12月9日、フリーアナウンサーの小倉智昭さんが亡くなった。77歳だった。
小倉さんは大学を卒業後、現在のテレビ東京にアナウンサーとして入社。その後’76年にフリーになると、クイズ番組『世界まるごとHOWマッチ』(TBS系)のナレーションで人気を博すことに。そして’99年から始まった『とくダネ!』で22年にわたって司会を務め、フジテレビの朝の顔として親しまれていた。
ところが’16年、小倉さんはぼうこうがんを患うことに。がんが肺に転移するなどし、闘病生活を続けながら仕事を続けていたが、今月に入って体調が急変。そして9日、自宅で亡くなったという。
8年にわたってがんと闘い続けた小倉さん。その闘病生活は壮絶なものだったという。今年2月、小倉さんは出演した『垣花正 あなたとハッピー!』(ニッポン放送)で’18年に膀胱を全て摘出し、さらに’22年10月、肺への転移が分かって抗がん剤治療を続けたものの効果がなかったと明かしていた。
一度は薬のお陰で肺がんがほぼ消えたものの、今度は腎臓に副作用が。番組で小倉さんは「三途の川を見た」と当時を回想していた。
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「’22年の11月、いきなり体がだるくなり、緊急入院。家族にも危険な状態だと連絡が入ったそうですが、その際、いわゆる三途の川を見たと明かしていました。川にかかった橋を前に、死んだ父親に『そろそろ行くぞ』と声をかけられたそうで、小倉さんが断ると父だけが橋の向こうに消えていったそうです。
その後も原因となった腎臓の具合は改善されなかったため、人工透析になる可能性も高かったといいます。その後、腎盂がんであることも発覚し、昨年12月に左の腎臓の全摘手術をしたそうです」(芸能関係者)
そんな小倉さんの闘病生活を支えたのは、15歳下の妻・さゆりさんだ。さゆりさんは小倉さんの一番の理解者で、小倉さんの“終の棲家”についてある提案を行ったという。
■闘病を機に、妻と強く結ばれることに
「小倉さんの闘病生活が進むにつれ、絵画や楽器など多趣味で大量のコレクションを持っていた小倉さんにさゆりさんは『余生は自分が好きで集めたものに囲まれて暮らすのが幸せだろうから、陳列できるように家をリフォームしましょう』と提案しました。そして、小倉さんのためだけに自宅をリフォームし、さゆりさんは実家に帰ることにしました。その結果、さゆりさんが小倉さんのもとに週3で通う生活が昨年の秋からスタートしたそうです」(前出・芸能関係者)
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意外なことに、別居によって夫婦の絆が深まったのだという。先述の『垣花正 あなたとハッピー!』で小倉さんは「かみさんとの関係は非常によくなった」と言い、「毎日LINEしたり、報告したりとか。LINEのやりとりするじゃない、たまに会うとすごく会話も増えるし。2人で買い物とか行ったりするとデートみたいでさ」「この前なんか、夜ちょっと飲んで、手つないで帰ってきちゃった」と語っていた。
「さゆりさんは結婚してから、小倉さんが持っている飲食店で働いていました。そのため『とくダネ!』の当時、朝早くに仕事をする小倉さんと、夜遅くに仕事をするさゆりさんはすれ違い生活を送っていたそうです。ですが、二人は小倉さんの闘病を機に再び強く結ばれることになったといいます」(前出・芸能関係者)
『とくダネ!』で長年小倉さんと共演していたフリーアナウンサーの笠井信輔(61)は10日、『めざまし8』(フジテレビ)で小倉さんの最期について、がんが全身に転移したことで万策が尽き、自宅でさゆりさんとマネージャーと緩和ケアスタッフの3人が24時間体制で介護していたと語った。
その際、マネージャーが席を立ったときに小倉さんの口が動かなくなったという。そしてさゆりさんが「智ちゃん、大丈夫?」と手を握ると、小倉さんは一瞬ぎゅっと握り返したが、その後スーッと力が抜けていったと明かしていた。
最期のときまで、小倉さんを支えたさゆりさん。小倉さんは天国でも、感謝の気持ちでいっぱいだろう。
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