1980年代ラブコメ勃興期、男子を熱狂させた漫画家・三浦みつる「ピチピチ学園コメディーなんて言われてた」

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2024年08月08日 11:00  リアルサウンド

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今回、三浦みつるの仕事場を訪問してインタビュー。三浦は漫画家としての活動は引退したというが、絵本を制作中だそうで、創作への情熱を感じることができた。
■1980年代、「マガジン」のラブコメ漫画事情

 三浦みつるの『The・かぼちゃワイン』は、1981年に「週刊少年マガジン」で連載開始、1983年にはテレビアニメ化されたヒット作だ。意地っ張りで低身長の青葉春助と、“エル”の愛称で呼ばれる大柄なヒロインの朝丘夏美の“SLコンビ”が繰り広げるラブコメディで、エルの「春助く〜ん、だ〜い好き!」というセリフは当時の男子たちをメロメロにした。


  さて「マガジン」ほど、時代によってイメージが大きく変わる雑誌は珍しいかもしれない。現在の「マガジン」はラブコメ漫画が多数掲載される誌面になっているが、三浦が連載を始めた頃は、劇画タッチの硬派な漫画雑誌からソフト路線へと移行する転換期だった。


 そんななかで、『The・かぼちゃワイン』の連載を開始した心境はどのようなものだったのか。最近ではアナログイラストの魅力を伝える「マンガ☆ハンズ」の活動でも注目され、8月23日にはキャリア初の画集『LOVELY GIRLS〜MIURA MITSURU ILLUSTRATIONS』の刊行も控えている三浦に、当時のラブコメ漫画事情について話を聞いた。


■編集部は3匹目のどじょう狙い?

――「週刊少年マガジン」といえば、1960〜70年代には梶原一騎さん原作の劇画で、劇画ブームを牽引した硬派な漫画雑誌というイメージです。1981年に『The・かぼちゃワイン』の連載が始まった頃は、「マガジン」にラブコメ漫画はあったのでしょうか。


三浦:ありましたよ。柳沢きみおさんの『翔んだカップル』の連載が1978年に始まり、「マガジン」のラブコメ漫画の火付け役になったんです。そのあと、1980年に村生ミオさんが『胸さわぎの放課後』を連載。その直後に『The・かぼちゃワイン』の連載が始まったんです。「マガジン」では3匹目のどじょうを狙っていたのかもしれませんね(笑)。


――『The・かぼちゃワイン』の前に、連載経験はあるのですか。


三浦:「マガジン」では『あいつはラプラス』『きまぐれザンボ』と、連載が2本立て続けに失敗しているんです。その間に、手塚プロの先輩だった大和田夏希さんの漫画が絶好調で、人気でした。同じ富士見台に住んでいたので、「三浦くんの漫画は面白くないよ」と会うたびごとに言われ、かなり凹んでいましたよ。


――三浦先生は女の子を描くのはお好きだったのでしょうか。


三浦:もちろん女の子を描くのは嫌いじゃありませんでした。ただ、本当はSFが描きたかったんです。ところが、当時、SFと時代劇は少年誌では人気が取れなかったんです。その頃、6人くらいの漫画家が読み切り形式で漫画を描いて、読者投票で人気順位を競う企画がありましてね。僕は『武蔵とエル』『恋のシャッターチャンス』を描いて、ともに1位を取らせてもらったんです。それらを編集部が評価したのでしょう。この路線で連載しないかと提案してきたんです


■ラブコメではなく“ピチピチ学園コメディー”

――『The・かぼちゃワイン』は読切の『武蔵とエル』が原型になっているそうですね。


三浦:その前に、増刊号で『彼女(あいつ)はコロッケまんじゅう』という恋愛ものの読切を巻頭カラーで描きました。その作品がアンケートで1位をとったので、これを土台に連載を……という流れで進んだわけです。といっても、先達と同じものをやってもしょうがない。いかに違うテイストで連載しようかと考えました。


