佐久間宜行のYouTubeチャンネル「NOBROCK TV」で人気芸人・ダウ90000の蓮見による企画「才能に嫉妬した芸人&クリエイターベスト10」に紹介されるなど、徐々にその知名度を高めているのが小原晩だ。デビュー作となる『ここで唐揚げを食べないでください』は独立系の書店や読者家たちの口コミによって話題を集めていた後に初の商業出版エッセイとして発売されたのが『これが生活なのかしらん』(大和書房)である。今回はそんな小原晩にロングインタビュー。作家になったきっかけや創作スタイルなど、さまざまに話を聞いた。
――デビュー作『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』は、出版社を経由しない自費出版にもかかわらず、重版を重ねて1万部のヒットとなりました。初の商業デビューとなる本作『これが生活なのかしらん』でもその経緯が語られていますが、改めてお聞かせいただけますか。
小原晩(以下、小原):書きたい、とはずっと思っていました。それに書くとしたら私が読み手としてなじみのあるエッセイだろうけど、エッセイは、すでに何かしらの分野で有名になった人が書いていることが多いというイメージで。だから誰も知らない私の話なんて誰が読みたいのだろうと思って二の足を踏んでいたんです。でも東京での生活に一旦区切りのついたタイミングでもあったし、ちょうど貯金もなくなる頃合いだったので、最後にやりたいことをやって後悔のないように本を作ろうと思いました。調べてみたら、5万円くらいで200部刷れると知って、それなら私もやってみようと。
――どういう人に届けたい、という気持ちはありました?
小原 どういう人に届けたい、ということを考えたことはないですね。けれど、東京での生活について書くことは決めていたから、同じように東京で生活している人たちになら読んでもらえるかもしれないとは思いました。本を作ってから、リトルプレスを取り扱っている書店さんに自分からメールを送って、見本誌をお送りして、置いていただけた書店さんがいくつかあったという感じです。
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――そもそもどうして、エッセイだったんでしょう?
小原 本を読むようになったのは18、9歳のころと、わりと遅いほうだと思います。それまではずっとお笑いが好きで、とくに中学生の頃からピースが大好きだったんです。
――ピースの又吉直樹さんは文章を書かれる方ですよね。
小原 まさに本を読むようになったきっかけも、書きたいと思うようになったのも又吉さんの存在が大きいです。働きだしてから、忙しくて活動を追えていないうちに、又吉さんは芥川賞作家になっていたんですね。その頃の私は小説を読み慣れていなかったから、少し仕事が落ち着いたときに、『東京百景』というエッセイを手にとりました。とんでもなくおもしろくて、感動したんです。熱の高い文章もあれば、ギャグっぽいものもあって、詩的なもの、小説のようなものなど、いろんな文体、構成で一冊が編まれていて。エッセイってこんなにも自由なんだと驚きました。内臓を見せられているような文章にもどきどきしたし、苦しかったし、面白かったんです。
――ご自身も、じゃあ、書くときは内臓っぽいものを表現している?
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小原 どうだろう。でも、書くときはものすごくしんどいです。とくに書き始めるときは、どうしてこんなに自分はおもしろくないんだ、なんて浅はかな人間なんだと絶望します。担当編集者さんに見せる原稿も、最初はめちゃくちゃ暗いです。書き進めていくなかでどんどん推敲されて、暗さや苦しさが削られていくという感じです。読み心地はさらりとしているほうが今の自分には合うような気がするので。
――そのために、意識していることはありますか。
小原 言いたくないことは言わない。そのエッセイが求めていることを文章にする。とかそういうことは意識しています。私自身、日常の些事とか、すごく小さなことに興味があるので、その範疇から出るようなことを背伸びしてそれっぽく書かないようにしてます。
――『これが生活なのかしらん』を書くにあたって、『唐揚げ』のときと何か意識は変わりました?
小原 担当編集者さんから「プロフィールになるような一冊を」と言われていたので、テーマを絞るというより暮らし全体について書こう、そうすれば私自身のことを語ることになる、って思いました。でも、商業だからといって、とくべつどういう人に届けたいとかは思わなかったですね。『唐揚げ』のときから変わらずずっと、過去の自分に届くように、過去の自分みたいな人に響くように、と思っているのは変わらないです。
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――書けてよかったと、とくに思うパートはありますか?
