爆チュー問題 (C)ORICON NewS inc. 10月は、ベテランコンビ芸人にとっての“相方”について考えさせられることが多い1ヶ月だった。爆笑問題もとい爆チュー問題の25周年に端を発して、爆笑問題とは“因縁”のある浅草キッドが久しぶりに2人でセンターマイクの前に立ち、月末にはナインティナインが横浜アリーナで年に一度の“歌謡祭”を行った。盛りだくさんだった10月を改めて振り返りたい。
【写真たくさん】ano、久保史緒里、鈴木雅之ら…豪華メンバーで『ナイナイ歌謡祭』 ■田中裕二、太田光に顔を見ずに感謝を伝える 岡村が語る矢部
動画配信サービスFODで、6日から配信されている『爆チュー問題』25周年記念特別番組『爆チュー問題 25チュー年 おめでとう&ありがとうスペシャル(仮)』。ORICON NEWSでは、収録の合間に爆笑問題にインタビューを敢行した。「今回の爆チュー問題のエンディングで、お互いに感謝を伝えようとするも…という展開がありましたけども、取材だからこそ言える、お互いへの感謝みたいなところをお聞かせくれますか?」との質問を投げかけると、田中裕二が「そんなの記事にするの?」と笑みを浮かべた。
――私も含めた『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)リスナー「虫けら」は、きっと喜ぶと思います(笑)。
【田中】エモいのを喜ぶんだ(笑)?そうですね…でもやっぱり最初の設定に関して、僕は本当に全然知らなくて、後から聞いただけなので。「バカ兄弟」をやりたいという(太田のアイデア)がなければ、佐藤さん(『爆チュー問題』を企画した佐藤雅彦氏)もできなかったかもしれないので、結果的にはそれが良かったなっていう、感謝はしていますよ。顔は見ないで言ってますけどね(笑)。
【太田光】彼の人生も波乱万丈で(以下、自粛)。これまで、痛みに耐えてよく頑張った。
【田中】小泉純一郎!きょう、息子落ちたよ(インタビュー日は自民党総裁選)。
さて、今回の爆チュー問題にはナインティナインも「ナインチュナイン」としてゲスト出演。ラジオのブースを模したセットで、4人でトークを行っていった。田中(たなチュー)が「当時、ナインチュナインが出てきた時に、ぴかり(太田光)がたなチューに言っていたのは『(岡村は)すげーから、お前があれくらい動けて、お笑いのセンスがあったら、どれだけ良かっただろう』って」との言葉を紹介。それぞれのコンビ関係についても話題は及び、岡村隆史が「なんかあった時(矢部浩之が)真っ先にLINEをくれますから。楽屋とか控え室では、一言もしゃべりませんけども(笑)、ちゃんとLINEをくれます。『大丈夫?』とか」と打ち明けるなど、長年の付き合いがある“相方”だからこその関係性も明かされた。
■サンパチマイクの前に立った浅草キッド 3年後に向けて宣言
爆チュー問題の配信スタートから4日後の10日、浅草キッドの2人が浅草・東洋館の舞台に立っていた。師匠・ビートたけしを生んだ浅草のストリップ小屋であり、そして浅草キッド、結成、揺籃(ようらん)、修行の地で『10月×10日【キッドリターン】〜アサヒ芸能人トークライブin浅草フランス座』と題したイベントを開催。終盤、おもむろに登場したサンパチマイクに、観客からはこの日一番の拍手が起こった。
息のあったかけあいを披露したが、水道橋博士が「今後、漫才をやっていくかという話をして」と切り出すと、玉袋筋太郎も「事務所も違いますし。もうちょっと歳を取ってね。オレも『美しく枯れる。』なんていう本も出しました。今57歳で、60歳になった3年後、その時に博士は65歳。その時ぐらいにやった方が、2人いい感じに漫才ができるんじゃないかなという結論です」と言葉をつなげた。
続けて博士が「結論は、浅草キッドは“解散”します」と切り出し「時限的な解散。3年後に2人でサンパチマイクを挟んで、ちゃんと漫才をやろう」と宣言。玉袋が明るく「活動休止でいいじゃねーかよ(笑)!」とツッコミを入れ、博士が実は段取りがあったことを示唆するなど、明るいトーンで終幕した。
