旗手怜央の欧州フットボール日記 第31回
順天堂大学時代にFWとしてプレーしたことが今に生きているというセルティックの旗手怜央だが、その大学時代には、今のプロ選手として大切な「自ら考えて答えを導き出す思考」を身につけさせてくれた、お世話になった先輩の存在があったという。
前編「旗手怜央が『今のプレーに生きている』という大学時代のFW経験」>>
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【チームメートからも嫌なFWだった】
順天堂大学時代に関東大学1部リーグで、1年生で9得点、2年生で14得点、3年生で12得点をマークして、FWとして活躍することができたが、思い返すと、チームメートからしてみたら嫌なFWだっただろう。
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当時は、2トップを組んでいた浮田健誠(AC長野パルセイロ)がヘディングに強いタイプのFWだったこともあり、自分はセカンドトップのような役割を担っていた。中盤に降りて攻撃の起点になり、パスを展開して再びゴール前で絡んでいくようなプレースタイルだった。
オフ・ザ・ボールでは常にDFと駆け引きしていたが、ボールに絡む機会はコンビを組んでいた浮田よりも多かったため、2列目や3列目に対してはうるさいくらいに要求していた。
川崎フロンターレに加入してから、大久保嘉人さんが在籍していた時にチームメートに「パスを寄こせ」「パスを出せ」と、強く要求していたといったエピソードをいくつも聞いたが、大学時代の自分もまさに同様のタイプだった。
ゴールに向かえる場面でパスが出てこなければ怒っていたし、後ろの選手には常に厳しい言葉を投げかけていた。今、想像してみると、当時の自分の後ろでプレーするのは嫌だっただろうなと、自分でも正直思ってしまう(笑)。
【本当にお世話になった先輩】
FWとしての選手としての成長を助けてくれたのは、監督やコーチといった指導者だけでなく、まさに先輩をはじめとするチームメートたちのおかげだ。
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特に静岡学園高校時代から1学年上の先輩に当たる名古新太郎さん(鹿島アントラーズ)には、本当にお世話になった。
オフ・ザ・ピッチも含め、プロになるためのプレーも、姿勢も、名古さんから学んだところは非常に大きい。高校時代も先輩、後輩という間柄で一緒のピッチに立ったが、大学ではさらにさまざまなことを教えてもらった。
自分がFWにポジションを移してからは、1列後ろで自分に足りないところをすべてフォロー&カバーしてくれていた。2年連続でリーグ戦二桁得点をマークできたのは、まさに名古さんが後ろにいて、のびのびとプレーさせてくれたからだ。セカンドトップとしての動きや質、判断においては、監督やコーチからも多くを教わったが、名古さんのプレーを見て吸収したところは多々ある。
ただ、高校時代にも増して、大学では名古さんと話す機会が増えたが、名古さんにアドバイスを求めても、決して答えはくれなかった。
もらえるのは、いつも答えではなくヒントだけだった。
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名古さんはキャプテンを務めるほどの選手で、チームをまとめる力も、チームを導く力も備えていた。だが、プレーにしても、姿勢にしても、意識にしても、名古さんは思っていることを口にするのではなく、対話したうえで、こちらが自分で考えて答えを探す、もしくは導き出すように促してくれた。
これまた振り返ってみると、答えを持っていたとしても、僕に考えさせて行動に移すように仕向けてくれていたようにすら思う。
あくまでこれは例えだけど、「プロになるためにはどうすればいいですか?」や「プロになるために何をやっていますか?」と聞いたとしても、「こういうことをやってみたら」とか、「自分はプロを目指すためにこういったことをやっている」といった具体的なアドバイスをしてくれることはなかった。
「全体練習の時以外にも、何かできることはあるかもしれないよ」
そのヒントと、名古さんの姿勢を見て、自分なりに考えて、ウエイトトレーニングの回数を増やしたり、チームメートに声を掛けて自主練をしたりするようになった。
だから、自分が先輩になった時も、名古さんの背中を思い出して、取り組む姿勢を見せようと考えた。後輩たちが自分の姿勢を見て、何を感じくれていたかはわからないが、自らの言葉で発信するのではなく、自分の行動で示そうと思ってきた。
【自ら考えて答えを導き出す思考】
ただ、大学時代に全体練習以外にもトレーニングをやっていたのは、周りにアピールしたかったり、誰かのためにやっていたりしたわけではない。あくまで自分のためであり、自分がうまくなるためだった。
幸い順天堂大学のサッカー部は、育成年代の代表に選ばれている選手や自分と同じくプロを目指している選手たちも多かったため、自分が名古さんに刺激を受けたように、姿勢を感じ取り、切磋琢磨していける仲間たちだった。
そして、誰かに答えをもらうのではなく、自ら考えて答えを導き出す思考は、プロになってから、より生きたように思う。
特にプロの世界においては、できない選手がいれば、それはすなわちライバルが勝手にひとり減ることを意味する。そう考えると、先輩から進んで後輩を育てる必要はなく、ヒントすら与えてもらえることはない。
プロの世界は、ただ答えやヒントが与えられるのを待っているだけでは、成長できない環境だった。
わずかでも、ヒントをもらうためには、自ら行動して聞きにいくしかなかった。だから、大学時代も自ら名古さんに聞きにいっていたように、川崎フロンターレに加入してからは、気になったことやわからないことがあれば、アキさん(家長昭博)や(小林)悠さんに聞きにいった。
アキさんも、悠さんも、自ら率先して教えてくれることはなかったが、こちらが聞きにいくと、嫌がることなく、喜んで教えてくれた。先輩だからと、そこで遠慮や躊躇していたら、おそらく自分の成長は止まっていただろう。
自分も人見知りなところがあるため、決してコミュニケーション能力が優れているとは思わない。でも、わからないことがあるのに、「今さら聞けない」「恥ずかしい」といった羞恥心が勝ってしまうと、知識も判断材料も増えてはいかない。
「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」といったことわざがある。まさに自分の考えはそこにある。
【監督がほかの選手に話す内容も聞いている】
また、セルティックでプレーする今もだが、チームの全体練習やミーティングでは、ほかの選手に監督が話している時も、その内容に耳を傾けるようにしている。自分のプレーに関することではないからといって、話を聞かずに理解していなければ、その選手の動きの変化や工夫にも気づけないからだ。また、それによって自分のプレーや動きにも、少なからず影響や変化を出せる可能性を秘めているとも思っている。
違うポジションの選手へのアドバイスを聞いていたことで、例えば自分がそのポジションで急遽プレーする事態になった時も、時間がかからずに対応でき、そのポジションの選手を生かすこともできた。
要するに、その言葉を、時間を、無益とするか、有益とするかは自分次第。
知りたい、学びたいという意欲が、自分をここまで成長させてきたし、今後も向上させてくれると思っている。
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