小原 冒頭の詩は、書いていておもしろかったです。
――書名と同じ「これが生活なのかしらん」というタイトルの詩ですね。本作を書いたことで、生活とはなんなのか、捉え直した感覚はありますか?
小原 私は「生活」という言葉を「人生」と同じ意味で捉えているような気がします。いいときも悪いときも「これが自分の人生なのか」って、揺らぐ瞬間がありますよね。タイトルにこめた感覚は、それに近いものがあります。生活と仕事は別々のもの、だという考え方もあると思うんですけど、けっきょくは全部がいりまじって境界線はあやふやになってしまうこともあるし、全部ひっくるめて生活であり人生なのかなあ、って。
――仕事がハードだったとき、家に遊びにきたお友達が「君がこんな部屋に住んでいるのは、いやだ」と言って5000円札をおいていったエピソードがありました。たぶんもともとの小原さんは、居心地のいい暮らしを整えるのがとてもお上手なのかなと思ったのですが。
小原 どうでしょう。友達にそれを言われたときは、正直、うるさいなって思ったんです。確かにボロボロにはなっていたけど、全部私がやりたくて選んだことの結果だったから。私にとって大事なのは、納得できないことをできるふりしてやり過ごさない、ということ。どれだけ生活が崩れても、自分が納得できていれば大丈夫なんです。
――でもそれ、働いていると、いちばん難しくないですか。
小原 そうなんですよね。でも我慢ができないから、どうしても納得できないときは居場所を変えるということを繰り返して、10代から20代半ばまでは転々としていました。人の言うことを聞くことができなくて。
――ちなみに、くだんのご友人とはその後、連絡をとっていないとのことでしたが……。
小原 それがこのあいだ、夜10時くらいに新宿を歩いていたら、偶然見つけて、ちょっとしゃべりました。びっくりしたなあ。
――作中にも、ハントの腕前がかなり高かったと書かれていましたね。
小原 基本的に一人行動だったから、自由になんでもできたんです。でも、人の目があると思ったとたん、上手に身動きがとれなくなってしまう。これも書いたことですが、対人関係には「こうすれば大丈夫」という正解がないから難しいですね。納得できる行動ばかりをとれるわけではないし、その結果、傷つくのも傷つけてしまうのも、とても怖い。
――小説とエッセイでは、また書くときの意識は変わりますか?
小原 そうですね。どちらも、この手に入る範囲のちいさな日常の出来事を書きたい、という点では共通しているけれど、小説を書くときはより遠慮みたいなものがなくなるような気がします。小説を書くのは、おもしろいので今後も頑張っていきたいです。
――原稿を書くとき、いつもアイスコーヒーとカルピスを用意する、とプロフィールに書いてありましたが、どういう執筆スタイルなのでしょう。
小原 とくに決めていないですが、夜に書くことが多いですね。夏は暑すぎるので、昼間に起きていても仕方がないから夕方に起きて、ちょっとずつ仕事モードに切り替えながら、深夜から明け方近くまで書いています。そういうとき、甘いものと苦いものが1つずつあると、なんだか集中できるんです。最近は24時間営業のファミレスが少ないので家で書くことが多いけれど、あいている時間は、行ったり来たりすることもあります。
――エッセイを読んでいると、お散歩好きなイメージがあるのですが、執筆中も出歩くことは多いんですか。
小原 もやもやとしてきたら、必ず散歩します。ルートを決めず、家から新宿までとか、前に住んでいた家のほうまでとか、最初はどこまでも歩いていこうとしていたんですけど、そうすると帰るころにはヘトヘトになっていたりするんです。だから最近は、家のまわりをずっとぐるぐるしています。そうすれば帰りたいときにいつでも帰れる。けっきょく最後はいつもこの公園にきちゃうなあ、あのおじさんいっつもいるなあ、とか眺めながら気分転換しています。
――家のまわりをぐるぐるまわっている感じも、エッセイの読み心地に似ていますね。手の届く範囲の、ちいさな世界で起きる、いろんな種類のおもしろいことを浮かびあがらせていく。
小原 そうですね。そうやってこれからも、書き続けていきたいです。書き続けていくためにも、もっとがんばりたいと思います。
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