空前の「大ガールズバンド時代」が到来! 『ガールズバンドクライ』や『ぼっち・ざ・ろっく!』などバンドアニメはなぜこれほど人を惹き付けるのか?

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2024年07月31日 16:10  Fav-Log by ITmedia

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『ガールズバンドクライ』(出典:Amazon)

 皆さんは「大ガールズバンド時代」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? これはアニメ「BanG Dream! 3rd season」に登場する言葉ですが、X(旧Twitter)でトレンド入りするなど、ここ最近のアニメ業界の流行を表したものでもあります。

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 2022年放送の『ぼっち・ざ・ろっく!』は大ヒットを飛ばし社会現象化。2024年には劇場版が公開されるなど、未だに根強く支持されている作品です。2023年放送の『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』や2024年の春アニメ『ガールズバンドクライ』など、近年バンドアニメは高く評価されており、まさに大ガールズバンド時代の到来と言っても過言ではないような状況が生まれています。

 そこで今回はなぜこれほどまでにバンドアニメが現代人の心に刺さるのか、その理由をバンドアニメの特徴と時代性をクロスさせながら考えてみようと思います。

●大ガールズバンド時代の考察:ぼっちちゃん、燈、仁菜に共通するホーム(居場所)が無い問題

 現在訪れている大ガールズバンド時代は、2022年に空前のヒットを飛ばした『ぼっち・ざ・ろっく!』が起点になっていると言って良いと思われますが、ここで注目したいのが、近年のバンドアニメの特徴として、主人公が「孤独(ぼっち)」あるいは「居場所が無い」という状況に陥っている点です。

 「ぼざろ」のぼっちちゃんは名前の通りぼっちですし、「MyGO」の燈(ともり)は他人と異なる趣向を持っていることから心を閉ざし孤独になってしまった少女。「ガルクラ」の仁菜もいじめと親子関係の不和などを原因として、やり場のない気持ちを抱えている孤独な女の子です。「ガルクラ」のキャッチコピーにも「自分の居場所がどこかにあると信じているから。だから歌う」と書かれており「居場所の無さ」という問題意識が読み取れるかと思います。

 この居場所の無さは現代の若者の感覚と対応するところがあります。例えば、こども家庭庁による令和5年の調査を見ると、15歳以下の3割以上が家や学校以外に「居場所が無い」と回答しており、16歳以上になると「居場所が無い」の回答は半数近くに及びます。

 なぜこのような居場所の無さや孤独が生まれてしまったのか、その原因はさまざまで、核家族化の進行やコミュニティの崩壊、いじめ問題などいくつかの要素が複雑に絡み合っています。

 ただ大きな流れとして言えるのは「ぼざろ」の記事でも触れましたが、2010年代のぼっちブーム及び自己責任論ブーム、2020年代のコロナ・ショックによる外出自粛や黙食などにより、多くの人が孤独な状態に追いやられてしまったという点は関係しているでしょう。

 このように2020年代までに社会全体で「ぼっち」という悲劇をある程度共有していたからこそ、居場所の無さを扱った「ガルクラ」「ぼざろ」「MyGO」などの作品が現在共感を呼んでいるのだと推測されます。

●大ガールズバンド時代の考察:「居場所が無い問題」と同時に「コミュ障問題」を扱っている

 「居場所が無いなら、自分で作ればいいじゃないか」と考える人もいるかと思います。居場所を作れ(あるいは探せ)というのは正論なのですが、同時に「コミュ障問題」を抱えている場合は、そう簡単には解決できないという現実があります。

 例えば、ぼっちちゃんは押し入れの中でギターヒーローとして動画をアップし続ける毎日を送る一方で、現実では友達が1人もできないまま高校生になってしまったところがあります。

 押し入れの中で自分とばかり向き合ってきたことにより、自己愛と自己嫌悪でグルグル回り、自意識過剰な状態に陥っています。自意識過剰なのでちょっとしたことで傷ついてしまうし、同時に人と関わる訓練を積んでいないため、何から話せばいいのか分からないなど人間関係を構築する上での困難を抱えています。

 燈も自分の特殊な趣向によって周りにうまく適応できず、コミュニケーション機会を喪失したまま育ってきた背景があります。仁菜もバンドのメンバーから指摘される程のかなり自意識過剰のこじらせた人物で、人間関係を作るのが苦手な性格は特に前半でしっかり描かれていました。

 このようにいずれのキャラクターも居場所が無い問題と同時にコミュ障問題を抱えており、1人ではどうにも解決できない袋小路にハマっている状況なのです。上記2つの問題を同時に抱えているがゆえに身動きが取れないという感覚は、現実の孤独な若者たちの感覚ともつながるのかもしれません。

