無名のエースが夏に覚醒し甲子園、そして中日から6位指名 指揮官が振り返る聖カタリナ・有馬恵叶の奇跡

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2024年11月15日 10:10  webスポルティーバ

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聖カタリナ・浮田宏行監督インタビュー(後編)

前編:聖カタリナ・浮田宏行監督はなぜ1年半で甲子園へとたどり着いたのか?はこちら>>

 2024年のドラフト会議で、支配下で指名された選手は69名(育成指名は54名)。そのうち高校生は22名だった。そんななか、身長190センチ、体重79キロという恵まれた体格を持つ聖カタリナ高のエース・有馬恵叶は、中日ドラゴンズから6位指名を受けた。

 高校3年の夏までは全国的にまったくの無名で、昨年秋の愛媛大会では記録員としてベンチに座っていた。そんな選手が、なぜドラフトで指名されるほど成長したのか。

【夏の愛媛大会でエースが覚醒】

 聖カタリナの浮田宏行監督は、「最後の夏、7月まではまったく信用のないピッチャーでした」と笑う。

「前年、オリックスにドラフト2位で指名された河内康介は、私が監督に就任した時点で光るものがありました。でも有馬は、身長こそ190センチあったものの、ピッチャーとしては課題ばかり。チームメイトからもエースだと認められる存在ではありませんでした」

 ただ、冬の練習でのトレーニング量には目を見張るものがあった。有馬は猛練習を積み重ねることで、力を蓄えていった。

「コントロールが悪いのでフォアボールで崩れ、野手のエラーで失点することが多かった。7月まではそんな状態が続きました。だけど、チームにいるピッチャーのなかで誰よりも努力した選手です。だから実績ではなく、その姿勢を認めて背番号1を与えました」

 聖カタリナは昨年につづいてまたしても春季大会で松山学院に敗れ、夏の愛媛大会はノーシードで挑むことになった。

 そんななか、有馬が浮田監督やチームメイトを驚かせるピッチングをしたのが、第2シードの今治西と戦った2回戦(7月20日)だった。

「1回戦はほかのピッチャーが登板し、有馬を今治西にぶつけました。実力では相手のほうが上。思い切って、彼に任せました。トップバッターをフォークで三振させたことで波に乗っていき、終わってみれば9回1失点のピッチング。強豪校にサヨナラ勝ちしたことでチームに勢いがつきました」

 その後も順調に勝ち上がり、初めて夏の甲子園出場を手繰り寄せた。

「2回戦以降は、投げれば投げるほどよくなっていきました。決勝の西条戦で最後のバッターを打ちとった瞬間に、エースと野手、エースと監督とが完璧な信頼関係で結ばれましたね。エースとして信用のなかった有馬が変わった瞬間でした。それまで積み上げてきたことが最後の1カ月で形になったんだと思います。彼の成長がチームを甲子園に導いてくれました」

【不満があったら言うてくれ】

 もちろん、エースの力だけでは甲子園の出場権はつかめない。監督と野手との間にはハードなコミュニケーションがあった。

「春季大会で初戦負けを喫したあと、チーム内にたまったものがあると感じたので、『何を言ってもいいから話し合おうや』と言いました。『監督の采配、選手の起用法に不満があったら言うてくれ』と。とにかく、選手たちの言いたいことを聞く会議をしました。いろいろな意見が出て、ノートが真っ黒になりました(笑)。翌日にも会議をやり、春の大会で学んだこと、これからやるべきことについてみんなで話し合いました」

 監督と選手の間には、野球に対する考え方の違いがあった。

「選手たちは『3点取られたら、5点取り返せ』という野球を教わってきたと。以前であればそれでもOKなんですが、低反発の新基準バットが採用されたことで、その考え方は通用しなくなる。『打て! 打て!』だけでは勝てない。『それならどうしようか?』と、みんなで考えました」