――何度も試行錯誤を繰り返した結果、1980年代のラブコメ漫画の傑作『The・かぼちゃワイン』が生まれたわけですね。


三浦:僕自身はラブコメを描いている意識はなかったんです。当時はまだそういうジャンル分けがなかったんじゃないかな。キャッチコピーには、“ピチピチ学園コメディー”なんて言葉が使われていますからね。1990年代に入って、赤松健さんのようなアキバ系のアニメっぽい絵が出てきて、ラブコメというジャンル分けができたんじゃないかと思います。


――“ピチピチ学園コメディー”とは、なかなか刺激的なコピーですね(笑)。


三浦:ちょうど1970年代後半〜80年代前半はアイドルブームでした。流行を受けて、アイドルと学園マンガを混ぜた、ちょっとエッチな感じの漫画が受けました。ちなみに、僕は中学生の頃に永井豪さんの『ハレンチ学園』の洗礼をしっかり受けてますから(笑)。あれは衝撃的でしたね。スカートめくりのチラリズムにはかなり影響されたと思います。


――春助くんは不良と戦いますし、応援団にも入るなど、王道の学園漫画らしい描写も入っています。こうした描写は最近のラブコメ漫画にはない要素ですね。


三浦:学園ものとしてとらえると、テレビドラマ化された津雲むつみさんの『おれは男だ!』のイメージが入っていて、敵役と正義の味方が繰り広げる王道の物語構造だと思っています。ちなみに、青葉春助の“青葉”は『俺は男だ!』の舞台である青葉学園からとっていて、春助が応援団に入るのはどおくまんさんの『嗚呼!!花の応援団』あたりがヒントかな。


■エルのルーツは手塚治虫のあのキャラ!?

――ヒロインのエルこと朝丘夏美は、宮崎美子さんがモデルとうかがっています。大柄なヒロインは当時の少年漫画では珍しかったですよね。


三浦:エルのキャラクター・イメージを考える時に、宮崎さんが出演していたあのカメラ CM 映像を思い浮かべたんです。当時は河合奈保子さんや堀江しのぶさんのような、ぽっちゃりしたアイドルが人気でした。ヌードグラビアの麻田奈美さんなんかも、童顔でグラマラスな感じがエルのイメージと被るかなぁ。もっとも高校時代、僕が一番好きだったのはキャンディーズのランちゃんでした。ぜんぜんぽっちゃりじゃないけど……(笑)。


――三浦先生、かなりのアイドルファンですね(笑)。様々なアイドルやモデルのイメージがエルに投影されているということでしょうか。


三浦:いつの時代も男の子はみんなアイドルが大好きでしょ。男子が抱く恋愛感情には、無意識に母性を求めているところがあるんじゃないかというのが、僕の持論です。エルは小さい春助が母親のように甘えられる恋愛対象で、菩薩様の掌でいいように転がされる感じを描こうと思ったんです。


――設定を考えるうえで、既存の漫画のキャラはモデルにしていないのでしょうか。


三浦:ずいぶん後になって他人に指摘されたんだけれど、春助とエルは、『三つ目がとおる』の和登さんと写楽くんなんじゃないですかって。和登さんは大好きなキャラだったので、無意識にそういう感覚で描いていた可能性はありますね。


――『三つ目』は「マガジン」で連載されていた手塚治虫先生の漫画ですね。そして、三浦先生は、手塚先生のもとでアシスタントをしていましたよね。


三浦:『ブラック・ジャック』と『三つ目』が制作されていた時代にアシスタントをしていました。僕はどちらかというと『ブラック・ジャック』よりも、『三つ目』のほうが好きだったんですよ(笑)。お風呂で和登さんが写楽くんの背中を洗ってあげるシーンもあって、これはいいなと思って、脳裏に焼き付いていたのかもしれない。僕が写楽くんの立場だったら、こんな人がそばにいてくれたらいいなぁ、ってね(笑)。和登さんって、恋人であり、アシスタントであり、本質は母親だと思う。そして、恋愛対象に母性を求めるのは、男の子の本来持っている願望だと思いますよ。


■硬派な男子もアイドルに関心あり?

