11月5日、共和党候補のドナルド・トランプと民主党候補のカマラ・ハリスが争うアメリカ大統領選の投票が行なわれる。両候補の支持率は拮抗し、どちらが勝利するかわからない状況だ。
エンタメ業界も、大統領選で揺れている。ビヨンセやテイラー・スウィフト、エミネム、ミーガン・ジー・スタリオンなどはハリス支持を表明し、トランプ陣営の楽曲使用を拒否するアーティストの姿が目立つ。
一方で、慶應義塾大学法学部教授でポピュラー音楽などを専門とする大和田俊之さんは、「トランプ陣営にとってはダメージになっていないだろう」と話す。
それはなぜなのか? エンタメ業界の動向と、分断が深まるアメリカの状況について、大和田さんに聞いた。
―アメリカ大統領選では集会での音楽なども注目を集めますが、ハリス陣営とトランプ陣営はそれぞれどんな音楽をどう活用しているのでしょうか?
大和田俊之(以下、大和田):どちらの陣営も音楽を使っていますが、エンターテインメント業界全体は民主党(ハリス陣営)への支持に傾いています。ビヨンセやテイラー・スウィフトなど、民主党の支持を表明するアーティストは多く、集会でもよく演奏していますね。
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―Foo Fighters、セリーヌ・ディオンなどが楽曲使用をしないように要求していました。
大和田:ただ、トランプ陣営にとっては全然ダメージになっていないと思います。むしろ、エスタブリッシュメント(既得権益層)のハリウッド業界の言うことなんて聞かない、というトランプの姿勢がウケている。そもそも、ローリング・ストーンズなどのバンドが曲をかけるなと言って離れるような支持者ではないだろうと思います。
大和田俊之:慶應義塾大学法学部教授。専門はアメリカ文学、ポピュラー音楽研究。『アメリカ音楽史——ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(講談社)にて第33回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)受賞。
―たしかに。最近では、マーベルの映画『アベンジャーズ』シリーズの俳優たちがハリスへの投票を呼びかけていましたが、エンタメ業界でハリス支持が多いのはなぜなのでしょうか。
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大和田:業界として、トランプを支持することで人種差別的であると見られることを恐れているところもあるでしょう。
なかでも最も保守的と言われているカントリーミュージック界も、表向きは多様性を尊重するようにもなりました。2019年ごろにLil Nas Xの“Old Town Road”(※)がヒットしたあたりから、グラミー賞でもアフリカンアメリカンのカントリーミュージシャンをフィーチャーするようになり、2023年はアメリカでカントリー音楽がものすごくヒットした年になりました。
大和田:ヒット曲のなかには排外主義的なものもあれば、リベラルに寄ったものも両方あった。そういう意味ではカントリーのブームがいわゆる保守反動的なものなのか、それとも本当に多様性を推進するようになったのか、どう解釈するべきか読みきれないところもあります。
ただ今年はビヨンセがカントリーアルバム『COWBOY CARTER』をリリースし、ポスト・マローンもカントリー・デビュー作の『F-1 Trillion』を出しています。そんな動きもあって、やはり全体としては民主党寄りの業界ではあると思います。
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大和田:2016年のカントリー・ミュージック・アワード(CMA)でビヨンセとThe Chicksザ・チックス(元Dixie Chicks)が共演してパフォーマンスをしたとき、盛り上がっている観客もいれば、「なんでここにいるのか」みたいな顔をしている観客が一定数いました。
『COWBOY CARTER』の発売にあたり、ビヨンセ本人も「歓迎されていないと感じた経験」がきっかけになっていると言っているんですが、それとは別の動きとして、アメリカ音楽史の研究領域ではカントリーミュージックのルーツにアフリカ系アメリカの音楽があるということがだんだん実証されてきていて。
