ドラマ『わたしの宝物』が女性たちの心をくすぐっている。不倫からの托卵、さらには不倫相手にも夫にもどうやらライバルがいる様子、家庭を大事にしていこうと思った矢先に、家庭を壊そうとする自らの親友の存在もあったりと、なかなかにドロドロな関係を見せてくれようとしている。
「托卵」とは、カッコウなどの鳥類が、自らの卵を他の巣に産みつけ、その巣の持ち主に卵を孵させ子育てをさせること。まさに卵を托すのである。それが転用されて、女性が夫以外の子を出産し、その子を夫に育てさせる(自らも育てるのだが)という状況を言う。
◆夫の子ではないケース、産婦人科医たちの体感で「10人に1人」
いつからヒトに対して「托卵」という衝撃的な言葉を使うようになったのか判然としないが、夫以外の子を妊娠し、出産するケースはかなり以前からあった。生まれてみたら髪の色も目の色も日本人のそれではなかったという笑えないケースも産婦人科医に聞いたことがある。さらには5、6年前に、複数の産婦人科医から「夫の子ではないケースは決して少なくないと思う」と聞いた。
女性が医師に告白するケースもあるし、言わないまでもどこか様子がおかしいので、長年、臨床医をしていればわかるということだった。夫以外の子を産むケースは、一般的には6%程度と言われているが、産婦人科医たちの体感としては「10人に1人くらいいるような気がする」とのことだった。子どもたちの1割は夫の子ではないとするなら、それを多いとみるか少ないとみるか。
◆DNA鑑定が簡単でなかった時代からいた「托卵妻たち」
取材してみると、「自分は父親の子ではなかったと、大人になってからわかった」とか、「内緒だけど2番目の子は夫の子ではない」など、子の立場から当事者の立場から、いろいろな話が聞こえてきた。また、「私の母が、祖父の本当の子ではなかった」という話もあるから、意外と「托卵」は昔からあることなのかもしれない。
DNA鑑定など簡単にできなかった時代から、女たちは脈々と「托卵作業」を続けてきたのだろうか。夫への反乱として、あるいは自分自身の生きる証として。
◆妻たちが「托卵」する“3大理由”は
現代の托卵は、いくつかのパターンに分かれる。ひとつはドラマ同様、夫の子か不倫相手の子かわからないまま産んでしまうケース。夫と離婚寸前というほど険悪な仲なら、「どちらの子かわからない」ことはないから、夫ともそれなりに夫婦として成立している関係での不倫なのだろう。不倫相手をより愛している場合もあれば、妊娠したのだからとにかく産もうと決意する場合もある。
もうひとつは、やはり不倫相手を愛していて、彼の子を産みたいと考えているケース。うっかり妊娠してしまう場合もあるが、用意周到に計画をたてて不倫相手の子を妊娠する場合もある。相手が賛同してくれている場合は、産まれた子を不倫相手に抱かせたり、せっせと写真を送ったりもする。
子を介して、本気で愛している不倫相手との「愛の証」を残したいと語った女性もいる。いつか彼と別れなければならなくなっても、子どもがいれば彼との愛を実感できるはずだから、と。自分の子の成長にこまやかに関われないと嘆く不倫相手もいるのだが、「そこはちゃんとフォローするから」とたまに会わせたりもするそうだ。
◆「優秀な遺伝子を残したい、産むのは“私”なのだから」
最後のパターンは、最近出てきている「夫よりハイスペで好みの男性の子がほしい」という女性側の欲求だ。以前だったら考えられないことかもしれないが、夫より容姿も頭脳も優秀な男性とたまたま知り合い、この人の子がほしいと思ってしまったら、女性はその欲求を止められないのかもしれない。
いずれの場合も興味深いのは、女性たちが夫の心理を深く考えていないところ。悪意があるわけではなく、「子は自分のもの」と考えるのが“メス”としての習性なのかもしれない。そこに男性が口を挟む余地はないというのが女性たちの一貫した言い分だ。「子を産むのは私」なのだから。
そうでなければ、「子どもはかわいいけど夫は憎い」と考えて離婚していくはずがない。遺伝子は半々なのだから、夫が憎くなれば子どもに対してもその気持ちが注がれても不思議はない。だが離婚した女性たちのほとんどは、子どもはかわいい、そしてその子どものためにがんばっていかなければと考えるのだ。そして、そういう傾向があるからこそ、夫への罪悪感も薄い。罪悪感を覚える前に、出産する、命を生み出すという重大な決意をしているのかもしれない。
◆托卵妻は、おそらく今後もいなくなることはない
女性の中には、男性を愛することと「この人の子どもがほしい」という気持ちが直結しているタイプが一定数存在すると思う。だから托卵が起こるのではないだろうか。男性を愛することと、その人の子を産むことはまったく別だと考えるなら、「愛しているから子どもがほしい」は成立しない。
DNA鑑定が簡単にはできなかった時代、産まれた子が「おとうさんには似てないね」と言われても、男性たちは「そんなものか」と思うしかなかった。妻を信じるほかなかったのだ。妊娠できない男たちは妻を信じ、産まれた子をかわいがることで妻の信頼を得て、「父親になっていく」ものだった。現代になっても、妻を薄々疑い、「次男は自分の子ではないかもしれない」などと思いながらも、「事実確認はしない、したくない」と言う男性も少なくない。真実を知ることで不幸になるくらいなら、真実など知らないほうがいいのかもしれない。それは個人の考え方によるだろう。
女だから出産という過酷な体験をしなければならない。そうもいえるが逆に、女だからこそ出産の自由と権利をひとりで握っているともいえる。托卵妻は、おそらく今後もいなくなることはない。
<文/亀山早苗>
【亀山早苗】
フリーライター。著書に『くまモン力ー人を惹きつける愛と魅力の秘密』がある。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio