 1993年、28歳のときに芸能活動を開始した高知東生さん(59歳)。NHK大河ドラマ『元禄繚乱』、映画『新仁義なき戦い/謀殺』などに出演し、俳優として活躍するも、2016年に覚醒剤と大麻の所持容疑で逮捕され、懲役2年、執行猶予4年の判決を受けた。
 そこから自身と向き合い、依存症の当事者が体験を語り合って回復支援を行う自助グループに参加。現在、依存症の啓発や、依存症者が再起していく様子を表現するなどして「リカバリー・カルチャー」を広めている。そしてこの度、当事者のひとりとして主演を務めた映画『アディクトを待ちながら』が完成した。

「ぶっちゃけた話、オレたちはやっぱりエンターテインメントでしか生きられない」と再認識したという高知さん。そこには“今の”高知さんだからこその表現があった。

◆芸能界から手を差し伸べられることはなかった

――『アディクトを待ちながら』は高知さんの商業映画復帰作です。

高知東生(以下、高知):そのチャンスをもらえたことが、何よりもありがたいですね。しくじった自分に、芸能界が手を差し伸べてくれるかなと期待をしたこともあるけれど、正直な話、一件もなかった。引きこもっていた間は明日が見えないし、どうやって生きていいのか。収入もない。でもそれも仕方がないよね。

 ただ、執行猶予も切れて、だんだんと応援してくれる人の声も聞こえるようになったり、業界の人ともポツポツ関係が戻ってきたとしても、芸能界の仕事はない。こんなにコンプライアンスが厳しいなか、薬物という特に厳しいことに手を出してしまった人間に、再起ってのはないよなという気持ちもありました。

――今回の復帰は、もともと芸能界で関係があった方とのつながりではない、と。

高知:違います。僕が今日あるのは民間支援団体や、ナカムラサヤカ監督ふくめ、新しく出会った人たちのおかげ。しくじったあと、大切なのは、その人がどういったプロセスで生き直しているかだと思うけれど、頑張っているなかで、チャンスってなかなかない。

――本作には当事者の方々が多く出演され、リカバリー・カルチャーに光をあてています。

高知:回復し続けている先輩方が、すべてをさらけ出して敷いてくれたレールがあるから、オレたちはそこに乗っかることができる。だけど芸能界というのは、時が過ぎて、なかったもののように蓋をしてしまう。コンプライアンスが厳しくなって、考え方も昔と変わってきているよね。そこは受け入れるしかない。同時に、社会には批判する人ばかりじゃなくて、応援してくれる人もいっぱいいることも、自分は知りました。

――本編にも登場していましたが、「有名人、芸能人はすぐに復帰できる」と言われがちです。実際に感じたのは、有名人だからこその枷のほうですか?

高知:人に見られること、知られていることが仕事だったし、そのなかでやっちゃいけないことをやっちゃったからね。でもそこから自分なりにしっかりと頑張って、まい進しているのならば、そこにチャンスはあっていいんじゃないかと思うんです。だけど「なんで」と言うのは止めました。現実を受け止める。いま新たに、歌を歌ったり作詞をしてみたり、小説を書いたり。啓発モノだとしても芝居ができたりと、頑張り直している自分を見てくれる人がいて、監督とも出会って、こうして商業映画ができた。表現者としていろんな形ができています。

◆オレたちから始まる、表現者としてのパターン、受け皿を作ってあげたい

――商業映画に取り組んだことで、表現することの喜びを改めて感じましたか?

高知:逮捕されたあと、“自分の第二章”の仕事はなんでもいい、生きていくために働かなきゃという意識があった。でも振り返ると、オレたちはやっぱりエンターテインメントでしか生きられないというのは、ぶっちゃけた話として、再確認できました。

 ただ、全部をさらけ出して、理解してくれる人たちに包まれたうえでの、今日という日だから、そこをちゃんと理解する。そのうえで表現者として、リカバリー・カルチャーとして、いま声を出せていない、苦しんでいる人たちにも、新たにレールを敷いてあげたい。オレたちから始まる、表現者としてのパターン、受け皿を作ってあげたいなと思います。そういった使命感はあります。

――いまの高知さんだからこその表現だと。

高知:かもね。過去に蓋をするのではなく。小説にしてもエッセイにしても作詞にしても、役者の粋を超えて、いろんな表現がある。自分は役者しかできないと思っていたけれど、必要と思ってチャンスをくれる人たちがいる。あとは最善を尽くす。昔は完ぺき主義で苦しんでたんだけど、「完ぺきなんかいらねえや、その日、その時の最善を尽くして、つまずいたら次につなげよう」と。変な肩の力みが取れました。

◆自分らしく、自分を大事に生きる

――『アディクトを待ちながら』のクライマックスで、みんなが語る場面のセリフは台本に書かれたものではなく、キャスト自身の言葉であり、即興だそうですね。高知さんが最後に語るところもご自身の言葉なのですか?

高知:最後だけでなく、僕が出ているシーンは、台本にセリフなんてありませんでした。骨組みが書かれているだけ。監督が「芝居ではなく、いまあなたが生き直している、そのときに感じることを、そのまま話してください」と言って。最初は気合を入れて、それこそ完ぺきにやらなくちゃとセリフを考えて作ったりして、眠れなかったけど、「これはまた旧型のオレが出てる」と気づいた。それで「今の自分が感じていることをそのまま言語化しよう」と思ってやりました。最後の外での雨でのシーンも、自然とああいう言葉が生まれていました。

――2020年に出版した半生記『生き直す 私は一人ではない』では、特に終盤、多方面に謝っている印象が残りました。『アディクトを待ちながら』のラストでは、「謝るのはやめた。ありがとうと言いたい」と口にしています。高知さん自身の変化ですか?

高知:「ありがとう」という言葉に変わったのは、自分なりにすごい変化だと思います。世の中叩きまくる人が多いですけど……って、これはマスメディアのせいもあると思いますけどね。上げておいて、何かあると叩いて、ジ・エンドにする。その人には、その後の人生があって、向き合っていかなきゃならない。でも「頑張ってるね」というのは表さない。

――耳が痛いです。

高知:だから余計に、この作品の役割、メッセージはすごく意味があると思う。諦めるなと。お前誰だよというやつからの「もう終わり」という言葉に自分をはめない。目の前に見える人たちに謝って、そこから明日を向いて「ありがとう」に変えていくのはオレ次第なんだから。

――なるほど。

高知:自分らしく、自分を大事に生きるというのは、傲慢に生きるとかわがままに生きることじゃない。自分を大切にできなきゃ目の前に大切な人ができたときに、大切さを分かち合えないからね。いまは、この2〜3年前に、やっと大人になれた。成人式を迎えた気分かな。

<取材・文・撮影/望月ふみ>

【望月ふみ】
ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画周辺のインタビュー取材を軸に、テレビドラマや芝居など、エンタメ系の記事を雑誌やWEBに執筆している。親類縁者で唯一の映画好きとして育った突然変異。X(旧Twitter):@mochi_fumi

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  • 覚醒剤は「依存症」と一生向き合う訳で、安易に起用できないよね。「最初の一回をやらない大切さ」がよく分かる。
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