SASUKE誕生秘話 総合演出家、乾雅人が振り返る「最初は偉い人から怒鳴られまくり、地獄のような現場だった」

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2024年08月18日 10:01  webスポルティーバ

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乾雅人(SASUKE総合演出家)インタビュー前編

 アメリカ、ドイツ、フランス、オーストラリア、そして日本。各国の完全制覇者をはじめ名だたる戦士たち、総勢35名が聖地・緑山に集結し、SASUKE史上初の世界大会「SASUKEワールドカップ2024」が開催。8月 21日(水)TBS系列でよる6時30分から放送される。

 そこで今回、第1回から制作に携わり、現在も総合演出を務める乾雅人氏にインタビュー。前編ではSASUKEと海外現地制作によるNINJA WARRIOR、その誕生秘話を聞いた。

【スポーツではない番組の面白み】

――SASUKE史上初の世界大会「SASUKE ワールドカップ2024」を日本で開催しました。大会の話にさきがけ、まずSASUKEについて改めて伺いたいのですが、もともとはスポーツバラエティ『筋肉番付』の、いちコーナーとしてスタートしたそうですが。

乾 そうです。1997年にオンエアされた特番の一部で、「100職種=100人」が障害物のある4つのステージをクリアするという構成は現在と同じですが、最初は完全な見切り発車。テストもほどほどでファーストステージが何人クリアできるか、見当もついていませんでしたから。千葉県・浦安のホールをお借りしましたが、夜になっても収録が終わらない。しかも障害物がやたら破損するなどトラブルが続出し、完全制覇者はゼロ(笑)。現場で各部署の偉い人から怒鳴られまくり、地獄のような現場でした。

――第1回から、視聴者の反応はよかったんですか。

乾 最初はよくもなく、悪くもなくですね。番組的にいけると思ったのは第3回(1999年春)から。ミスターSASUKEこと、山田勝己さんが自前のセットを自宅に作り、13キロ減量。決死の覚悟で臨んだんですが、ゴールまでわずか30cmで失敗に。以降、山田さんは仕事を辞め、SASUKE一筋の人生を送るようになります。

 また第4回(1999年秋)では元毛ガニ漁師・秋山和彦さんが初の完全制覇を達成し、大いに沸きましたが、秋山さんは先天性の弱視を患っていました。当初、本人は障害を隠したがっていましたが、話し合いのうえでそのことを公表したところ反響があって。そうした山田さん、秋山さんらの姿から番組が一気に人間臭いものにシフトしていきました。以降、一見くだらなく見えることだけど、命がけで挑戦し続ける、そんな生々しい人間ドラマを意識しています。

――緑山スタジオへはいつから?

乾 第2回からです。失敗したことをわかりやすく見せるため、水に落ちるようにしたかった。ただホールでは池を掘れないし、プールを作るにも予算がかかる。以前、『風雲たけし城』で、穴を掘っていたことから、緑山スタジオを利用することになりました。

――SASUKEには実にさまざまな職種の方々が参加され、それが大きな魅力となっています。タレント、俳優、アスリート、漁師、靴メーカー営業マン、システムエンジニア......。これらはどのように選考されているのでしょうか。

乾 最初はこちらからお願いし、あるいは書類で選んでいましたが、第6回(2000年秋)からはオーディションを行なっています。基本的に「一業種=ひとり」で合計100名。面接をして、運動能力だけでなく、キャラクターを重視して選んでいます。(運動能力の高い人が選ばれていると)よく誤解されますが、SASUKEは一般の方の頑張る姿を楽しんでいただくテレビのバラエティ番組。視聴者が応援したくなるかが大事ですからね。

――決してスポーツ選手権ではないと。

乾 そう。もしそれを見せるのであれば、アスリートだけを集めればいいわけで。金メダリストが不可能ことを、商店街の有名人がやり遂げることに、この番組の面白さがあるんです。

――さらにそこで集まった方々が次第に友情を育み、共闘するように。その様子も見ていて引き込まれます。

乾 山田さんもそうなんですが、ある時期からSASUKEのセットを自前で作る方が現れてきたんです。そしてそこを練習場として、東京や大阪など各地域の方々が集まり、コミュニティが作られていった。番組サイドが仕向けたわけじゃありません。まさかそんなことになっているとは、ある時期まで僕自身、知りませんでしたからね。普段まったく別の世界にいる者同士が抱き合って喜び合う。それもSASUKEの面白さです。

――SASUKEは完全制覇を達成することが目的。勝敗を決するものでないことが大きいのでは?