――三浦先生は、ご自身の漫画が受け入れられた理由をどう考えていますか。


三浦:1970年代は男主人公の汗臭い漫画が多かったですよね。ラブストーリーも『愛と誠』のような、シリアスな生き様や青春の悩みを描いていました。その反動で、軽くてエッチな漫画がきたのかなと思います。80年代の「月刊少年マガジン」なんか、『Oh!透明人間』や『いけない!ルナ先生』など、きわどいエッチな漫画で部数が一桁増えたと聞きましたから。


――当時の男子は硬派なイメージにも憧れつつも、実はかわいい女の子との恋愛にも関心があったと。


三浦:硬派な男子だって、家に遊びに行くと、部屋にアイドルのポスターが貼ってあったりして……(笑)。アイドルに憧れて読んでいる層が一定数いたんでしょうね。


――「マガジン」の主流である劇画は、ライバルだったのではありませんか。


三浦:あんまりライバル意識はなかったですね。自分が描けるものが描ければいいと思っていたので、雑誌の中で1位をとりたいとか、順位を意識したこともあまりありません。当時はちばてつや先生がダントツの1位でした。ちば先生が休載するとその号だけ10万部以上部数が落ちたそうですから、その影響力は絶大でした。それでも、アニメが始まったときは『The・かぼちゃワイン』もベスト3くらいまでいって、やっぱり嬉しかったですよ。


■まさかの『一休さん』の後番組に

――今、三浦先生のお話に出ましたが、『The・かぼちゃワイン』はアニメ化されました。インパクトのあるオープニング曲「Lはラブリー」も話題になりましたね。「L!LはLOVEのL、L!LはLIPのL〜」というフレーズは一度聞いたら忘れられません。


三浦:連載始まって1年くらい経った時、テレビ朝日からアニメ化の話が来ました。東映動画(現在の東映アニメーション)、講談社、テレビ朝日、僕の4者で会議をしたんですが、『一休さん』の後番組と聞いて驚きましたよ。子どものためのアニメの枠で、これをやるんですか、大丈夫ですか、と何度も聞いたくらい(笑)。ちなみに、『一休さん』を作っていたスタッフがほとんどそのまま『The・かぼちゃワイン』を制作しているんです。


――ええっ、そうなんですか!


三浦:アニメーターもよく、こんなに毛色の違うアニメを作ったなあと感心しました。本当、プロだよね。先日亡くなられた増山江威子さんは、『一休さん』で伊予の局(母上さま)とナレーションを担当していたのですが、『The・かぼちゃワイン』でも寮のおばさん役をやっていただきました。


――健全な『一休さん』の後に、『The・かぼちゃワイン』を始めるのは、テレビ局側としてもかなりの冒険だと思います。今なら視聴者からいろいろ言われそうな気がしますが……


三浦:いい子向けのアニメが流行らなくって、世の中がエッチ系で数字をとっているから、テレ朝も勝負に出たんだと思いますよ。80年代はアイドル番組も多かったし、テレビ番組も過激でした。今では考えられないけれど、野球拳をゴールデンタイムでやっていたのですから。そういうものがまだ許容された時代だったのだと思います。


■「子どもに見せていいのかなあ」

――アニメ化にあたって、三浦先生はテレビ局やアニメ会社と揉めたりはしなかったのでしょうか。


三浦:アニメと漫画は別物で、基本的なキャラさえ変えなければいいと思っていたので、お任せしていました。ただ、1話目の試写会で、エルの声があまりにも色っぽ過ぎたので、そこだけは注文を付けましたが。なにせまだ中学生ですからね(笑)。あとは、脚本家も『サザエさん』などを書いているベテランですし、安心してお任せできました。


――アニメをテレビで視聴して、いかがでしたか。


三浦:これはお茶の間で親とはぜったい一緒には観せられないなぁ、こんなの夕飯食べているときに子どもに観せていいのかなぁと思いました。だって、僕自身も見ていて恥ずかしかったから……(笑) 。


――でも、アニメの反響は大きかったですよね。


三浦:それまではアンケートの順位が下で、終了の可能性もあったんです。次の連載を考えていた時にアニメの話が突然来たので、ありがたかったですよ。人気も上がり、単行本も重版がかかりましたからね。今のアニメと一番違うのは放送時間帯ですよね。僕らの頃はアニメといえば、夜7時代のゴールデンタイムにやっていたから、宣伝効果は絶大でした。