 ネットが発達した現代では、ぼっちちゃんと同じように部屋の中で自己完結した生き方ができる反面、人間関係を作るのが苦手になっているところがあり、いわゆる「コミュ障」を自称する若者も少なくありません。

 安心安全便利の追求によって、人と関わらなくても済むようになってしまったことで、コミュニケーション機会が減り自然とコミュニケーション能力も低下。快適を追求しているつもりが、いつの間にか孤独から抜け出せなくなっているという人も少なくないのだと思われます。

 こうした時代状況を考えると、単に居場所が無い問題、孤独問題を扱っているだけでなく、人との関わり方が分からなくなってしまったコミュ障問題を併存させて物語を展開している点が、近年のバンドアニメの特徴であり、視聴者のリアリティ(あるいは納得感)につながるポイントと言えそうです。

●大ガールズバンド時代の考察:「生きづらさ」を作詞や歌唱で表現してくれるから、解放感がハンパない

 「ぼざろ」「ガルクラ」「MyGO」の主人公に共通しているのが、作詞かボーカル(あるいは両方)を担当しているという点です。ボーカルを担当させているのは、バンドで一番目立つポジションでありながら、楽器の演奏技術が問われないため、視聴者が自己投影しやすいという作劇的な事情があるでしょう。カラオケ文化が日本には定着していますから、そういう意味でもボーカルには感情移入しやすいのかもしれません。

 しかし、それ以外にも、主人公にボーカルや作詞を担当させることのメリットが存在すると私は考えています。ボーカルと作詞の両方に共通するのが「内に秘められた想いを表に吐き出す」という点です。「抑圧された想いの解放」と言っても良いかもしれません。

 例えば、ぼっちちゃんの場合、長いぼっち生活の中でため込んだ鬱屈とした想いを歌詞にぶつけることで、唯一無二の曲が完成していたかと思います。燈も周囲になじめない辛さを歌詞に書き、仁菜はいじめ体験などの不条理な現実への怒りを歌詞に込めるなど、いずれにしても作詞によってやり場のない想いを発散している様子が見て取れます。

 ライブシーンでそのやり場のない感情が歌となって吐き出されると、我々視聴者は怒りや苦しみ、寂しさ、孤独感などの想いがより直接的に解放される姿を見ることになります。作詞や歌唱には本質的に、こうした想いの解放という機能があるのです。

 そして劇中のキャラと同じように秘めたる想いを抱えた視聴者は、自分の代わりに言いたいことを言ってくれたという気分になり、ある種の解放感が得られるのだと推測されます。

 近年、コンプライアンスや多様性、SDGsへの意識が高まっており、それ自体は良いことですが、日常生活も含めて言葉選びが難しくなっているのも事実です。また目の前で話している相手がSNSを利用している可能性は非常に高く、いつ自分の発言がリークされるかも分からない状況で我々は生活しています。

 「CHAOS;HEAD」や「Occultic;Nine」などの作品で知られる、凄腕クリエイター・志倉千代丸氏の言葉に「その目、誰の目」というものがありますが、SNS社会に生きる我々は常に目の前の人だけではなく、その奥の誰かは分からないが確かに存在する無数の大衆の目を前提に言動を判断しなければなりません。

 すでに述べたように「居場所が無い問題」と「コミュ障問題」を抱えている人々にとって、ただでさえコミュニケーションの機会が減り、話下手になっているにも関わらず、炎上を回避するための高度な言葉選びが求められるというのは、かなり酷な話だと私は思います。

 こうした背景を前提に生きていると、当然ながら誰にも簡単には想い(本音)を打ち明けられないですから、寂しさも苦しみも内にしまい込みがちになるでしょう。

 そんな時に上記のような、さまざまな「生きづらさ」を描いたバンドアニメに出会ったら、どのように感じるでしょうか? 秘めたる想いを歌詞にぶつける行為や、やり場のない想いを歌に乗せて吐き出していく姿を見ることは、大変スカッとする体験になるはずです。

 大ガールズバンド時代の作品に込められたある種の切実さと、自分のやり場のない想いを同期させて、ぼっちちゃんや燈、仁菜と一緒に気持ちを吐き出すことができる点が、近年人気の高いバンドアニメの大きな特徴であり魅力と言えるのではないでしょうか。

このニュースに関するつぶやき

  • はあ。アニメ見てないので勘違いかもしれないけど、ヒッキーがバンド組むってちっともリアリティを感じないのだが。誰かの願望なのかね。
    • イイネ!1
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