自分で決められなかった引き際。「中嶋悟さんに背中を押してもらって感謝しています」【山本尚貴SF引退会見全文】

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2024年11月08日 21:00  AUTOSPORT web

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11月8日、鈴鹿サーキットで『SUPER FORMULA引退会⾒』を行った山本尚貴
 11月8日、鈴鹿サーキットで行われている全日本スーパーフォーミュラ選手権第8・9戦の金曜専有走行後、今大会限りでSFのシートから退くことを大会前に発表していた山本尚貴(PONOS NAKAJIMA RACING)が記者会見を行った。

 山本は2010年、当時の全日本選手権フォーミュラ・ニッポンにNAKAJIMA RACINGからデビュー。翌年にはTEAM無限に移籍し、2013年には初めてのチャンピオンを獲得した。2018年には二度目のタイトルを獲得し、翌年にはDOCOMO TEAM DANDELION RACINGに移籍、2020年には三度目のチャンピオンを手にしている。

 2021年からNAKAJIMA RACINGに復帰していた山本は2024年最終戦を前にした11月5日、自信のSNSでスーパーフォーミュラから「退く決断」を表明し、11月9・10日に行われる最終第8・9戦の連戦に臨んでいる。

 この日行われた90分間の金曜フリー(専有)走行でトップタイムをマークした山本は、17時30分から、集まった記者団を前に会見を行った。引退に至った経緯について、本音と真実を慎重に話そうとする姿勢、そしてファンから得られた“エネルギー”についてなど、注目点が多かった記者会見での山本のコメント全文を、以下に紹介する。

■印象に残る『3レース+1』

「フォーミュラ・ニッポンから数えて15年、長きにわたりご支援、皆さんにささえていただきながら、国内トップカテゴリーで乗らせてもらいました。本当に皆さんに感謝しています。ありがとうございました」

「記者会見を設けていただけたということで来たのですが、こんなにたくさん(出席者が)いらっしゃるとは思わなかったので、15年やってきていまが一番緊張しているかもしれないくらい(笑)、何を喋ろうかと頭が真っ白になりかけているのですが……ここ、短い方がいいですか?」

──では質問しながら。まず、この15年はどんな15年でしたか。

「15年という数字を聞くと、長くも感じれば、短くも感じて。体感としては数字よりも短く感じるというのが正直なところです。誰もが乗りたくて、ハードルも高く、かつ15年間という長い期間やり続けることが誰にもできるわけではないことを考えると、このトップカテゴリーでフォーミュラカーを15年間乗れたことは、改めて幸せだったと思います」

「乗りたいですと言って乗れるものではなくて、やっぱりプロの世界である以上、結果が求められて、結果を残さなければその数字(参戦年数)を大きくすることはできないので、そういった意味ではチャンピオンを獲らせてもらって、いいレースを重ねてきたことが、この15という数字につながってくるのかなと思うので、自分ひとりの力ではなく、監督さん、エンジニアさん、メカニックさん、マネージャーさんも、すべての皆さんがこの15年というキャリアを築かせてくれたと思っています。チームメイトもですね。本当に支えてくれて、奮い立たせてくれたライバルにも、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」

──忘れられない、記憶に残っているレースは。

「そういう話が出るかなと思って考えたのですが、ひとつには絞れないですね。チャンピオンを獲得したレース3戦すべてが思い出深いです。本当はぶっちぎって獲れたら一番カッコいいのかもしれないですけど、僕がチャンピオンを獲ってきたのってすべてギリギリで獲ってきたところがあるので……そこにはドラマがあって、皆さんの記憶に少し印象付けられるようなタイトルの獲り方ができたのかなと思う、チャンピオンをかけた3つの戦いというのは、特に思い出深いなとは思いますね」

「チャンピオン以外で言うと、2022年にNAKAJIMA RACINGに戻ってきて優勝したもてぎの雨のレースが思い出深いです。地元・栃木でスーパーフォーミュラで優勝することがずっとできていなかったので、なんとかキャリアの中で地元で優勝したいという思いがずっとあり、それをNAKAJIMA RACINGでできたことも、思い出のひとつです」

