小倉智昭さん「ふざけんな。主賓なんかじゃ出ない」粋な結婚祝い…ニッポン放送アナが涙の感謝

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2024年12月10日 09:04  日刊スポーツ

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飯田浩司アナウンサー(11年12月撮影)

ニッポン放送の飯田浩司アナウンサーが10日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(月〜金曜午前6時)に出演し、9日に77歳で亡くなったフリーアナウンサーの小倉智昭さんに感謝の言葉を送った。


番組冒頭、飯田アナは「この朝の番組、2018年の4月から始まって、かれこれ6年、7年目に入っている、というところですが、朝の番組の、ニッポン放送だけじゃなくてメディア全体の系譜と考えても大きな足跡を残したのが、訃報が伝えられた小倉智昭さんであります」と切り出し、1999年からフジテレビ系「とくダネ!」で朝の顔を務めたことを紹介。「4452回。同一司会者による全国ネットのニュース・情報番組の放送回数最多記録を更新した、ということでありました。『とくダネ!』そのものは2021年の3月まで続いていたということでありまして」と話した。


続けて「その小倉さんのキャリアの中で、このラジオ、そしてニッポン放送というものも、ちょうど小倉さんが東京12チャンネルからフリーになられて大橋巨泉事務所に所属されて。そして大橋巨泉さんが、このニッポン放送で『日曜競馬ニッポン』という番組をやっていて、そこで実況で小倉智昭さんもいらっしゃった」と回想した。


「私自身は、『小倉智昭のラジオサーキット』という番組と出会って、本当に人との出会いによって、人生というのはこうも変わるのか、ということを思い知らされたようなところがありました」と、小倉さんとの出会いも紹介。「(自分が)本当にくすぶっていたところで、何の仕事もなくて、『おまえはとりあえず、土曜に小倉さんの番組始まるから、中継コーナーでもやってみろ、リポーターでもやってみろ、おまえどうせ、それ以外に仕事ないんだろ?』って風に言われて。当時のチーフディレクターに呼ばれてやらせてもらったのが最初」と説明した。


それが転機となったという。「小倉さんに『おまえ、リポート、適当なことを言ってやればいいから』って言ってもらって、好き勝手やればいいんだ、ってなかばヤケっぱちみたいな感じだったんですけど。町のリポートでそこでビール飲んだりとか、今だったら考えられないですけどね。そんなことをしていたら『おまえ、面白いじゃないか』って言って、『あなたとハッピー』の中継コーナーとかで使ってもらった」と振り返り「そこからのある意味、アナウンサー人生を変えてくれたような人でもありました。もちろん、人生全体としても、今の妻、伴侶と出会ったのも、この小倉さんの『ラジオサーキット』のリポートのコーナーでもあった、というところだったんです」と語った。


ここで小倉さんと飯田アナが共演した番組のアーカイブ音声を放送。飯田アナは「ちょっと僕がしくじったりなんかすると、すぐフォロー入れてくれたりなんかして、こうやって話を回していったらリポートというのはうまくいくのかな、って1個1個、OJT(オンザジョブトレーニング)で教えてくれたような方でもありました」と感謝した。


さらに「その中で、当時流行り始めた婚活パーティーの潜入取材というのをやって、そこで妻と出会って。結婚式の時も主賓でお願いしたんですけれども、『ふざけんな。主賓なんかじゃオレは出ない。オレは世話になったやつには司会をやってやるんだ!』と」と小倉さんの粋な結婚祝いを回想。「そんな、小倉さんのギャラなんか出せないですよ、と言ったら『バカヤロウ!タダでやるんだよ!』と言ってね。お車代包んで行ったんですけど『バカヤロウ!いらないって言っただろう』と言って、突き返して、さっそうと帰っていた。その背中をすごく思い出すんですが」と語ると、声を詰まらせた。


飯田アナは「がんで闘病、77歳で力尽く。昨日、9日亡くなったということで」とあらためて触れると、「しかし、77歳は早い…。もっと生きたかった、もっと教えてもらいたかった。本当に、孝行したい時にいないというのはつらいですね。感謝を伝えられるときに伝えなきゃいけない、というのを思い知った」と涙をこらえ感謝。「本当に本当に、ありがとうございました。慎んでご冥福をお祈りいたします」と言葉を送った。

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  • 小倉さんのラジオで鉄道モノマネしてたね
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