カントリーミュージックの初期のスターがアフリカ系アメリカ人のミュージシャンにギターの奏法を習っていたり、初期のヒット曲に黒人教会で使われていたメロディーが多かったりと、カントリーミュージックのルーツに黒人音楽があることが研究の領域で明らかになってきた。ビヨンセのアルバムもその流れをふまえて制作されています。
そうすると一方で、特にカントリー業界のなかで、本当の意味での「白人の音楽」とは何なのか、白人というマジョリティとしての危機感を持つ人がいてもおかしくないのではないかと思います。
Lil Nas Xの“Old Town Road”がリリースされた際も、一時的にビルボードのカントリーチャートから除外された騒動がありました。業界としては、人種差別的な業界に見えるのを避けるために多様性を推進するようになり、リスナーにも業界内にもそれを歓迎している人もいると思いますが、カントリーミュージックの聖地であるナッシュビルの重鎮たちが本音でどこまでビヨンセを受け入れようとしているかは、また別の問題として存在すると思います。
―なるほど……。その状況は、白人至上主義的な価値観が紛糾するアメリカ社会とリンクしているように感じます。多くのミュージシャンはハリス支持を表明していますが、ハリスとトランプの支持率は同率という報道が出ています。どちらが当選するか、まったく予想がつかない状況です。
大和田:世論調査の数字を見ると半々ですが、2016年の大統領選でトランプの勝利を予想したマイケル・ムーア(映画監督)と、1980年代から9割の確率で大統領選の予想を的中させてきた歴史学者のアラン・リクトマンはハリスの勝利を予想しています(*1)。
どうなるかはわかりませんが、一方で、マイケル・ムーアはハリスの勝ちを予想しているものの、パレスチナ問題をめぐって民主党政権を批判していて、親パレスチナと親イスラエルという点で民主党内でも分断が起きているのは気になるところです(※)。
大和田:今回の大統領選で目を見張るのは、投開票直前でも過激さを増していくトランプ側の発言です。保守もリベラルも、この時期になると中間層を狙いにいくはずなんです。まだ投票先を決めていない中道左派、中道右派の層を狙ってどちらも穏健な主張になるものですが、最近の動向を見ていると、特にトランプ側の発言はどんどん過激になっているように感じるんですね。
ハリスは中絶の権利を強く訴えていて、まだ常識的な運動を繰り広げている印象です。
2022年、トランプ政権下に指名された最高裁の保守系判事たちが、中絶を合憲とする過去の「ロー対ウェイド判決」を覆したことで、アリゾナ州など共和党が強い州で人工妊娠中絶の禁止や規制が広がっている。ハリス陣営はその動きを批判し、中絶の権利を強く訴えている。
大和田:トランプ陣営を見てみると、10月末の集会に登壇したコメディアンがプエルトリコを「海に浮かぶゴミの島」だと発言しました(*2)。大炎上して、プエルトリコ出身のレゲトンラッパーたちがハリス支持を表明していますが、どんどん差別的になっていると思います。
ただ、それでも支持が衰えているようには見えない。トランプのこうした主張について、穏健ではなく逆に過激化することで、「真ん中」にいる中間層というより、普段まったく投票に行かない人たちにアピールして掘り起こそうとしているのではないかという分析があります。それは興味深いと思っています。
―たしかに、トランプ陣営は批判も意に介さないというか、開き直っているようにも見えます。
大和田:そうですね。終盤にかけて過激化すればするほど支持率が拮抗していく状況で、驚いています。
ただ、集会の様子を見ると、ハリウッドやアイビーリーグ(アメリカの名門8大学の総称)などのあらゆるエスタブリッシュメントに毎日のように差別的だと言われながらも、何度でも立ち上がる、「俺たちのトランプ」みたいな感じで盛り上がっているように見えます。批判がむしろ力になっている感じがしますね。
最近トランプ支持者のことをよく考えるんですが、向こうでは、高卒と大卒という学歴の分断、そして男性と女性の分断が起きているとよく指摘されます。男性はトランプに、女性はハリスに投票する傾向があり、非大卒は共和党、大卒は民主党支持率が高い(*3、4)。
私は大学で授業を持たせていただいている立場ですが、名門大学と言われる慶應大の学生たちに、両親や親戚一同がほとんど高卒で、親族のなかで初めて大学に通う同級生のことや、大学に通っていない人たちのコミュニティのことがどれくらい見えていますか、と問いかけることがあります。
