40歳ジュノンボーイ俳優の“出番が少ないなり”の工夫とは。他のゼロ年代グランプリ達にも求められる職人技

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2024年11月30日 08:50  女子SPA!

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『JUNON』誌が主催する「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」は、今年で37回を数える。でも近年、同コンテストの存在意義がどうも薄れているように思う。

 2002年の第15回でグランプリを受賞したのは、平岡祐太だが、彼のようなジュノン全盛といえるゼロ年代の受賞者には、2020年代の現在まで活躍を続けている俳優が少なくない。

 毎週土曜日よる9時から放送されている『放課後カルテ』(日本テレビ)に出演する平岡祐太を見て、ジュノン・ボーイの活躍について考えた。イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が解説する。

◆平岡祐太がレギュラー出演

 松下洸平が意外にも連ドラ単独初主演だという『放課後カルテ』に、平岡祐太が小学校の先生役で出演している。平岡が連ドラにレギュラー出演するのを久しぶりに見た気がする。

 まだそこまで推し活が社会全体で盛り上がる前、『内田康夫サスペンス 新・浅見光彦シリーズ』(TBS、以下、『新・浅見光彦』)で4代目の浅見光彦俳優になった2017年まで筆者のイチオシは平岡祐太だった。映画、ドラマ、舞台(2015年に野村萬斎が企画・監修した『道玄坂奇譚』は最高だった!)問わず、すべての出演作品を熱心に見ていた。

『新・浅見光彦』以降はなぜか推し活をやめてしまったのだが、そんな筆者の個人的な経験と関係なく、2003年に『ライオン先生』(日本テレビ)で俳優デビューして以来、2024年まで平岡祐太の出演作がとだえたことはない。

◆画面上の情報量は少ないが

 ということは、20年以上出演を続けていることになる。でも、初期の出演作である『スウィングガールズ』(2004年)や『プロポーズ大作戦』(フジテレビ、2007年)の頃に比べると、そこまで目立つ役を演じることは少ない。でも、出番が少ないなりに固有の存在感がある。

『放課後カルテ』でも、画面上の情報量は少ないが、少ない情報量なりにはっきりわかることがある。平岡の出番となる場面で、画面上に配置される、その立ち位置だ。

 第1話、東多摩第八小学校の保健室に学校医として常駐することになった主人公・牧野峻(松下洸平)が、ぶっきらぼうに挨拶する始業式場面で平岡が初登場する。体育館の右手に並ぶ教師たちの中に、平岡演じる6年1組担任の藤岡雅史がいる。

◆下手側に配置される

 峻が挨拶をすませて解散後、6年2組担任である篠谷陽子(森川葵)がもう少し愛想よくできないものかと峻に注意する。峻は粗暴な態度を変えず、取り合おうとしない。唖然とする篠原の元に他の教師たちがやってくる。

 画面右に篠原、中央あたりに他の教師たちが配置され、下手から藤岡がフレームインする。「なんなの」と憤る篠原を「まぁまぁ」となだめたあとは、うんうんうなづくだけ。第2話の職員室場面でも、篠原が画面上手、藤岡が下手。

 画面上の少ない情報量から考えるに、本作の平岡祐太は画面の下手側に配置されることが多い。ドラマの演出上、そこまで厳密に配置されているとは考えにくいが、平岡は最近の出演作でもこうした配置が細かく気になる人ではある。

◆細かく共通する俳優としての特性

 3組の夫婦が登場するオムニバス形式のドラマ『極限夫婦』(関西テレビ、2024年)で、北乃きいを相手役に第3話に平岡が出演した。大学の先輩後輩である北斗達也(平岡祐太)と北斗亜紀(北乃きい)が居酒屋で再会する、平岡の初登場場面。ひとりで飲んでいた亜紀が、他の男性客にからまれているところへ、達也が助けに入る。

 初登場した平岡の背面が写る。カメラが上手から下手へ回り込むように移動して、平岡の前面(クロースアップ)を捉える。ひとつのフレーム(画面)内で上手側、下手側へ軸がややズレながら、平岡はその都度、下手側に身体を微調整している。みたいに指摘するのは、考え過ぎだろうか?

 2003年から2024年までの膨大な過去作をひとつひとつ確認したら、たぶん下手側に位置する平岡がいくらでも見いだせると思う。少ない出番、少ない情報量の最新出演作品からでも、細かく共通する俳優としての特性がある。

◆ゼロ年代はジュノン・ボーイの称号に価値があった時代

 そもそも平岡祐太を語るためには、彼がジュノン・スーパーボーイ・コンテストの出身者である事実を確認しておかなければならない。平岡がグランプリを受賞したのは、2002年の第15回。前年のグランプリ受賞者が、小池徹平。

 さらに歴代受賞者から特筆すべきは、第19回(2006年)の溝端淳平。前年が、中村蒼。2009年の第22回が稲葉友である。彼らの現在の活躍を考えると、ゼロ年代は、ジュノン・ボーイであるという称号に価値があった時代だったとわかる。

 1997年の第10回以降、1万人の応募者総数を超えるようになったものの、近年は減少傾向にあることやデビューのチャンスが他の場所にシフトしたこともあり、コンテストそのものの存在意義が薄れている。ゼロ年代の歴代グランプリ受賞者が2020年代まで長く活躍するためには、平岡祐太のように画面細部で、ある種、職人的に工夫する必要があるのかぁと漠然と考えてみた。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

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