冤罪を晴らすのはいかに困難か……明治・大正の事件を扱った注目の新刊ミステリ2冊を千街晶之が読む

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2024年11月02日 08:10  リアルサウンド

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(左から)芦辺 拓『明治殺人法廷』(東京創元社)夜弦 雅也『逆境 大正警察 事件記録』(講談社)
■冤罪を扱うミステリ小説の新刊が立て続けに登場

 1966年に静岡県で一家4人が殺害された所謂「袴田事件」において、逮捕・起訴されて死刑判決が確定した袴田巌氏の無罪が、2024年、東京高裁における再審でようやく確定した。この事件が冤罪を生み、真犯人が法網を逃れる結果となった原因に関しては、威圧的な取り調べ、証拠品の捏造疑惑などさまざまな問題点が指摘されている。


  昭和40年代の事件でそれなら、民主警察でもなく科学捜査の水準も低かった明治・大正時代ならば、冤罪の証明はいかに難しかったことか。そのような発想から生まれたと思しき、ある意味タイムリーなミステリ小説が、このところ立て続けに発表されている。


  まず、芦辺拓『明治殺人法廷』(東京創元社)を紹介しよう。『大鞠家殺人事件』で第75回日本推理作家協会賞と第22回本格ミステリ大賞を受賞するなど、本格ミステリを中心に息の長い執筆活動を続けてきた著者によるこの小説は、明治20年から幕を開ける。旧幕臣を父に持つ探訪記者の筑波新十郎は、明治政府が自由民権活動家を一掃するため発令した保安条例に引っかかり、東京から追放された。翌年、大阪に流れついた彼は警察の留置場に放り込まれてしまうが、そんな彼を救い出したのは、駆け出しの代言人(今で言うところの弁護士)・迫丸孝平だった。


  その大阪で、質屋を営む堀越一家と奉公人の合わせて6人が惨殺されるという事件が起きた。生存者は赤ん坊のほかは、堀越家の親族の子だという信のみ。現場となった家は密室状態であり、信が犯人として警察に連行されてしまう。死んだ堀越家の当主と縁があった孝平は、信の弁護を担当することになったが……。


  この小説の終盤3分の1ほど(第七章以降)は、ほぼ法廷シーンで占められている。ただし、この法廷を現在のそれと同じものだと考えてはならない。2024年4月から9月まで放映されたNHKの朝ドラ『虎に翼』は女性裁判官の一生を描いた作品だったが、戦前の法廷のシーンで、検察官が裁判官と同じ上段に陣取っていたのに対し、弁護士が彼らより低い場所に席を与えられていたことをご記憶の方も多いだろう。


  当時、弁護士は裁判官・検察官より格下とされ、司法省の監督下におかれ、国家権力からの独立性を認められていなかった。一応は近代的な弁護士法が制定され、代言人ではなく弁護士という名称で呼ばれるようになったのは明治26年であり、そこから5年前である本作の頃は、その段階にすら及ばない時期だった。第八章で孝平が弁護士として被告人の無実を主張した瞬間、裁判長が取った態度には誰もが驚かされるだろうが、刑法を盾に取ればこんな無茶苦茶が通った時代だったということである。


  そんな絶対的に不利な状況で、新十郎と孝平はいかにして信の無実を証明するのか。プロローグの時点で既に罠が張りめぐらされているため、法廷に集った面々のみならず読者も事件の真相には驚愕するに違いない。思いがけない実在の人物が登場するなど、山田風太郎の明治小説も連想させる重厚な時代本格ミステリである。



■科学捜査が発展しはじめた大正時代の事件記録

  日本どころか海外でも指紋鑑定が捜査に採り入れられていなかった明治21年を背景とする『明治殺人法廷』に対し、夜弦雅也『逆境 大正警察 事件記録』(講談社文庫)は、時代が進んで科学捜査が発展した大正2年を背景にしている。著者は歴史小説『高望の大刀』で第13回日経小説大賞を受賞してデビューしており、本作は第2長篇ということになる。


  主人公の虎里武蔵刑事は、豪傑めいた名前が似つかわしくない小柄な書生っぽい若者だが、「眼力でピストル強盗を威圧して逮捕した」という評判により(実は誤解なのだが)警視庁の刑事課に抜擢された。そんな彼が臨場したのは、東京府西多摩郡で行方不明の幼女が扼殺死体で発見された事件の現場だった。だが、警察が明治の世になっても江戸時代の岡っ引き方式を引き継いで個人の手柄競争を奨励したため、本庁と所轄が互いに情報を隠して対立するなど、その捜査はおよそチームワークというものとは無縁である。本庁の捜査係長は被害者の実父・咲次郎が犯人だと決めつけ、武蔵の疑問を押し切って逮捕しようとした。だが、咲次郎が誤って車に轢かれたため、嫌疑者死亡につき捜査は終了となった——というのだから無茶苦茶にも程がある。この決着に納得できない武蔵は咲次郎は無実だったかも知れないと考え、密かに捜査を続行する。


  事件の数年前の明治44年、警視庁は日本初の鑑識係を創設し、世界的にも黎明期にある指紋鑑定を捜査に採り入れている(実は指紋鑑定の発祥は日本と縁が深く、明治期に来日したイギリス人宣教師・医師のヘンリー・フォールズは、日本人が拇印により同一人物を特定していることを知り、また大森貝塚から出土した土器に付着した古代人の指紋が現代人のものと同様であることから指紋の研究を始めたという)。だが、捜査の手法がいかに先進的でも、それを使いこなすべき警察官の意識が旧態依然ではどうしようもない。武蔵は、本庁が知らない所轄の情報を調べ上げ、似たような事件がほかにも起きていたことを知る。それらの事件には犯人が逮捕されていたものもあったが、一連の事件が同一人物の仕業であれば、逮捕された人々は冤罪ということになる。


  決着済みの事件が掘り返されるのを喜ばない警察上層部は、あの手この手で武蔵の動きを封じようとする。絶体絶命の状況で、武蔵はいかにして冤罪を証明し、真犯人を引きずり出すことが出来るのか。終盤の展開は手に汗握ること必至である。



  今回紹介した2作品では、物証と論理的推理を重視する捜査の重要さと、それを軽視する往年の日本の警察や司法の後進性が描き出されている。いや、袴田事件の無罪判決に対する検事総長の開き直りとしか思えないコメントや、2010年の大阪地検特捜部主任検事証拠改竄事件、2020年の大川原化工機事件など、でっち上げも辞さない警察や司法の本質は明治・大正の世から実は変わっていないのではないか——そんな恐怖も感じずにはいられないのである。



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