三木道三「一生一緒にいてくれや」の“女編”が大ヒットした女性歌手の“意外な現在”

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2024年09月21日 09:20  女子SPA!

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 三木道三「Lifetime Respect」のアンサーソング、「Lifetime Respect -女編-」で一躍有名となったダンス&ボーカルグループの「RSP」。2007年のベストヒット歌謡祭と第40回日本有線大賞でそれぞれ最優秀新人賞を受賞し、話題を呼びました。

 6人組だったグループはその後、体制変更によりボーカルのAiさんとSakiさん(Instagram:@saki8mt)ふたりのユニットとして2013年の解散まで活動。現在は互いにソロで活躍し、Sakiさんはライブ配信を行う“ライバー”としても新たなファンを獲得しています。

 シンガーソングライター、ライバー、ボイストレーニング講師と、多方面で活躍するSakiさんに、RSP時代の思い出や現在の活動についてお話を聞きました。

◆RSP以前は地元の福岡で音楽活動

 RSPのデビューは2006年。オーディションプロジェクト「REAL STREET PROJECT」(※ソニー・ミュージックエンタテインメントと読売テレビ主催)にて、5000組を超える候補者から選ばれたメンバーにより結成されました。

 合格メンバーのひとりだったSakiさんは、子どもの頃から歌手になりたいという夢を持っていたとのことですが、デビューまでの道のりは紆余曲折に満ちたものでした。

「高校2年生から地元・福岡の音楽スクールに通い、高校卒業後はバンドの生演奏があるホテルでアルバイトをしながらジャズを学んでいました。じつは地元時代、デビューする話が出ていたんです。在籍していたスクールから、女性二人組のユニットをデビューさせることになって。楽曲先行のユニットだったので、たまたま曲の雰囲気に合っていた私に白羽の矢が立ちました。それが19〜20歳のときです」

 デビューに向けて上京の準備をしていたものの、結局話は立ち消えに。地元に残ることになり、今度は福岡を拠点とするダンス&ボーカルグループにサブメンバーとして加入します。

「お祭りに出演したり、結婚式で歌ったりする4人組のグループでした。でも冬になるとお祭りがなくなるので、仕事が減ってしまうんですよね。だから冬の間は、私とリーダーの2人でクラブでライブ活動をしていました。そのとき、『何かオーディションを受けてみよう』という話になったんです」

そのとき偶然目にした雑誌に載っていたのが、デビューまでの過程をドキュメンタリー番組として流す「REAL STREET PROJECT」の応募案内。Sakiさんは当時の相方とふたりで、このオーディションに挑みました。

◆オーディションに合格するも、デビューシングルは低迷

「今だから話せますが、じつは一次審査に受かったとき、私だけ納得のいかない顔をしていたと思います。一緒に挑戦した相方が落ちてしまったので、『なんで私だけ?』って。もちろんオーディション担当者の方からは事前に『チームで受けても両方受かるとは限りませんよ』って説明されていたんですが。頭では分かっていても、心が追い付いていなかったのかも」

 Sakiさんは「このままオーディションを蹴って相方と活動していくのか、次に進んでみるのかすごく悩んだ」と、当時の気持ちを振り返ります。

「でも最終的にはチャレンジしてみたいと思ったんです。もしオーディションを途中で離脱したら、やめたことを人のせいにしてしまうかもしれない。自分の人生だし、どこまでいけるのか試してみたくなったんですよね」

 自分の可能性に挑戦してみたい。そう覚悟を決めてオーディションと向き合った末、最終審査に合格。RSPとしてデビューへの道を掴みました。しかし、1stシングルの「A Street Story」(※2006年12月リリース)はオリコン最高順位55位と奮わず。

 レコード会社から「2ndシングルで5万枚以上売れなかったら契約終了」と言われ、メジャーの厳しさを知ったSakiさん。「Lifetime Respect -女編-」は、そんな厳しい状況の中リリースされました。

◆初のMステ出演でタモリ氏に……

 メンバーや関係者の不安を覆すかのように、オリコン週間チャート4位を獲得し爆発的なヒットを遂げた「Lifetime Respect -女編-」。Sakiさんは当時、「自分事として受け止められなかった」そうです。