イベント後、ORICON NEWSの取材に応じたは博士は「赤江くん(玉袋)が還暦の時にやりましょうと。僕は、サンパチマイクの前でしゃべったら漫才だから大丈夫だと言っていたんだけど、それは赤江くんの気持ち次第だから。サンパチマイクに対して、完全なものができるのか。言葉としては、時限的な休止ということでいいと思います」と話した。
爆笑問題と浅草キッド、期せずして近いタイミングで2組の取材をしたことで、2組のイラストが表紙を飾る、2001年に刊行された高田文夫氏監修の『笑芸人VOL.4』(白夜書房)を開いてみた。同書では、博士が「THE MAKING OF 浅草キッド」を寄稿しているが、その中に「漫才師」という呼称への思いがにじみ出た文章がある。
「ダメなテレビタレントだとは言われることはあっても、ダメな漫才師だとは言わせない。漫才師に特別なプロ意識があり、本業が漫才師であることに矜持がある」(『笑芸人VOL.4』(白夜書房)より)
この文章から23年が経った今、浅草キッドがサンパチマイクを通して語ったこと、今回のイベントを行うにあたって、2人が発した「赤江くん、俺たちもう終わちゃったのかなぁ?」「小野さん、バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ!」という言葉の意味を改めて考える。漫才師という肩書に思いが強いからこそ、3年後に2人そろって舞台に立つまでは「時限的な休止」という選択をして、ファンの前で伝えたのだろう。きっとリターンしてくれるだろうと、23年前の博士が背中を押している気がした。
■テンパる岡村に矢部がツッコミ anoが感じたナイナイのすごさ
26日には、ナインティナインが横浜アリーナいっぱいに詰めかけた1万2000人の前で、豪華アーティストとともに『ニッポン放送開局70周年記念 ナインティナインのオールナイトニッポン歌謡祭』を行った。オープニングでは、岡村が道順を間違えてしまうハプニングもあったが、その後のトークで、岡村が「いきなり道間違えました(笑)。誰もおれへんなと思って。ほぼ、直線なんですけどね。リハーサルがうまくいきすぎたのでね。こういうことなんですよ、僕って」と反省していると、矢部が「オープニングから暗い(笑)!」と一喝。矢部が「裏でスタッフが『岡村さんやばいです。テンパリすぎて』と言ってました」と明かすなど、コンビネーションの妙を感じさせた。
奇しくも、『歌謡祭』が行われる2週間前にあたる10日深夜の『ナインティナインのオールナイトニッポン』では、岡村の口から「最初にちょっと言わせてもらいますけど、めちゃイケなのかな。そのような。めちゃイケっていう番組自体は知っていると思うんですけど、そのようなものが今、始まってます」と明かされた。『めちゃイケ』では、持ち前の身体能力と努力で、数々の“奇跡”を起こしてきた岡村だが、この日の『歌謡祭』ソロパートでは、Creepy Nuts「Bling-Bang-Bang-Born」を完コピし「半年以上練習したぜ!どうだった?きのうカラオケで20回歌ったよ」と胸を張った。
ラジオも今年で30年を迎えるが、2人そろって年に一度の『歌謡祭』を盛り上げる姿は、やはり圧巻。ゲストのanoはMCパートで、ナイナイ、そしてラジオへの思いを熱弁していった。「はじめまして、anoです。歌謡祭呼んでくれて、ありがとうございます!すごいですね。人もすごいし、ナイナイさん、まだやるかっていうか(笑)、本当にすごいなと思って。いろんなことがありながらも、こんな長く続けていること、ラジオとかも、僕自身もパーソナリティーやらせていただいていますけど、どんなクソな1日でも、1日の最後に好きなラジオがあるっていう、ラジオの存在だったり、ナイナイさんも存在し続けてくれている絶対的なところがかっこいいなと思って、僕もそうなりたいなと思いながら生きています。きょうは、ここにいてくれてありがとうございます!」。
爆笑問題、浅草キッド、ナインティナイン。それぞれ違う形ではあるが、相方への思いが感じられる取材となった。