元・SMAPのメンバーであり“平成を抱いた男”として、今なお日本を代表するトップ俳優に君臨する木村拓哉。
そんなキムタクのモノマネをしながらトンデモ料理を作る動画がSNSでバズりまくり、インスタグラムのフォロワーが17万人超え。ついには香港でのCM出演も果たしノリに乗るモノマネ芸人・元木敦士(41歳)。
そんな彼がキムタクのモノマネを始めたきっかけから異常なまでのキムタク愛まで、“ぶっちゃけ”トークを語ってくれた。
◆芸人になったがスベリ続きの日々
――そもそも、元木さんが芸人になった当初はどういうネタをされていたのでしょうか?
元木敦士(以下、元木):元々お笑いが好きで、高校を卒業後に友達と芸人を目指す約束をしていたんです。でも、友達は大学に行くと言い出して、一人で上京するはめになって……。
東京で相方を見つけようとしたんですが、数年間見つからなくて一念発起してピンでやることを決断しました。そのときは「ぬいぐるみプロレスコント」をやっていましたね。
――気になります(笑)。どんな芸だったんですか?
元木:自分と同じ身長180センチぐらいのぬいぐるみを作って、プロレス技をかけるネタです。フリーライブで何度もやっていたんですけど、ライブのアンケートに「今年イチ面白くない」って書かれてました(笑)。シュールすぎたのかな。
――それまでキムタクのモノマネは?
元木:ライブではやってないです。もちろん、木村拓哉さんが男子の憧れだった世代なので、ただただ大好きな存在ではありました。なので出演しているドラマを見たり、ファッションをマネしていたりはしていました。
――「顔が似ている」と言われたことは?
元木:高校に入ってモテたい気持ちが生まれて、髪を伸ばして木村さんの髪型っぽくしてたんですが、周りに「似てるね」とは言われた事はなく、寂しかったので自分から『俺はキムタクだ!』って言い張ってました。イタイ奴だったと思います(笑)。
でも、あくまで憧れているだけなので、それを芸人のネタにしようっていう考えは一切なかったですね!
◆キムタクモノマネとの出会い
――そこからキムタクモノマネを始めるに至った経緯は?
元木:芸人として全く売れていないときに『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』の番組オーディションの機会をいただいたんです。そのときに「これは大好きなキムタクをやるしかない!」と思い立ったんです。
キムタクの格好でオーディション会場に入った瞬間、審査員が爆笑して「これはいけるかも」と思いました。それでいざモノマネを始めたら、声が信じられないぐらい似ていなくて、めちゃくちゃ驚かれましたね(笑)。
でも審査員さんはそのギャップを面白がってくれたみたいでテレビ出演が決まったんです。それから僕の運命が変わり始めましたね。
――それが転機だったんですね。そこから本格的にキムタクモノマネをネタに?
元木:そうですね。キムタクのショートモノマネをライブでもやり始めたらウケるようになって、ようやく芸人として手ごたえを感じられるようになった感じです。
◆本人の前でネタを披露したときに言われた一言
――その後『木村さ〜〜ん!』(GYAO!)という番組では本人の前でモノマネを披露されました。そのときの記憶は?
元木:頭が真っ白になりましたね。生で見る木村さんはカッコよくてオーラもすごかった記憶しかないです。
――モノマネを披露した際の、木村さんの反応は?
元木:キムタクモノマネ芸人が何人か出ていく形式だったんですが、僕の実力不足と空回りで全然うまくいかなかったんです。
後半に一緒に歌うコーナーもあったんですが、僕めっちゃ音痴だったんですよ。その時木村さんが笑いながら「彼の後は歌えないよ」っていじってくれて、救われましたね(笑)。
――木村さんの愛ですね。それが初対面だったんですか?
元木:実は、その前にSMAPの『ユーモアしちゃうよ』という楽曲のPVで“モノマネSMAP”として共演したことがあったんです。でも、お会いしたのは本番の一瞬だけで……。
PVで木村さんが僕の肩に腕を乗せてくれて、めちゃくちゃ興奮したことだけは覚えています。そのとき着ていたニットは「洗ったらダメだ」と思って今も保管しています(笑)。
◆インスタのモノマネ料理動画で大バズり!
――インスタグラムでキムタクモノマネをしながら料理を作る動画がバズっていますが、これを始めたきっかけは?
元木:その時の現状を変えたかったんです。木村さんと共演させていただいた時に、全然うまくアピールできなくて、自分の力不足を痛感しました。
想いが強かった分、情けなくてしばらくヘコんでいたんですが…このままじゃダメだと思い、「モノマネ以外でもいいから、何かアピールできる事探そう!」って立ち上がったのがきっかけです(笑)。
それで何だったら続けられるだろうと考え直しているときに、世界中に見られるモノがいいなと考え、いろんなSNSを研究しました。そこで海外の動画で「食事」や「料理」系の動画が当たっていることを知って、料理なら飽きずに続けられるし、多くの人に見てもらえるんじゃないかなとひらめいたんです。
――なかなか戦略的ですね。他に工夫した点は?