「正直、『うわっ、すごい』と他人事な感じがしていました。もちろん私も一生懸命練習して歌ったけど……他のメンバー、レコード会社の人、事務所の人、三木道三さん、たくさんの人が関わった中で、声を出した一人でしかないと思っていたんです。年末の歌番組で最優秀新人賞をもらったときも、メンバーは泣いているのに、私だけ若干冷めているというか。当時の性格的に、ちょっと冷静な自分がいつも隣にいる感覚があったんですよね」

 いちばん感動を味わったのは、ミュージックステーションに初出演したときだったとか。

「出演が決まったときも生放送で出たときも、すごく嬉しかったですね。タモリさんに『福岡出身です!』って言えたし(笑)。Mステ出演者は記念にティッシュをもらえるんですが、嬉しくてすぐに使い切りました。願掛けじゃないけど、使わないと次も出られないって思っちゃって」

 4thシングル「M 〜もうひとつのラブストーリー〜」で再びMステへの出演が叶ったときの経験は、今でも印象に残っているそうです。

「曲の最後のほうで、音が落ちてリズムが一瞬なくなる部分があるんです。私のロングトーンのあと一拍くらいの沈黙があり、もう一度私の歌から音が戻ってくる。カウントをひとつ間違えたら、リズムが合わなくなってめちゃくちゃになる大事なパートです。それを生放送で、ちゃんとカウンターを当てにいったのは、『めっちゃ怖いのにようやったな』と今でも思います。

一定のテンポを保ち続けるタイム感や、リズムの大事さを掴むのに必死だったからできたけど……もしミスっていたらと思うとゾッとするし、事故が起こらなくてよかったよねって(笑)」

◆メジャーアーティストから「音楽活動家」へ

 RSPの解散後、Sakiさんは表舞台から離れることを選びます。以降、ジャズシンガーやボイトレ講師としてひっそりと活動する中で、「自分の名刺代わりになるソロアルバムを作りたい」という目標を抱くようになりました。再び大勢の人の前に戻るターニングポイントとなったのは、ライブ配信への挑戦です。

 コロナ禍で音楽業界の先輩から誘いを受け、2021年の1月から配信アプリ「Pococha(ポコチャ)」でライバーを開始。今やトップライバーとしてフェスなどにも参加し、ドキュメンタリー映像も制作されるなど、新たな形で注目を集めています。

 Sakiさんにとってライブ配信とは、「自分の大事な場所」なのだとか。

「振り返ってみれば、昔から“組織に属すること”が苦手でした。RSP時代もグループの中で自分を上手く出せなかったり、バランサーになったり、出方を間違えたり。人に遠慮して伸び伸びとできないことに悩んでいたんですね。でもライブ配信って自分が中心で、何もかも自分の自由。失うものと得るものがハッキリしていて、合わない人は合わないけど、残ってくれる人もいる。そのスッキリしている感じが気持ちよくて。

でも、『ライバーさんですか?』と聞かれると、自分の肩書についてなんて説明したらいいか分からないかな。シンガーソングライターで、ライバーで、ボイトレの先生。一般向けの楽曲制作もやっているし、活動はすごく多岐に渡ります。音楽を中心とした活動家、みたいな感じかもしれないですね」

◆世界中の人と交流し、可能性を広げたい

 いろんな顔を持つ音楽活動家。それがRSP解散から11年経ち、Sakiさんが見つけた生き方でした。今後もライバー活動で世界中の人とつながりながら、「Sakiのゆく先をもっと描きたい」と語ります。

「ライバーを始めてから、自分の夢にどんどん投資できるようになったんです。来年には2か月くらいニューヨークに行こうと考えています。ライブ配信もコロナ禍の過渡期を経て、世間にもう一度浸透し始めている時期だと感じているので、世界中の人と交流して、また新たな可能性を広げていきたいです」

<取材・撮影・文/倉本菜生>

【倉本菜生】
福岡県出身。フリーライター。龍谷大学大学院在籍中。キャバ嬢・ホステスとして11年勤務。コスプレやポールダンスなど、サブカル・アングラ文化にも精通。Twitter:

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