古舘伊知郎「トーキングブルース 1977」開催「徳光さんの厳しい言葉で『報ステ』始めた」

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2024年10月22日 09:33  日刊スポーツ

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「古舘伊知郎トーキングブルース SINCE1977」を開催する古舘伊知郎

フリーアナウンサー古舘伊知郎(69)が、12月5〜7日に「古舘伊知郎トーキングブルース SINCE1977」を東京・EXシアター六本木で開催する。


最終日に古希、70歳の誕生日を迎える古舘が、自身の原点である「しゃべり」をテーマに2時間以上にわたってパフォーマンスを繰り広げる。


タイトルの「1977」は、テレビ朝日にアナウンサーとして入社した1977年(昭52)から。84年に退社してフリーとなって40年たつが、古舘は「しゃべる仕事を“バカの一本道”として48年間やってきた。しゃべりは時代のモード(流行)。ウケる時も、ウケない時もあったが、時代につれてしゃべりは変わっていく」と話している。


“時代としゃべり”を対比させながら、元日本テレビ徳光和夫(83)、TBS安住紳一郎(51)など同業者にも古舘流の分析をする。「なぜ、安住紳一郎がアナウンサーをやり続けながら役員待遇の“殿堂入りアナウンサー”まで上りつめたか。そして古舘クロニクル(年代記)として、徳さん(徳光)の厳しいひと言がきっかけで『報道ステーション』を始めることになったのを明かします」と話した。


今回、古舘は「死」をテーマに取り上げるつもりだった。「だけど、スタッフに『正気か』『面白くできるのか』とダメ出しを受けた。この歳になると、年下にダメと言われるのがうれしい(笑い)。でも、いつかは死についてしゃべりながら死んでいきたい」と“トーキングデス”願望を明かした。


他にもプロレス、F1など、実況で一世を風靡(ふうび)したジャンルにも触れる。古舘は「暴露するような事はしない。墓場まで持って行く」。現在の政治家が出演するテレビ番組ついて「質問に○×で答える方式はダメ。止めた方がいい。いくら時間がないからといっても、政治家は言葉が生命だろ」と苦言を呈した。


そして「『トーキングブルース』は風。作品として残らない。そこが落語、講談の古典芸能と違う。70歳にもなってくると、プライドは高くなったけれど身長は低くなった。局アナの時は189センチあったけど今は168センチ、しゃべりは変わってないけどね(笑い)。老害も含めて手は抜かない。タイパ、コスパの時代に手作りでやる。古舘にとってのトーキングブルースの現在地はどこか。僕にとってはまん真ん中。1988年に始めて、テレビ・ラジオの仕事の中で1本柱が必要だった。今は真ん中、常に等身大の自分が見える」と振り返った。


トーキングブルースで話す内容は、放送作家を交えたスタッフと相談する。「源は自分だけど、自分でネタを考えると面白くない。面白かったら芸人になってた。面白くないから『語りで頑張るからね』と。面白くないの連続でも、1つくらいは面白いものができるだろうと。大谷翔平が、いかに天才か分かる。3三振の後には、かならずホームランが出る。修行です、トーキングブルースは」と話した。


マシンガントークで鳴らした古舘も、70歳の誕生日を前に“しゃべりの寿命”を意識するようになってきた。「あと4、5年くらいかな。自分自身の寿命は分からないけど、しゃべり手としての寿命は大分、衰えてきている。しゃべりはスポーツですから。釈迦(しゃか)は『生老病死』と言った。できれば、しゃべり死にたい。80歳くらいでトーキングブルースでしゃべりながら死んで樹木葬にしてほしい」。


アナウンサー歴48年。「しゃべりには肌理(きめ)がある。声色、声音、小説なら行間。味は出てくる。80歳になったら滑舌は衰えても、肌理が出ていい感じになるかな」と話した。【小谷野俊哉】


◆古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)1954年(昭29)12月7日、東京都生まれ。立大卒業後の77年にテレビ朝日入社。同8月からプロレス中継を担当。84年6月退社、フリーとなり「古舘プロジェクト」設立。85〜90年(平2)フジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE、SUPER」司会。89〜94年フジテレビ系「F1グランプリ実況中継」。94〜96年NHK「紅白歌合戦」司会。94〜05年日本テレビ系「おしゃれカンケイ」司会。04〜16年「報道ステーション」キャスター。現在、NHK「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」(木曜午後7時57分)司会など。血液型AB。

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