西田敏行さん「人情派2代目局長」上岡さんの“乾き”絶妙バトン プロデューサーの熱意実らせる

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2024年10月17日 16:00  日刊スポーツ

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「探偵!ナイトスクープ」の最後の収録に臨んだ西田敏行さん(右)は新局長の松本人志とガッチリ握手(2019年10月撮影)

俳優西田敏行さんが都内の自宅で亡くなったことが17日、分かった。76歳だった。映画「釣りバカ日誌」シリーズ、ドラマ「池中玄大80キロ」、最近では「ドクターX」シリーズなど、俳優として、大きな存在感を誇った西田さんは、福島出身ながら、熱烈な阪神ファン。関西の名物番組「探偵! ナイトスクープ」(大阪・ABCテレビ制作)で2代目局長を務めていたことでも知られる。


故上岡龍太郎さんが初代局長を務め、育て上げた同番組。番組を立ち上げたABCの松本修プロデューサー(当時)が「西田さんしかいない」と2代目局長に決めた理由は、西田さんの「ナイトスクープ愛」だった。


西田さんは、01年1月から2代目局長に就き、19年その座を守り、ダウンタウン松本人志に3代目の席を譲った。その最終収録でも熱い思いを語っていた。


19年10月25日、西田さんは、「−ナイトスクープ」の最終収録に臨んだ。


初代上岡局長からバトンを継いで約19年。上岡さんを上回る長さで番組を務め終え「ラグビーで言えば、試合が終わったときのノーサイドの気分。感無量です。楽しかった」と話した。


福島出身、東京を拠点にしながらも阪神ファンで、上岡局長時代からの番組ファンだった。


「この番組の大ファンでその理由は上岡局長の大人の乾いた笑い。大阪人が深い時間(深夜帯)に、大人の乾いた笑いを追求していた。あては塩からとかホヤ貝で一杯飲んで笑ってた。その時間がいとおしかった」


西田さんは、番組への強い愛着を抱いていた。


これを知った松本プロデューサーが、西田さんを「2代目局長」に口説き落とすべく、東西を往復した。上岡さんが引退後、局長代理を経て、01年1月から2代目局長に就いた。上岡局長とは打って変わって、涙もろい局長だった。


「いざ局長をやってみると、だんだんスタッフや探偵の熱意が感動に変わって、泣いてしまって、どんどんそれが広まって依頼者の年齢も低くなってきた。乾いた笑いとぬれた感性を、ちょうどフィフティフィフティにして進めていきたいなと思ってた」


西田さんは、上岡さんの“乾いた笑い”に、自身の“ぬれた感性”が番組に浸透していったと語っていた。ドライとウエット。そのバランスが番組の肝とも考え、局長から身を引く時期を思案していた。


「僕の方のぬれた感性が大きくなったので、ぼちぼち乾いた笑いをきかせる方に修正していかないと。コンセプトが薄らいでいくという危惧があって、ぼちぼち引こうかなって感じ」


心筋梗塞や、頸椎(けいつい)や足を痛めたりしても、つえをついてでも、隔週で東京から大阪のスタジオへ通っていた西田さん。卒業を決めた理由も、やはり番組を愛するゆえだった。


かつて「辞めろと言われるまでやる」と話していたが、その発言は微妙に変化。番組ファンへ戻るタイミングを図ってもいた。退任前年秋ぐらいから、体力への不安もふくらみ、決断した。


番組は88年3月に上岡局長でスタート。「番組の熱烈なファン」だった西田は01年1月から2代目局長に就き、結果として、敬愛した上岡さんの在任時期を超える900回以上に出演した。

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