2023年9月のトロント国際映画祭で初上映され絶賛を集めたアナ・ケンドリックの初監督&主演のNetflix映画『アイズ・オン・ユー』(原題:Woman of the Hour)は、1970年代に「デートゲームキラー」と呼ばれた連続殺人犯ロドニー・アルカラを描く実話から着想を得たスリラー。
とはいえ、実録クライム・ムービーというわけではない。アナ・ケンドリック監督が本作で明らかにするのは、当時から蔓延っていた性差別と、ある人物に対して抱いていた親近感や信頼が、一瞬にして不快感や不安、恐怖にすり変わる、その決定的瞬間である。
※以下、映画の内容に触れています。また、本作にはショッキングなシーンが含まれます。
実録クライム映画とはひと味異なる初監督作
2003年公開のミュージカル映画『キャンプ』でスクリーンデビューしたアナ・ケンドリックは、『トワイライト』シリーズからアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた『マイレージ、マイライフ』、見事な歌声を披露する『イントゥ・ザ・ウッズ』や『ピッチ・パーフェクト』シリーズ、『トロールズ』シリーズから、『ザ・コンサルタント』『バッド・バディ!私とカレの暗殺デート』といったクセ強アクションまで多くの代表作を持ち、俳優としてのキャリアは20年以上に及ぶ。
そんな彼女の初監督作品となったのが、ハリウッドの「ブラックリスト」(映画化を待つ優秀脚本リスト)入りしていたイアン・マクドナルドによる物語。連続殺人犯ロドニー・アルカラの犠牲になりかけた「ザ・デートゲーム」の参加者で女優志望のシェリル・ブラッドショー役を自ら演じ、製作総指揮にも名を連ねて映画化した。
インディペンデント作品で何度も参加してきた馴染みのトロント国際映画祭までに完成させるとプレミア上映は注目を集め、Netflixが約1,100万ドルで配信権を獲得。10月18日より世界配信されると、Netflix映画の週間TOP10(英語)でアメリカ、イギリス、オーストラリアなどで第1位を記録、グローバルで2週連続第2位(10月14日-20日/10月21日-27日)にランクインするヒットとなっており、日本を含め28の国でTOP10入りを果たした。
ロドニー・アルカラはフォトグラファーとしてターゲットに言葉巧みに近づいては、性的暴行し殺害する手口を繰り返したシリアルキラーだ。と同時に、その多くが公開できないほど性的で猟奇的な写真の数々をカメラに収めてきた。
1979年までの8件の殺人で有罪判決を受け死刑が確定していたが、服役中の2021年に死亡。実際の被害者数は推定130件あまりにも上るという。
そんな殺人犯が何食わぬ顔で、全国放送の人気デート番組に出演していたなんて…。
このにわかには信じがたい驚きの事実に迫りつつも、アナ・ケンドリック自身の聡明な語り口と同様に軽快なテンポの編集と好奇心を刺激するカット、70年代のレトロポップに彩られて95分に収められた映画は、当時から蔓延っていたハリウッドの性差別や女性蔑視を詳らかにし、女性がある人物に対して違和感を覚え、警戒心や恐怖が芽生え始める瞬間をとらえていく。
小賢しい女性はいらない…デートゲームが浮き彫りにするもの
まずは冒頭から、人気のない砂漠に被害者を連れ出し、身の上を尋ねて油断させるロドニー・アルカラの巧妙で残忍な手口を見せつける。『ヴァチカンのエクソシスト』でトーマス神父を演じたダニエル・ゾヴァットが穏やかな物腰から一気に豹変し、緊張と恐怖を煽る。
コーエン兄弟の『ノーカントリー』を参考にしたというアナ・ケンドリック監督は、性暴力を直接的には描かない。見せる必要など一切ないからだ。ただ、襲われる直前まで確かに自分の人生を生きていた女性たちのありのままの姿だけが鮮明に残る。
そして舞台は、くだんの「ザ・デートゲーム」が放送される1978年のハリウッドへ。コロンビア大学で演技を学び、夢を抱いてハリウッドでオーディション中のシェリルに、「ヌードは問題ないね?」とキャスティング・ディレクターが当たり前のように尋ねている。
シェリルが「いいえ、脱ぎません」とキッパリと返すも、その後に彼らが放った台詞は実際に19歳のアナ・ケンドリックがオーディションで言われた言葉だと複数のメディアで語っている。
それだけではない。単なる友人だと思っていた隣人のテリーもずかずかとシェリルのアパートに入り込み、必要のないアドバイスをくれる。そして不意に、その距離を縮めてくる。
そもそも「ザ・デートゲーム」という番組自体がそうだ。1人の独身女性が仕切りを隔てた3人の独身男性に様々な質問をして人となりを知り、最終的に気に入った男性を1人選ぶというルールながら、彼らを“不機嫌にさせない”ことがまず女性側に求められる。
司会者のエド・バークも「ステージ上では賢くならなくていい。男たちが怖がる」「君はただ笑っていればいい」とシェリルに釘を刺し、体のラインがわかるような衣装に着替えを命じる。
番組側が考えた男性たちへの質問もあまりにもシェリル自身とかけ離れていたため、彼女はCM中にメイクアップ担当からペンを借りて、彼女なりの質問を考えペンを走らせる。その内容はウィットに富み、回答次第で“私を傷つけるのは誰なのか?”“私を尊重しないのは誰なのか?”を推し量れるような核心をつくものばかり。そんな彼女を、司会のエドはさぞ小賢しい女だと思ったことだろう。
だが、最も口当たりのいい言葉を並べてシェリルの心を掴んだ男性こそアルカラだった。劇中では「ザ・デートゲーム」の最中にも彼の異様さを随所に盛り込み、1971年に起きていたニューヨークの客室乗務員の事件や、ロサンゼルス・タイムズ勤務時代に自身の“作品”を見せびらかしていた過去のアルカラを挟んでいく。
知らぬは、シェリルばかり。番組を終えた彼女は待ち伏せしていたアルカラと食事をともにするが、会話の中でシェリルが言い返したふとしたことから、それまで“感じのよかった”彼が一変する。2人の間に生じる、微妙な空気の淀み。
さらにその後のスタジオ駐車場のシーンは、アルカラとは物理的距離がありながらも、ある意味どんなスリラーよりも恐ろしい時間となった。その不安の増幅をアナ・ケンドリックはスリリングに顕在化する。誰もが多少なりとも身に覚えのある、おぞましくリアルな瞬間である。
彼女は笑顔ながらも、はっきりと「ノー」と首を振ったはずだ。それでも「空気を読んで、彼の顔色を伺ったから誤解された」と自分を責めるべきだろうか。たとえ笑顔を作っていても、仕方なく「イエス」と言ったとしても、それは自分自身を守るためのやむを得ない唯一の手段であることは1979年の家出少女も示している。
また、スタジオで「ザ・デートゲーム」の生放送を見守っていた観客のローラは、かつてレイプされて殺害された友人に声をかけた不審なフォトグラファーがステージ上にいることに気づいていた。だが、ローラがスタジオの警備員に訴え出ても、警察に向かっても何の対応もなされなかった。
同じように訴え出たのが、例えば「ザ・デートゲーム」に登場するような男性だったなら結果は違っていたのかもしれない。こうした数々の不条理と気味悪さが、本作には終始貫かれていた。
なお、アナ・ケンドリック監督は本作の報酬全てを、慈善団体を通して性暴力のサバイバーたちに寄付している。
Netflix映画『アイズ・オン・ユー』は独占配信中。
(上原礼子)