元木:料理動画もプロの料理人がやっているのでそこには勝てないだろうから、だったらアホっぽい変わった料理や珍しい盛り付けをしてみることにしました。特大サンドウィッチやジャンボたこ焼き、魚の丸焼きとか。
――これまでで一番反響があったのは?
元木:「ラビリンスカレー」っていうお米を固めて迷路を作ってルーを流していくカレーの動画ですね。この動画を公開したら「料理で遊ぶな」とか「子供が喜びそうだからよいじゃないか」とか、賛否両論のコメント合戦が始まって……。
ついには英語でも言い合いが始まって世界中で見られ出したんですよ(笑)。良くも悪くも起爆剤になったのはそれですね。もちろん、毎回作ったモノはおいしく完食していますよ。
木村さんのモノマネだけでやっていた頃は6000人ぐらいだったフォローが、一気に17万人ぐらいまで増えて、自分でも驚いています。
◆アジアに拡散されて香港のCM出演が決定
――料理動画がバズって変化はありましたか?
元木:日本はもちろんですけど、アジア圏ですごく見てもらえているようで「キムタクに似た男が変な料理を作る動画がある」と香港のネットニュースになったんですよ(笑)。
それがきっかけで、香港のフードデリバリサービス『Deliveroo』のCMにも出演が決まりました。こんなことが起こるんだとびっくりしましたね。
――CM撮影はいかがでしたか?
元木:最初はドッキリだと疑っていましたよ(笑)。でも現場に入ったらちゃんとスタッフも大勢いて機材もあるし、ガチだと信用できました。広東語と英語だけが飛び交う中で必死に撮影に臨みました。それも反響があって、他にもアジアの仕事もいただけるようになっていますね。
――では本格的にアジア進出も考えている?
元木:目標の一つではあります。でもモノマネをしている僕が起用されるということは、やっぱり香港とか台湾で木村さんの人気が絶大だというところが大きい。改めて木村さんの凄さとかカリスマ性を感じています。
◆元木流キムタクモノマネのこだわり
――元木さんがキムタクモノマネをするうえでこだわっていることは?
元木:出演作やCMを見てポーズや仕草も研究していますけど、一番は衣装ですね。コートやジャケットはもちろん、ドラマ『プライド』でアイスホッケー選手の役をされたときはアイスホッケー衣装を40万円ぐらいかけて揃えました。
映画『レジェンド&バタフライ』で織田信長を演じていたときは、信長っぽい着物やカツラなどを用意するのに60万ぐらいかかりましたね。これまでの衣装代だけで総額300万円は使っていると思います。
だから、新しいドラマに出演されるのは楽しみなんですけど毎回衣装を気にしています。宇宙飛行士役にすることになったら、いくらかかるんだろうとか(笑)。コールセンターのバイトをして補填することもあります。
――モノマネ芸人の枠を超えたこだわりですね。
元木:似せたいという思いよりは木村さんのようになりたい、近づきたいんですよ。僕の場合は木村さんのモノマネをしているというよりは、木村さんのコスプレイヤーという認識が近いかもしれないですね(笑)。だから衣装代にお金がかかっても平気です。
――キムタクモノマネ芸人は他にもいると思うんですが、ギスギスはしていないですか?
元木:ホリさんとか松村邦洋さんを中心に、今も木村さんのモノマネをする人が増えていますけど、しゃべりが似ている人や歌が似ている人、外見が似ている人といった具合にモノマネのタイプが別々なので、ギスギス感はないどころか仲良しですよ!
同じ現場になることも多いので、僕が持っている衣装を貸したりしています。ライバルというかみんなで“キムタクモノマネ業界”を盛り上げようって感じです。
――最後になりますが、今後の目標を教えてください!
元木:40代になって、若い頃のような焦りもないので気長にやっていきたいです。最終目標は、70歳ぐらいのおじいちゃんになっても外ハネロングヘアーのカツラを被って「俺はキムタクだぞ!」って言い張って生き続けたいかな。
キムタクに憧れている名物おじいちゃんみたいな存在になっていたら最高です(笑)。
【元木敦士】
‘83年、香川県出身。木村拓哉のモノマネを得意とする芸人としてSNSをきっかけに人気沸騰中。EXILE TAKAHIROのモノマネ芸人・松本和也とお笑いコンビ「キムザイル」として活動するほか、『六本木ものまねハウスSTAR』のステージにも出演している。
<取材・文/瀬戸大希、撮影/市村円香>