日本もアメリカも学歴の格差がある。ですが、エンタメを通してみると、そこがなかなか見えづらいんですね。ハリウッドも、大学も、大手企業も、結局トップにいるのは大卒の高学歴の人たちばかりです。そのような世界にいる人たちの目に、本当にトランプ支持者の世界が見えているのだろうかということを考えます。
―若い世代の男性のあいだでトランプ支持が広がっているという報道もありました。
大和田:かつて労働者が支持基盤であった民主党は、黒人や女性、性的マイノリティなどマイノリティの権利を代表するアイデンティティ・ポリティクスの政党に変化したと言われています。その過程で労働者階級の白人男性が置き去りになり、その人たちが右傾化したということが2016年のアメリカ大統領選以降、最も説明されていることですが、その延長線上にある話だと思います。
アメリカに限らず、平等の実現を目指そうとしたとき、それが満たされていないマイノリティの権利を向上させること、そのために声を上げるというのは自然な動きだと思います。
一方で、それに対して、保守派の人たちがまるで自分が非難されているように感じてしまうという状況が起きている。どうやってこの溝を埋められるのか、難しい問題だと思います。
2024年7月には演説中のトランプ元大統領が銃撃される事件が起きた。事件後、支持者の家では銃撃を受けたあとにトランプが拳を突き上げる写真の旗が掲げられていた。
―大和田さんがおっしゃるように、エンタメ業界がいくら声を上げようとも、保守とリベラルの分断はどんどん深まっていて、これを正常化していくのは困難なのではと思ってしまいます。
大和田:ただ、共和党に関しても、伝統的な保守派と、いわゆる「トランピズム(トランプの政治姿勢)」で分かれるようにもなっています。共和党の重鎮であるディック・チェイニー元副大統領とその娘のリズ・チェイニーがハリス支持を表明したりと、保守派のなかでトランプ離れが進み、もしかしたら再編する可能性もありえるのかと思ったりします。
―大和田さんはいまの混乱するアメリカの動向について、どのように感じていますか?
大和田:先ほども話したように、個人的にもトランプを支持する世界がどこまで見えているのだろうかという気持ちがどんどん強くなっています。自分自身も無意識に喋っていることがリベラル寄りになっている気がしますし、それがまったく届かない世界が半分くらいあるだろうということは、不安でもあります。
アメリカはすごく極端に社会の問題が可視化される国です。ですから、11月5日の結果によっては多くの人たちがパニックになる可能性がある。
前回の大統領選があった2020年に、向こうの大学に務める知り合いから講義を頼まれたんですが、時期を尋ねると、「もしトランプが勝ったら大学の授業どころではなくなる。投票日の前にやってほしい」と言われたんですよ。この国は本当に大変だと思いました。
今回もトランプが勝ったら、現地にいるマイノリティの学生たちの一部はきっと恐怖心でいっぱいになるでしょう。そういったことを考えています。
ミーガン・ザ・スタリオンは、2024年7月にハリスの選挙決起集会でパフォーマンスを披露した。
―日本に住む私たちが、アメリカの状況を見ながら学べることやできることは何かあるでしょうか。
大和田:授業をしていると、大統領が変わると音楽も変わるなんてことがあるのか、と聞かれることがあります。日本は総理大臣が変わったとしても、音楽はあまり変わりませんよね。これがいいことなのか悪いことなのか、よくわからないんですが、日本はやはり政治と文化の距離が遠く、別であると感じます。
一方で、アメリカは政治と文化の距離が近いというか、一体化してるところがある。実際の投票行動に影響力があるかないかに関わらず、今回のように誰を支持する、支持しないという話は普通に出てきます。
さらにいえば、たとえばラナ・デル・レイは「フェミニズムにはとにかく興味がない」というスタンスをとっていましたが、トランプが大統領になったあと、言動にもクリエイティビティにも彼女なりの変化が見られました。もちろん変わらないミュージシャンもたくさんいるんですが、大統領が変わることによって音楽が変わるということは、アメリカでは十分にあり得るのだと思います。
そういった視点で今回の大統領選を見てみることもいいのかな、と思っています。