■女性読者からのファンレターにびっくり

――連載当時のファンの男女比はどんな感じでしたか。


三浦:少年誌だし、男中心だと思うでしょう? 意外に女の子のファンが多かったのです。ファンレターは女:男=9:1くらいで、ほとんどが女の子。男の子が手紙を書かないというのはあるにしても、この差は凄いですよね。僕は当時、「男に都合のいい女ばかり描きやがって!」と言われると思っていたし、内容だって今だったら炎上モノですが、当時は世の中全体がおおらかだったのかもしれません。


――ファンレターに書かれていたファンのコメントも気になります。


三浦:「エルが好き」「エルがかわいい」「なんで春助みたいな奴に惚れるんですか、もっといい男いっぱいいるでしょ!」とか、ありましたね(笑)。少女漫画にはこういうキャラがいなかったので差別化できたのかもしれませんし、10代の女の子でも母性を内面に持っていて、どこか共感できる部分があったのかな。


――憧れ、共感の対象としてエルが映ったと。


三浦:あるテレビ番組で、藤原紀香さんが『The・かぼちゃワイン』を好きなアニメに挙げてくれたことがあるのですが、彼女は10代の頃、身長が高いのがコンプレックスだったそうです。同じ悩みを抱えていた女の子たちは、きっとエルから“エール”を受け取っていたのかもしれない(笑)。ファンから、「自分らしく素直に生きるのがいいと教えられた」と言われたこともありました。作者冥利に尽きますね。


■手塚治虫の真似しなくていいところまで……

――師匠の手塚先生は、三浦先生の活躍をどう思っていたのでしょうね。


三浦:直接、漫画の感想を聞いたことはないんですが、『The・かぼちゃワイン』で講談社漫画賞をとったときに祝電をいただきました。「おめでとう」「頑張ってますね」と書いてあったので、嬉しかったです。


――よく見ると、背景のカケアミとか、キャラの雰囲気にも手塚先生の面影が感じられますよね。


三浦:手塚先生みたいな画面作りがしたくて、手塚タッチは意識して描いていました。手塚先生の仕事場ってとにかく効率的で、アシスタントへの指定の出し方もシスティマチックなんです。よく使う効果は“D3”とか“Z”とか、あらかじめ指定表で決められていて、原稿に 先生が指示を書いておけば、アシスタントが全部描いてくれる。この仕組みは週刊連載に向いているなと思って、僕も取り入れました。


――手塚先生と言えば締切を守らないことで有名ですが、三浦先生は反面教師にしたことはありますか。


三浦:締切は……僕も守らないほうでした(笑)。編集から「手塚先生の真似しなくていいところまで真似するな」と言われましたから。というのも、アシスタント時代は編集者の話が耳に入ってくるので、裏の裏の駆け引きまで聞こえてくるわけです。「印刷所が待てない」とか言われても、あと6時間は大丈夫だな……とか。


――ははは(笑)。締切と悪戦苦闘した結果、三浦先生の美しい原稿、そしてかわいい女の子が生まれたわけですね。


三浦:でも、締切は破りたくて破ったんじゃないんですよ。自分でも作品の完成度は妥協したくなかったので、なるべく最後まで頑張り抜いて、編集さんに渡したいと思っていましたからね。


――そんな三浦先生の苦労の跡も垣間見える、画業の集大成となる画集が発売されます。魅惑の原画がたくさん収録されますね。感想をお聞かせください。


三浦:本音を言うと、昔の絵はあまり見せたくないんです。だって下手くそだから。できれば全部描き直してから画集にしたかった。もちろん現実には不可能だけど……。冥土の土産として(笑)、デビューしてから半世紀の自分の履歴を残すつもりで、今回の画集刊行に踏み切りました。ひとりの漫画家が歳を重ねるごとにどう変化していくか、その変遷を見てもらうのもありかなとも。しかし、まさか古希を迎えて初の画集を出して貰えるなんて思ってもみませんでした。本当にありがたいことだと感謝しています。たぶん、これが最初で最後の画集になると思うので……みなさん、どうか買ってください!!


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