連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第82話
「留学できなかった」というコンプレックスを糧に、ユニークな方法を独自に考案し、「いろいろな海外」を積極的に経験してきた筆者。今回はそのきっかけのひとつでもある、イスラエルへの突撃訪問についてつづる。
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■「突撃訪問」のきっかけをたどる
この連載コラムの40話でも紹介したことがあるが、今から10年以上前の2010年代前半、京都大学でポスドクや助教として働いていた頃の私は、興味のある研究をしている海外の研究者と国際学会で知り合い、そこでコネを作っては、彼らの研究室に突撃訪問し、講演をさせてもらったりしていた。
今、思い返せば「若気の至り」のひと言に尽きるが、それは当時から自覚していて、「若いときの恥はかき捨て」と自分に言い聞かせ、拙い英語とボディランゲージを駆使して突撃していた。あの頃と同じようなことは、不惑を過ぎた現在の私にはとてもできないだろう。
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そういう意味でも、20代後半から30代前半の頃にあのような経験をしていて良かったな、と思う。あのような経験がなければ、今のような研究スタイルはとれていなかっただろうから。
ただしこれは、「アカデミア(研究業界)」のキャリアパスとしては一般的なものではないのかもしれない。「海外留学できなかった」というコンプレックスを抱えていた私が、誰に教わったわけでもなく、そのコンプレックスを克服するために始めたものだ。
最初は、アメリカ・コールドスプリングハーバーでの研究集会(52話、61話など)の前後に、アメリカに留学していた先輩や友人の元を訪問するところから始まった。それで少しずつ味を占めた私は、国際学会で知り合った研究者の元を訪れるようになり、いつしかそれがエスカレートし、「知ってるけど、対面で会ったことのない研究者」のところにまで突撃訪問するようになった。81話でも振り返ったが、これが最近の私の常套手段になりつつある。
こんな活動をいつから始めたのか? ということを思い返してみた。記憶と記録をたどってみると、それは2017年の9月、イスラエルのレホボトという街にある、ワイツマン研究所への訪問だった。
その経緯については40話にも書いているが、2010年代の半ば、エイズウイルスの研究をしていた当時の私は、ワイツマン研究所のギデオン・シュライバー(Gideon Schreiber)教授から、実験に必要な試薬の提供を受けていた。その依頼やお礼はすべてメールですませていた。当時はZoomやSkypeのようなアプリを使ってオンラインで研究のディスカッションをする文化は(すくなくとも私の周りでは)一般的ではなく、面識のないまま、その共同研究は進んだ。
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2017年の半ば、その共同研究にもひと段落がついた(ちなみにこの研究成果は、翌2018年に論文にまとめた)。そこで、試薬の提供のお礼も兼ねて、これからの共同研究の方針を探るために、イスラエルに突撃訪問することにしたのである。これも40話にも書いているが、結果的にこの行動が、2022年以降、イリとの交流(41話、70話参照)も含めて、G2P-Japanとしての研究を発展させるための布石になっていたのだから、やはり何がどこでどう展開するのかはわからないものである。
■2017年、イスラエル、レホボト
さて、さかのぼるは2017年の9月。このときは、オランダで別の用務を済ませてからの訪以だった(ちなみにイスラエルは、漢字一文字で「以」と書くそうです)。アムステルダムのスキポール空港から、エル・アル航空というイスラエルの国営航空会社の便だったのだが、このイスラエル行きの飛行機に乗るための審査がとんでもなく大変だった。
まず、私の身元を証明するために、「お前の大学のウェブサイトに、お前の名前が本当に記載されているか見せろ」と言われた(幸いにして、京都大学は私の名前を英語で載せてくれていた)。さらに、訪以の目的を告げると、「じゃあ、本当に英語でプレゼンができるのか、ここで俺に向かってプレゼンしてみろ」と言うのである。
想像してみてほしい。場所は飛行機のチェックインカウンターである。発表の内容はだいぶ端折ったが、私はそこで、エル・アル航空のひとりのグランドスタッフを相手に、10分以上プレゼンをした。質疑応答までした。私ひとりの出国審査だけで、40分以上かかっていたと思う。とんでもない国だな、と、このときは思った。
――しかし、いざ到着してみると、その印象はがらりと変わった。
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このコラムにはやたらといろいろな国の料理の写真を載せているが、それは、いろいろなところでいろいろな料理を食べてみることが、私が出張するときのささやかな楽しみだからである。イスラエルの特筆すべきところのひとつだが、食べるものすべてがとても美味しかった。
フムス(ひよこ豆のペースト)やナス料理が多いところなどは、地理的に中東からの影響があるのだと思う。また、地中海に面しているので、トマトやオリーブオイルなど、地中海料理の影響を多分に受けた品々は、とにかく絶品のひと言だった。
そして、イスラエルはとにかく、美人が多い。みんなナタリー・ポートマンみたいなのである。帰国してしばらくは、テレビに映る女性タレントを見ても、「ひ、平たい顔族だ......」と思うほどだった(ちなみにそのような偏見は、帰国後数日でちゃんと解消された)。
イスラエルでは、女性にも兵役義務がある。銃を担いだ軍服姿の女性も多く見かけた。ショッピングモールで、その格好のままで談笑しながら買い物をしたりしている姿にはさすがに違和感を覚えた。
ワイツマン研究所のあるレホボトから、滞在先のホテルのあるテルアビブまでは電車で30分ほどかかる。テルアビブに戻り、地中海のビーチ沿いのレストランで夕食をとった。その前に少しだけ泳いだテルアビブのビーチは、人生最高のひとときだったと言っても過言ではない。
夕暮れ、ビーチでひとり、たそがれている女性がいた。旅の恥はかき捨て、思い切って声をかけてみる。すると彼女は、「兵役を終えて帰ってきたところなの」と言った(ちなみにそこから先、私の英会話力、コミュ力では、特に会話が広がることはなかったのはいうまでもない)。
いずれにせよ、おいしい料理、美人、きれいなビーチ、そして高い研究水準。私にとってのイスラエルはとても印象の良い国で、コロナ禍が落ち着いたら、ぜひまた訪れたいと思っていた国のひとつだった。
――そんな国が、パレスチナと戦争を始めて1年以上が経った。
■ワイツマン研究所への突撃訪問で得たもの
ワイツマン研究所では、ギデオンとの共同研究の成果を発表した。そしてその後には、訪問相手であるギデオンと、これから一緒にどんなことができるか、というようなことを、ランチを取りながら話をしたと記憶している。
しかし、具体的にどんなことをしよう、というところまで話が広がった記憶はない。短期的な視点でいえば、この訪問が何か実を結んだかというと、正直疑問符がつく。しかし上述、あるいは40話でも紹介している通り、この突撃訪問によって、「ギデオンと対面で会い、お互いに面識を持ち、お互いの『人となり』を知る」という布石を打っていなければ、2022年以降のG2P-Japanの飛躍はなかった。そういう中長期的な視点からすれば、これは充分に成功に値する訪問だったのだと思う。
むしろ、この訪問で私が得たいちばんの収穫は、「面識のない海外の研究者のところにも、突撃訪問ができる!」という経験と自信だったと思う。今振り返ってみると、30代という比較的若いうちにそういう機会を能動的に作り、それを実践できた、という「経験値」が、今につながっているように思う。
文・写真/佐藤 佳