■「口止めされている」引退のきっかけ

──今日もトップタイムを出せるスピードがありながら、どうしてこういう決断をされたのか。そのきっかけは。

「理由がなければ、引退をすることはないので、理由はあるのですが……ここに来るまでに決めてこようと思ったのですが、決められなくて悩んではいるのですが。いくつか……ひとつではあるんですけど……」

「ドライバーとしてはやはり、チャンピオンを獲って優勝してきたなかで、NAKAJIMA RACINGに移籍して結果が思わしくなかったというところと、キャリアを重ねていくなかでチームメイトだったりとか、負ける数が多くなったことで、自信を決して失っていたわけではないのですが、やはり自分が求めているものと、チームや周りからの期待に対して(成績の)乖離がちょっとあったというのはずっと思っていたので」

「チャンピオンを獲ったからといって、向こう5年・10年が保証されてるわけではない中で、『なんでこの成績でずっと乗らせてもらえてるんだろう』というのは正直自分の中にはありました。毎年勝ち続けられればよかったんですけど、それができなかったことで、チームの期待、スポンサーさんの期待に応えられていないのではないかという思いはずっと自分の気持ちの中にありました」

「ただ、それでもずっとチャンスを与えて与えてくださっていたからこそ、ちょっと苦しくなってきたのは正直ありました。それでも自分の闘争心は消したわけではないですし、今日のトップタイムも含めて、自分の実力がすごく落ちたとか思っていない中、それでも結果がすべての世界ですから、3回チャンピオン獲ってきたプライドもあり、なかなか結果が出なかったというのはひとつ自分の中にありましたが、正直それが(引退の)決め手ではなくて……」

「ちょっと口止めされているのですが……中嶋(悟総監督)さんから『今年で』という話をまず、いただきました。(フォーミュラ引退で現役生活の)すべてを終えるわけではないので、これから先レーシングドライバーを続ける中でマイナスイメージを持ってほしくはないのですが……やっぱり身体のことですね。身体のことがあるから心配で、中嶋さんは『今年で退くのはどうだ』『退いてくれ』と」

「中嶋さんには、『まだ速く走れるのに、自分の意思で降ろしたら(周りから)石投げられるかもしれないから、俺が降ろしたみたいに言わないでくれ』って言われたんですけど(笑)、僕としては身体の心配をさせてしまっていることも申し訳ないと思いましたし、どのオーナーさん、監督さんよりも、レーシングドライバーだったから命の危険・モータースポーツの危険を誰よりも分かっているからこそ、僕にはハンディキャップを背負ったりとか、これから先長い人生を歩むにあたって、これ以上辛い思いをしてほしくないと言われて。なんて愛情のある総監督さんなんだろうと思いました」

「もしかしたら、もがいて、中嶋さんに頭を下げて『いや僕、死んでもいいのでまだレーシングドライバー続けたいです』と言ったら続けられたかもしれないですし、他のチームさんと交渉したらチャンスがなかったわけではないかもしれないですが、2021年にNAKAJIMA RACINGに移籍したときに、僕の気持ちのなかではスタートがNAKAJIMA RACINGで、キャリアを終えるのであればNAKAJIMA RACINGで終わりたい、とホンダや中嶋さんにお願いして、ここに戻らせてもらったので、中嶋さんにそういう風に言われたのですが、僕としては他の(チームという)選択肢はないと思いましたし、オーナーである中嶋さんがそういう決断をしてくれて、この先のことまで心配してくれて、そういうメッセージを送ってくれたので、もうきっぱりここで終えようと決めました。それが経緯です」

(以下、参加メディアとの質疑応答)

──決断に対して、キッパリ線が引けているのか、どこか心残りがあるのか。

「未練がないと言ったら、やっぱり嘘にはなります。スーパーフォーミュラに関しては15年間乗ってきて、15年同じことを毎年毎年繰り返して乗ってきたなかで、来シーズン片方がなくなる……スーパーGTに関してはまた来年の発表はしていませんが、スーパーフォーミュラを降りるとなれば、当然いままでの15年とは違うことが起きるので……(スーパーフォーミュラが)好きなので、やっぱり退くというのは、悔しいというよりは、寂しいですよね」

