試合はまだ終わっていなかった。
それなのに、ヴィッセル神戸の武藤嘉紀は涙をこぼした。
12月7日に行なわれたJ1リーグ最終節の70分、ヴィッセルの扇原貴宏が豪快な左足ミドルを突き刺す。湘南ベルマーレとのホームゲームは、これで3-0だ。リーグ優勝と連覇を、大きく手繰り寄せた瞬間だった。
「3点目が決まった瞬間は、正直、何かホッとして、勝手に涙が出てきてしまったんですけど。何て言うのかな、この一週間は人生で一番長い1週間だと感じました。
夜、優勝を逃す悪夢を見て、起きてホッとするというのが2、3回続いて、ホントにメンタル的にかなりこたえていたんじゃないかなっていう。それぐらい今日は大きな試合だと自覚していたし、だからこそ、勝った喜びはホントに計り知れない」
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武藤自身は1-0でリードした43分に、チームの2点目をマークしている。GK前川薫也が前線へ蹴り出したボールを大迫勇也が競り勝ち、佐々木大樹がペナルティエリア内左でGKとDFラインの間を取り、ゴール前中央の武藤へとつなぐ。相手GKが飛び出してがら空きとなったゴールへ、背番号11は冷静に流し込んだ。
「2点目の重要性はわかっていたので、貴重な得点を決めることができてうれしいですね」
26分の先制点にも、武藤は関わっている。右サイドの酒井高徳からのクロスを、DFに競り勝ってヘディングで合わせる。相手GKが弾いて左ポストを叩いたボールを、宮代大聖が難なくプッシュしたのだった。
さらに言えば、「湘南に勝てば自力で優勝」という状況を作り出したのも武藤である。J1残留を争う柏レイソルとアウェーで対戦した前節で、後半アディショナルタイムにゴールを決めてチームに勝ち点1をもたらした。この試合に引分けたことで、2位のサンフレッチェ広島に勝ち点1差をつけて最終節を迎えたのである。
「降格ギリギリの相手で、かつアウェーで、レイソル戦は本当に難しさがありました。最初に失点してしまってそこから守られて、こじ開けるのにかなりの時間を要してしまって。けれど、あの1点が自力優勝に大きくプラスになりましたし、2位、3位のチームにかなりのプレッシャーを与えられたと思うので。そこは非常に大きかったです」
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【あばら骨を折ってもピッチに立ち続けた】
今シーズンはチームトップにしてキャリアハイに並ぶ13ゴールをマークした。アシストも「7」を数える。大迫、宮代、武藤の3人が並び、佐々木らも加わることで「相手のマークが分散されて、みんなが(ゴールが)取れている」(吉田孝行監督)ところはあっただろう。
そのうえで言えば、武藤がシーズンを通して高いパフォーマンスを保ったのは間違いない。4月の湘南戦で肋骨を骨折したが、翌節以降も欠場することなくピッチに立ち続けた。37試合出場はGK前川、CB山川哲史と武藤の3人だけで、プレータイムはチームで4番目に多い。
「あばら骨も折りましたし、大変な1年でした。痛みを抱えてやった試合も多々あったんですけど、とにかく気合で乗りきった1年だった。(天皇杯との)2冠プラス連覇ができて、すべてが報われたかなと思います」
達成感を口にするが、表情に満足感はない。
「今がベストじゃなくて、また来年もさらに成長できるように。この歳になったら、トレーニングをやめてしまったら、それでもう衰退が進んでしまう。とにかく自分にプレッシャーをかけて、日々トレーニング続けたい」
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自らと厳しく向き合うが、連覇を決めた夜だけは自分を解放した。試合後に神戸市内のホテルで催された祝勝会では、チームメイトとビールかけを楽しんだ。
「1年間、ほぼお酒も飲まなかったです。今日だけはみんなで飲んで、ぐっすり眠りたいと思ってます」
リーグ戦が全日程を終えた9日以降も、武藤はメディアの注目を集める。神戸との契約が、今シーズンまでとなっているからだ。
クラブ側からは条件提示を受けているが、浦和レッズが獲得に乗り出すとの報道もある。湘南戦後に去就について問われると、武藤は現時点で話せることを答えていく。
「ここまではサッカーだけに集中するってことで、次のシーズンの話は進めなかったんですけど、ここからどうなるかは正直、自分でもまだわかっていないところがある。ヴィッセルが自分に対してどう思ってくれているのか、そういったのも全部含めて、何が自分にとってベストなのかを考えて意思決定をしたい」
【ヴィッセル神戸での幸せな3年半】
ヴィッセルへの思いはある。2021年夏の加入にあたって、クラブ側が示した熱意は胸に刻まれている。
「その時の監督、チームが僕の力を必要としてくれて、ヴィッセルを選んで、その結果としてこれだけのパワーを発揮できた。信頼してくださって、自分の力を必要としてくださった。それが僕をここまで駆り立てたので、そういったのはものをしっかり大事にしたい。ここに来た理由はタイトルもたらすことで、それについては何とか、少しは貢献できたかなと」
シーズン途中の加入となった2021年は、14試合出場で5得点7アシストを記録した。2022年は6得点1アシストにとどまったが、2023年は10得点10アシストと数字を残し、クラブ史上初のJ1リーグ優勝に貢献した。自身はベストイレブンに選出された。今シーズンはMVPの有力な候補とも言われる。
「自分の力を必要としてくれるところでやる。それに尽きるかな、と。ヴィッセルでの3年半は悪い時もありましたけど、こんなに幸せな3年半も考えてみればなかった。これまではあまり今後について考えられなかったのですが、すべてが終わったので、ここで一度落ち着いて考えていきたいです」
2025年のJ1リーグは、2月第2週に開幕する。プレシーズンの準備を6週間とすると、1月6日から10日あたりが始動のタイミングになるだろう。
神戸は開幕に先駆けてACLが組まれており、来シーズンも過密日程が待ち受ける。攻撃のキーパーソンにしてチームリーダーのひとりでもある武藤は、欠くことのできない選手だ。
試合中に、試合後にこぼした涙は、果たしてどんな意味を持っていたのか。タイトルをもたらすという使命を果たしたことで、感情を揺さぶられたのか。あるいは、何かのシグナルだったのか──。
円熟期にある32歳の決断に、注目しないわけにはいかない。