子どもたちの日常生活の中にはさまざまな「体験」の機会があります。放課後に通う習い事、週末や長期の休みに参加するキャンプや旅行、スポーツ観戦、芸術鑑賞、動物園や水族館へのお出かけ......。人間としての想像力や選択肢の幅は大なり小なりこうした「体験」の影響を受けているものです。しかし現実は「したいと思えば自由にできる(させてもらえる)子どもたち」と「したいと思ってもできない(させてもらえない)子どもたち」がいて、そこには明らかな「格差」が存在しています。今井悠介さんの著書『体験格差』には、そうした格差の実態や解決策などが記されています。
子どもたちの体験格差に大きく関係しているのは親の経済状況です。今井さんらがおこなった調査によると、世帯年収が低い家庭ほど「体験」の割合が少なく、低所得家庭の子どもの約3人に1人が、直近1年間で近所のお祭りにも行ったことがない「体験ゼロ」だったそうです。「体験をさせてあげられなかった理由」について尋ねたところ、世帯年収300万円未満の家庭では「保護者の経済的理由」が半数以上を占めました。子どもたちの「体験」にとって「お金」が大きな壁になっていることがわかります。しかし理由はこれだけではありません。
先ほどの「体験をさせてあげられなかった理由」で次に多かったのが、「保護者の時間的理由」です。ひとり親家庭でかつ働いている場合、習い事の送り迎えなどの時間的な負担が壁となり、子どもが「体験」の場に参加することが難しいケースが多いようです。同書に収録されている8人の保護者におこなったインタビューを読むと、子どもの希望を聞いてあげたい気持ちはあるものの、必死に生活費を稼いで子育てする中で、子どもの習い事の送り迎えや付き添いまでおこなうのは、時間的にも体力的にも困難だという実情がうかがえます。
こうした「体験格差」は各家庭間の問題であり、仕方がないものなのでしょうか。「チャンス・フォー・チルドレン」という団体を立ち上げ、「スタディクーポン」という仕組みで低所得家庭の子どもたちに対する学校外教育費用の支援をおこなっている今井さんは、このように述べています。
「たまたま裕福な家庭に生まれた子どもたちばかりが様々な『体験』の機会を得られ、それによって大人になってからの収入などの格差が再生産されているとすれば、とてもフェアな社会とは言えないだろう」(同書より)
そして同書では、子どもたちの「体験格差」の解消に向けた取り組みとして「体験と子どもをつなぐ支援を広げる」など5つの提案をおこなっています。
子どもにとっての「体験」は贅沢品なのか、それとも必需品なのか――。同書を読んで、皆さんにも「体験格差」について考えてみていただきたいです。
[文・鷺ノ宮やよい]
『体験格差 (講談社現代新書 2741)』
著者:今井 悠介
出版社:講談社
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