目黒蓮が『海のはじまり』で最もつらそうな顔をした瞬間、子どもの口から出た“鋭利な刃”の一言とは

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2024年09月23日 09:20  女子SPA!

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(C)フジテレビ
海(泉谷星奈)が弥生(有村架純)に連れられていった美容室には今田美桜がいた。

『いちばん好きな花』のコラボが楽しめた月9『海のはじまり』(フジテレビ 月曜よる9時〜)。第11話のサブタイトルには「ママはいない人なの?」という、いまさらながらなかなか深刻な問いがあった。

◆大切な人の喪失の乗り越え

死ぬとはどういうことか、残された者は亡くなった人に対してどうしたらいいのか。人類史上かなりの難問を解くヒントは第1話にも登場した絵本「くまとやまねこ」(作:湯本香樹実、絵:酒井駒子)である。

くまは仲良しのことりの亡骸を箱に入れて持ち続け、まわりの動物たちにも見せ続ける。いつまでもことりの死を忘れることのできないくまだったが、ある日、転機が訪れて……。この絵本、『海のはじまり』効果でとっても売れているとか。

大切な人の喪失の乗り越えかたは人それぞれで、時間をかけるしかない。そのかける時間もまた人それぞれである。海(泉谷星奈)たちは、水季(古川琴音)が亡くなってから悲しみの日々を過ごし、ようやく新たな生活を送る決心をした。海は実家(南雲家)を出て、夏(目黒蓮)と暮らすことになり、転校し、名前も南雲海から月岡海に変える。

誰もが心の整理をつけたつもりだったが、いざ、新たな生活をはじめたら、いっそう水季の不在が色濃くなってしまう。海は、自分のせいでみんながさみしくなってしまうと考えはじめ、なんでこんなことになったのか掘り下げていくと、海が生まれたとき、夏がいなかったことが要因ではないかと、あまりにも鋭利な刃を夏に突きつけた。

◆夏の顔は、これまでで最もつらそう

クライマックス、「なんでママいないっていうの?」「いなかったの夏君じゃん」という言葉にショックを受けた夏の顔は、これまでで最もつらそうであった。いや、回を追うごとに辛い顔をアップデートしていっているような気がする。修行僧のような夏。俳優にやるせない顔をさせたら天下一品のジョン・ウンヒ演出。

ひとりで図書館に行っていた海を迎えに行けば、津野(池松壮亮)に、いるとかいないではなく、いたとかいなくなったの話であり、水季が亡くなるとき「お前いなかったもんな」と「お前」と乱暴な口調で責められ、もう散々という感じであった。最終回はどうなってしまうのか。これがピークで最終回は最高の笑顔になってほしいものである。夏よ悟りを開け。

大切な人の不在とどう折り合うか、懸命に努力しているのが津野や海や朱音で、夏の場合は水季の死の実感がないと津野には思われている。ただ、夏の場合は学生のときに、水季をすでに一回失って、恋の喪失と折り合いをつけているので(肉体の死ではないとはいえ)、責められるのは酷だなと今度ばかりは、夏をかばいたい気持ちになった。

◆妊娠がわかったときの夏の対応に問題が…

そもそも水季が勝手に堕すことを決めたのだ。でも、たとえどんなに水季が勝手であろうと、あのとき夏は何がなんでも水季を説得し、考え直すことを促し、芽生えた命を共に生かす方法を考え、それでも産婦人科に行く水季に来なくていいと言われてもついていくべきだったと、海――あるいは全女性から責められているような状況に置かれている夏。

そんな〜というのもあるとは思うが、それだけ命は大事なものなのである。命はすべて祝福されて然るべき。子どもには生まれてきてくれて嬉しいというポジティブな感情を常に示さなくてはいけないのだと思う。

子どもができたとき、夏が躊躇してしまったのは事実であり、そのためらいが「海、最初からいなければよかった?」と子どもを不安にさせてしまうのだ。海が家を出たことで穴が空いたようにさみしい気持ちになる朱音(大竹しのぶ)にも海は罪悪感を抱き、海のために身を引いた弥生(有村架純)にも罪悪感を抱く。

まだ幼い海が、四方八方の大人たちに気を使わないとならなくなっているのは、すべて、妊娠がわかったときの夏の対応に問題があったということなのだ。

◆深い海の底にひとりいるような孤独を見せる海

これまで、大人たちにあどけなさを振りまき愛されようとしてきた、やや小悪魔的だった海が、第11回では深い海の底にひとりいるような孤独を見せる。誰もいない家に、ひとり帰るのは、海にとって初体験。慣れない帰り道、登戸の南雲家の近辺よりもちょっと都会になった経堂の街並み、歩道橋の上にいる小さな小さな海。

帰っても誰もいない部屋にただいまを言っても水季の気配もない。これまで、肉体はもうなくても水季を感じていた海が、夏の部屋では水季を感じることが難しい。ベッドマットに触れ、ここにいた?と面影を探しても、このベッドに長く寝ていたのは弥生だと思うとやるせない。

ドラマではそこは触れていないが、この部屋には弥生の痕跡ばかりが濃厚だろうなと思う。海は弥生が好きだからいやではないだろうし、逆に、弥生をここから追い出してしまったのではないかという気持ちによけいになるのではないだろうか。余計なお世話だが、思い切って、新居に引っ越すべきだったのではないか。せめてマットは新しく買ったのだろうか。そんなことが気になってならない。

◆抱きしめた感触を得ることだけはできない

この回、夏を応援したいのだが、水季からもらったものある?と聞かれて夏が「別れたときに捨てた」と言うのは1点減点したい。弥生にもらったものを捨てたほうがいいかと海は気にしてしまうのだ。結果的にはブルーのイルカとピンクのイルカ、弥生の涙(怨念)が染み込んだイルカのパペット――3つのイルカに囲まれて暮らす。

水季の実態がない代わりに海はブルーのイルカをぎゅっと抱きしめる。朱音は水季が落書きした鍋をぎゅっと抱きしめる。肉体が消えても、思い出は残るものだし、その人の存在をいつでも思うことができるけれど、抱きしめた感触を得ることだけはできない。だから、代わりのものを抱きしめるしかない。

夏と海はぎゅっと抱き合う。ふたりは生きていて、お互いの肉体を感じることができる。だが、抱きしめあう肉体があればあるほど、水季がいないことを海は痛感してしまうのかもしれない。

第12回まであるのは、昨今の連ドラでは長い(最近は、全10話が多い)。その分、じっくりと心情を描いていて、見応えがある。でもその分しんどさも2回分重い。ハッピーエンドを期待したい。
<文/木俣冬>

【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami

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