乾 そのとおりですね。その完全制覇がでなければ、全員が敗退なわけです。出場者同士はライバルじゃない。目標を達成するために戦いあう、いわば部活の仲間や先輩・後輩みたいな関係なんです。ともに励み、アドバイスを送り、情報を共有する。友情が芽生えるのは自然なことなんですよね。

【世界中にいる熱狂的なファン】

――そんなSASUKEが2005年以降、海外でオンエアされ、さらには世界各国で、現地制作版『NINJA WARRIOR』も制作されるようになりました。

乾 最初は香港で、中国語のタイトルと字幕をつけオンエアし始めました。2009年にはアメリカで現地制作版「AMERICAN NINJA WARRIOR」がスタートします。アメリカのケーブルテレビでオンエアされたSASUKEが大ブレイクし、満を持して制作が始まりました。

 とにかく当時の人気はすごかったらしいです。完全制覇を達成した長野誠さんと漆原裕治さんが、イベントに招待されて渡米したらスーパースター扱いで、サインを求める長蛇の列ができたと聞いています。

――そこまで人気だった理由はなんだったのでしょうか。やはり一般の人たちが難易度の高い障害物に、全力で挑戦する姿が魅力的に映ったのですか。

乾 だと思います。あと当初は100人が挑戦して、誰もクリアしないスタイルも珍しかったようですね。のちに現地制作版が始まる時に、最もディスカッションの対象になったのが、"誰も勝者がいないことの是非"。向こうのノンスクリプト(脚本のない)ものは、必ずチャンピオンを決め、「この方です!」で終わるんです。

 SASUKEは、誰が勝つんだろうってワクワクして見始めたものの結局、全員が脱落し「また来年〜!」となる(笑)。最初は(番組として)当たらないだろうと言われていたんですけど、蓋を開けたら大ヒット。山田さんや長野さんのようにすべてをかけて挑んでもいつもギリギリのところで失敗してしまう姿も共感を誘ったようです。リアリティショーとしてウケたんじゃないでしょうか。

――乾さんら日本人スタッフは、現地制作版に関わっているのですか。

乾 ほとんど関わっていないですね。現地制作版は、「出場者=100名」「ステージ=4つ」などベーシックなフォーマットのみ共通のものとして守ってもらい、細部に関してはそれぞれにお任せしています。たとえばアメリカ版は毎週、全国各地で予選をオンエア。そこで代表となった方々がラスベガスで決勝を行なうスタイル。それらは先方から提案を受けましたが、すごくいいと思いましたね。障害物や番組スタイルにそれぞれのお国柄が表われているのが、NINJA WARRIORの大きな魅力です。

――現在は、165以上の国と地域で視聴されており、現地版も世界25カ国で制作されています。

乾 やはりアメリカでの爆発的な人気が、ヨーロッパやアジア、オセアニアに伝播していくきっかけになりました。アジアだけでなく、西洋地域でも熱狂するコンテンツなんだとアメリカ版が認識させてくれた。本当に何が起こるかわかりませんよね。

――山田さんのようにSASUKEを通じて、人生そのものが大きく変わったに方は外国にもいらっしゃるんですか。

乾 いますよ。あるスーパーマーケットの店員だった人は、現在NINJA WARRIORのゲーム制作をやっていますし、SASUKE専門のジムを経営してひたすらSASUKEのトレーニングに励む人がいたり、自ら新エリアを作り、随時放送局に売り込んでいる方もいます。

――ある意味、SASUKE一色の生活になると。SASUKEの何がそうさせるんでしょうか。

乾 それは僕も聞きたいです(笑)。山田さんはもちろん、長野さん、森本裕介くん、漆原裕治くん、あるいは岩本照さん......。僕も大勢の方に聞くんです。でも何を聞いてもピンとこない。だってテレビ番組ですよ。なぜそんなに愛情を注ぐのか。なぜそんなに時間を費やし、家族や会社を巻き込んでしまうのか。僕自身、謎なんです。言えるのはSASUKE愛にあふれる方が世界中にいて、熱狂的なお客さんがいること。「SASUKEワールドカップ2024」でも世界のSASUKEへの愛を強く感じましたね。

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【Profile】
乾雅人(いぬい・まさと)
1964年生まれ、テレビ演出家。「SASUKE」「Amazon 風雲!たけし城」「旅するサウナ」 「リアル脱出ゲームTV」など数々の番組演出を手掛ける。FOLCOM.代表

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