「当たり前のようにあったものができなくなるというのは寂しいんですけど、だけどやっぱり重ね重ね言うのですが、僕はプロだと思ってるので、やっぱり成績が残らなければ、期待に応えられないのであれば、続けられないと思ってますし、それが理由であれば、もう悔いはない。毎年これが最後だと思って覚悟を持ってやってきたつもりなので、そういう意味では悔いはない。ただ、寂しいな、と」

──最終的に決断を下したのはいつ頃か。

「決断の時期は、そんなに前ではないですね。ここ最近ではあるんですけど。スーパーGTは引退会見とか引退レースって目にしたことありますけど、スーパーフォーミュラとかフォーミュラ・ニッポンでこういう形で前もって発表してレースを終えた選手はなかなかいなくて。最近で言うと中嶋一貴さんだと思うのですが、一貴さんもレースを終わってから『引退します』という形だったと思うので」

「自分としてもずっとここ数年、引き際は考えてはいたものの、やっぱり自分が好きなこと・自分がやりたいことをやめるというのは、なかなかできないな、と。そういう意味では、中嶋さんに身体のことを心配してもらって、『後進に(譲る)』ということを言ってもらった。自分で引き際を決められなかったところを、背中を押してもらったという意味では、中嶋さんに本当に感謝していますし、本当に充実した15年間だったなと思います」

■発表してから気付かされたこと

──ご家族やチームメイトへの報告、その時の反応は。

「家族に関しては、驚きはあまりなかったですね。どこか安心した感じは見受けられました。やっぱり勝って欲しいと思う反面、無事に帰って欲しいというのが心の中にはあったのかなと思って、そういった負担をひとつ減らせたという意味ではちょっと安心させられたのかなと。家族も含めて寂しさはあると思いますが、安心したというのが一番かなと思います」

「チームに関してはここ最近ですね。事が事だったので、発表前に皆さんにお伝えすることはできませんでしたが、限られた人にはお伝えして、自分が思っていた以上に驚かれた・驚いてくれたという部分で、自分としてはそれに対して驚きました。やっぱり年齢や成績だったりとかで『しょうがないよね』という声の方が多いのかなと思っていたのですが、自分が思っていたのとはちょっと違うリアクションだったなという感じです」

──今日の専有走行でトップタイム。公式映像のインタビューでは感極まっているように見えたが。

「もうここに来るまでにたくさん泣いてきたので、今週流す涙は残ってないなと思っているので(笑)。天気予報が回復傾向なので、ドライタイヤで走れる鈴鹿は今日が最後ではなさそうですし、Q1・Q2含めればあと4回(アタックする)チャンスはあるのですが、5回のうち1回が終わっちゃったなぁという寂しさもあれば、さっき自信は失っていないとは言ったのですが、成績が残らなければドライバーとしては何がいけないんだろうと自分を責めてしまうもので、それが続くと自分の気持ちを保つこともなかなか辛かったのですが、最後、フリー走行とはいえニュータイヤを履いて、予選に向けて気持ちを入れて、1周にかけて走ったアタックの中で、今日参戦したドライバーの中で一番速かったというのは、最高に気持ちよかったです」

「このスーパーフォーミュラが好きと言ったのですが、ライバルと戦ってライバルに勝つことが僕は大好きだったので、ドライバーもそうですし、トヨタさんとのライバル関係で負けたくないっていう思いが自分の原動力だったと思います。そういったライバルたちの前に出て、一番を獲ったことで、改めて『一番っていいな』と思いました。最高のフリー走行だったと思います」

──スタンドには、泣いているファンもいた。

「ひと昔前なら金曜にお客さんがいるというのは、あまりなかったと思うのですが、自分が最後だということもあるかもしれませんが、金曜の段階でお客さんが来てくださって自分の最後を見届けてくれるファンの方もいたというのは、やっぱりすごく嬉しかったです」