 勝利のために、甲子園に行くためにチームがひとつになりつつあった。

「先輩たちの姿を見ていた今の3年生たちは、最後の夏に向けてどうにかしてまとまろうと考えてくれました。キャプテンの河野嵐を中心にチームのことを第一に考え、次のバッターにつなげる進塁打やバントなどを自分で考えるようになって、チームが変わっていきました。私自身は彼らのレベル、意見に寄り添う形で進めていきました」

 新基準のバットになったことで、得点力は下がった。少ないチャンスをモノにする方法について、チーム全員で考え抜いた。

「たとえばランナー三塁の場面で、それまではスクイズやセーフティースクイズをしていたんですが、バッタースイングする瞬間にランナーがホームに突っ込む"スイングゴー"も試していきました。空振りでランナーがアウトになったこともありましたが、失敗をしながら新しいやり方を身につけていきました。

 また強い打球を打つ意識が芽生えたことで、野手の間を抜けるヒットが増えました。その打ち方が、新基準のバットに最も適していると思っています。ボールを引きつけ、スピンをかけた打球を打たないと遠くまで飛んでいきませんから」

【甲子園では投手戦の末に惜敗】

 8月10日、夏の甲子園初戦で岡山学芸館と対戦した。

「私が松山商業2年の時にチームは甲子園に出ましたが、アルプススタンドにいました。初めて指揮を執るにあたって、恩師である澤田勝彦さん(1996年夏の甲子園優勝監督)に連絡して、ベンチのどこに立つべきかを聞きました。すると『真ん中や!』と言われて、そこから見た甲子園の景色は本当にすばらしくて、聖地と言われる理由がわかりました。また来たくなる場所ですね。試合の日は満員のお客さんが入っていて、選手たちには『こんなところで野球ができることは本当に幸せやから、楽しんでやろう』と言いました」

 岡山学芸館戦は息詰まる投手戦となったが、接戦の末に敗れた。

「有馬は7月から8月の間の1カ月でほんとに成長し、完全に信用されるエースになっていました。打線が相手投手を打ち崩せずに0対1で敗れましたが、ほんとにすばらしいピッチングを見せてくれました」

 有馬は7回2/3を投げて被安打4、失点1(自責点0)の好投を披露し、「将来が楽しみな投手」「伸びしろはかなりありそう」とプロ野球のスカウトから高い評価を受けた。

 甲子園初勝利はつかめなかったが、たしかな収穫を手にすることができた。

「愛媛大会では送りバントやセーフティースクイズを駆使して勝ってきたんです。ほぼ成功していたのに、甲子園ではことごとく失敗してしまいました。甲子園に出てくるピッチャーはストライクゾーンの際どいところに投げ込んでくるので、簡単にバントをさせてもらえない。迷ったまま打席に立つと、うまくいきませんね。『これが全国の戦いなんだ』と。普段の練習から不安のある選手は、失敗する可能性が高いと痛感しました。練習でその不安をなくしていかないといけません」

 甲子園出場は果たしたものの、チームには課題が山積している。不祥事の余波もあり、現在、2年生はひとりだけ。1年生も15人しかいない。紅白戦などの実戦練習もままならない状態だ。

「3年生がいた時は、選手に寄り添う形でチームづくりをしていましたが、今は部員が少ない。4月になれば新入生が入ってきますが、本当にイチからのスタートになります。これまでとは違う厳しさを持って、選手を鍛えていくつもりです」

 そのために必要なことは、細やかなコミュニケーションだ。

「昔のように、選手を立場で服従させることはできません。大事なものは、やっぱり言葉だと思います。相手の意見を聞いて、感情的になったら負け。自分の考えや思いを言葉にして、しっかり伝えることが必要ですよね。普段からそう心がけています。

「もちろん野球の技術を身につけ、うまくなるために練習するわけですが、甲子園はそのご褒美だと思います。まずは人間力をしっかり鍛えることが大事だと思っています。甲子園に出ても不祥事を起こしたら、まったく意味がありませんから」

 53歳の新米監督は、甲子園よりも先を見ていた。

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