29日の船橋開催をもって、森泰斗騎手がジョッキー人生にピリオドを打った。地方通算4448勝を挙げ、南関東リーディングを8度、全国リーディングも5回獲得。今年も勝ち鞍で全国1位を独走している中での決断だった。足利競馬場でデビューし約四半世紀。引退会見では苦境の時代も生きた名手のこれまでを振り返りつつ、今はなき北関東競馬への思いを馳せた。
地方競馬がどん底の時期を乗り越え、全盛期を迎えるまで、時代の変化を最前線で受け止めてきたキャリア。バブル崩壊などの影響を受け、全国の競馬場が徐々に売上を減らしはじめた中でのデビューだった。1年目の98年は17勝で順調にすべり出し、2年目には29勝まで数字を伸ばしたが、仕事に身が入らず一度目の引退。だが、「外から見るとジョッキーの姿が格好よく見えた。なんで手放してしまったんだろうか」と奮起。厩務員を経て01年に騎手免許を再取得した。
再デビュー後はメキメキと頭角を現し、リーディング上位に名を連ねるようになる。しかし、地方競馬を取り巻く環境はますます厳しく、売上が底を打ち、全国で廃止が相次ぐ。北関東競馬も例に漏れず、03年に所属の足利が廃止。それにともない宇都宮に移ったが、同競馬場も05年3月に幕を閉じた。森騎手は船橋の松代眞厩舎への移籍を決意。積み上げてきたものが消え、一からのスタートとなったが、「船橋できつかったことは?」との問いには、師匠とのエピソードを挙げる。
「松代先生はものすごく厳しい方で、来た当初は僕もまだ“小僧”でしたから、反発したりして、その分さらに怒られて。非常に苦しかったけど、いま思うとありがたかったなと思う。これから時間もできるので、先生のお墓参りに行こうと、マネジャーと計画している」
なかなか白星が伸びない年もあったが、それでも「勝ちにこだわって乗りたい。ファンや関係者に納得して貰えるように乗りたい」とポリシーを貫き、コツコツと信頼と実績を積み上げた。気づけば2010年に年間100勝を超え、14年に初の南関東リーディングを獲得。翌年には地方全国リーディングに輝き、押しも押されもせぬトップジョッキーへと上り詰めた。
南関東で頂点を極めたが、北関東競馬を思う心はいまも忘れない。「僕の原点。色々な技術や人との付き合いかたを一番吸収する時期に過ごしてきた。当時の関係者とは今でも付き合いがあるし、“故郷”という感じで懐かしくも思う。今でもやっていて欲しかったなぁという気持ちです」。
地方競馬の売上は年間1兆円を超え、昨年は2年連続で過去最高を記録。森騎手は改めてファンに感謝を述べ、自身の思いを次世代の人びとに託した。「ファンがいないと競馬は成り立たない。地方競馬がここまで来れたのも、本当にファンの皆さまのおかげ。僕はジョッキーではなくなりますが、今後も地方競馬が前のように衰退しないように応援して頂きたいと思う。そのためにも特にジョッキーはひとり一人が自覚を持ってほしい」。
厳しい事態を目の当たりにしてきた森騎手だからこそ、伝えたい言葉を残してムチを置いた。