「たくさん応援してもらっていたのは感じていたのですが、引退発表してから、SNSでものすごい(数の)メッセージが来ると『こんなに自分は応援されてたんだ。なんで辞めてから気がついたんだろう』と思うことが山ほどあって。他のアスリートの方も引退を宣言してからの同じ気持ちを分かってくれる方がいるかなと思うんですが、スーパーフォーミュラを退くことを決めてから、これだけたくさんの方に応援していただけたっていうのを再認識することができて……引退ってマイナスなことしかないと僕は思ってたんですけど、引退することでこんなにプラスなことがあるんだなっていうのを感じられたっていうのは、ものすごく収穫というか、嬉しい驚きだったなと思います。本当に幸せです」

■「すべてを降りる」ことも一瞬考えた

──15年やってきたフォーミュラカーレースの魅力は。そして引退後は。

「世界各国にレーシングカーはたくさんありますけど、やっぱりタイヤがむき出しで、もうまさにレーシングカーっていうものは、究極はやっぱりフォーミュラーカーだと思います。レーサーにとってフォーミュラカーに乗るということは、ものすごいウエイトを占めてるんだなと感じますし、一番速さを証明できるステージがフォーミュラーカーのレースになるのかなと思って。そこが一番の魅力かなと思います」

「なんか気持ち的には、完全に現役を引退するわけではないのですが、本音を言うと、全部(のカテゴリーから)降りるわけではないから、半分とか、3分の1くらいかなと思っていたものが、3分の2くらい、ぽっかり空いた感じは正直しました。それだけ、フォーミュラカーで走るということはウエイトを占めていたのかなと思いますし……ちょっとフォーミュラだけでなく、すべてのことから降りることを一瞬考えるくらい、メンタル的に落ちちゃったんですけど、そんな中で自分を奮い立たせてくれたのは、さきほども言ったファンの皆さんの応援ですね。自分が辞めることでこんなにも応援してくれていたんだ、と。『スーパーフォーミュラは降りても、スーパーGTは頑張ってください!』と言われたら、ここで気持ちを落としている場合じゃないな、と。まだみんなが求めていてくれて、頑張れって言ってくれるなら、頑張るしかないなと」

「これから先のスーパーフォーミュラへの関わりはまだ何も決めてないですし、決まったことは何もありませんが、この世界で15年間もやらせていただいた中で、自分の視点だったりとか、あとは自分がドライバーだったときに感じていたことだけどドライバーだからこそあまり首を突っ込めなかったりとか、余裕がなかったことがたくさんあるので、何かこのスーパーフォーミュラでの自分の知見が役に立つのであれば、もちろん業界の発展のために貢献したいなとは思っています。ただ、自分がやりたいと言っても、そういう受け皿がなければやれないので、そういったお仕事だったりとか、いいお話があれば、ぜひ引き受けさせていただきたいなと思っています」

──改めて、最終大会を前にして発表したということの思いは。

「自分の投稿にも書いたのですが、フォミュラカーに乗っている姿を最後に見てもらいたいという、ファンの方への恩返しが一番かなと思いましたし、終わった後に『実は、辞めます』というのは何かあまりにも寂しいかなと思いますし、これまでたくさん成績を残されてきた先輩方もたくさんいましたけど、みんなスーパーフォーミュラに関しての引き際というのはどれも少し寂しいなっていう。全部終わってから『乗らないの?』みたいなことをすごく目の当たりにしてきたので、最後自分の形がいいかどうかはもうやってみないと分からなかったのですが、精一杯の恩返しじゃないですけど、自分がこれが最後ですっていうことを言って、たくさん思いっきり応援してもらえたらなとていう思いがありました」

■今週末は「勝ち逃げしたい」

──最後の2レース、どんなレースにしたいか。

「今日の結果次第だなと思ってたんですけど、今日の結果がトップタイムなんかで終わっちゃって、これはやるしかないな、という感じではあります(笑)。もうここまで来たら最後勝って、勝ち逃げしたいなと思います」

「フリー走行終わって何人か選手が来てくれたのですが、『ずるいな』みたいに言われると、『しめしめ』と思ったところもあるし、この最終戦で大切なのはチャンピオン争いをしているドライバーたちですから、自分の引退レースだからといって自分が一番目立つことだけはしたくはないと思っているのですが、いい意味でチャンピオン争いをかき乱して、『最後、(山本に)勝てないで終わっちゃたなぁ』とライバルにたちに思われながら退けたら、それが一番自分のベストな引き際だったと思えるのかな、と」

「でも一番はやっぱりチャンピオン争いをしている選手ですし、その他にもこの最終戦のレースでこれからの人生が変わる選手もたくさんいると思うので、そんなライバルとまたしのぎを削りあって、最後戦えたらいいなと思います」

──3回タイトルを獲得したが、一番バリューが高い、誇りに思うのはどれか。

「ひとつには絞れないです。無理ですね。すべてに思い出があるし、本当に優秀な選手、エンジニアさんはたくさんいると思いますが、どれかひとつが良ければいいわけではなくて、すべてが噛み合さって、噛み合わさってもうまくいかないことが多い中で、僕が3回のタイトルを獲らせてもらった中で優秀なエンジニアさん、メカニックさん、監督さん方とお仕事をさせてもらい、最後自分がステアリングを握ってチャンピオンを獲らせてもらえたのは本当に幸せだったと思いますし、ひとつには絞れません」

「でも本当にどれかひとつに絞ってくれと言われたら、自分の運命が変わったのはやっぱり2013年の最初のタイトルだと思います。あれがすべて、自信を付けさせてくれて、責任・プライド、すべてが生まれたのが2013年最終戦での優勝とチャンピオン(獲得)だったなと。あれがなければ、その後の2回のダブル・タイトルにはつながらなかったと思いますし、ホンダの苦しい時期もあったし、ときには自分が勘違いしてちょっと奢りがあった時期もあったかもしれませんが、でも自分が引っ張っていかないといけないという自覚と覚悟が芽生えたのは2013年のタイトルだったのかなと思うので」

「あれがプロとしての自分を確立してくれて、今の自分ができたのかなと思うので、あのタイトルを取らせてくれたメンバーには特に感謝しています」

──最終大会の舞台が鈴鹿。デビューも鈴鹿、初PPも初優勝も初チャンピオンも鈴鹿。改めて鈴鹿で迎えるラストレースについて。

「僕にとって鈴鹿はすべての人生に大きく影響しているサーキットのひとつ。ここで1992年にF1を見て、黄色いヘルメットをかぶっているアイルトン・セナ選手を見て『なんてカッコいいんだ』『ああいう風に戦ってみたいな』『レーサーになりたいな』と子どもながらに思うきっかけを与えてくれたのがこの鈴鹿サーキットでした。ちょうどシケインで見ていたんです」

「その後に、GTも含めて、初優勝は全部鈴鹿ですし、ポールを獲ったりとか優勝した回数が多いのも鈴鹿。本当に感謝してもしきれないくらい、いろいろと人生を導いてくれたサーキットだと思うので、この鈴鹿サーキットでスーパーフォーミュラの最後を迎えられるというのは、何かの縁なのかなと思います。その縁を大切にしながら、最後に大暴れしたいなと思いますし、優勝目指して頑張りたいと思います」

(会見終了後、フォトセッション前にマイクを握り直して)

「なかなかあまり今まで言えなかったのですが、本当に15年間、メディアの皆さん、たくさん記事にしていただいて、映像を作っていただいて、本当にありがとうございました」

「調子が良いときはペラペラ喋ってたんですけど、結果が悪いときっていうのはなかなか素直になれなくて、ものすごくイライラして、笑顔になって素直に皆さんのインタビューにちゃんと答えられなかったときもあったかもしれませんが、皆さんにたくさん記事にしていただいて地位を確立させてもらえたことは、本当に感謝しています」

「僕はこれで終わりですけど、これからスーパーフォーミュラは長く続きます。これから優秀な選手がたくさんここのステージを皮切りに世界に羽ばたいたりとか、スーパーフォーミュラをもっともっと盛り上げるべく、選手たちが頑張ると思うので、そんな選手たちに最大のリスペクトを送りながら、これからのスーパーフォーミュラを盛り上げていただきたいなと思いますので、引き続きよろしくお願いします。本当にありがとうございました!」

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