FC町田ゼルビアの2024シーズン 後編
J1初挑戦となったFC町田ゼルビアは、序盤の快進撃に始まり、炎上や誹謗中傷に晒されながらも首位を堅持。ところが突如長い不調に陥り、優勝争いから後退してしまった。失速の要因はなんだったのか。シーズンを通して取材を続けたライターが考察する。
前編「予想以上の快進撃と風当たりの強さ」>>
【ハイプレス対策で勢いを削がれる】
FC町田ゼルビアは12勝3分4敗、勝ち点39でシーズン前半を首位で折り返し、「J1初昇格で初優勝」という偉業の可能性が騒がれた。シーズン後半のスタートもヴィッセル神戸、ガンバ大阪と難敵が続く関西アウェー2連戦を1勝1分で切り抜け、その歩みは順調に思えた。
しかし、流れが変わり始めたのは第24節の横浜F・マリノス戦(1−2)だった。それまで23試合で15勝を挙げてきた町田が、その試合以降12試合でわずか2勝しか挙げられず、順位を3位まで落とした。
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なぜ町田は失速したのか――。
理由はいくつか浮かんでくる。ひとつは町田対策が進んだことにあるだろう。シーズン前半は町田の守備時に4−2−4の形となるハイプレスがハマった。ボールの出どころに強い規制をかけ、サイドへ追い込んで相手の攻撃を詰まらせた。また、ミスを誘って高い位置でボールを奪い、ショートカウンターで一気にゴールへ迫るのは十八番となっていた。
しかし、シーズン後半に入ると町田のハイプレスの生命線と言える2トップのプレスに対して、相手は後ろ3人で数的優位を作ってそれを回避。町田の中盤2人の脇にできたスペースへパスを通され、前進を許すようになった。
ボランチ脇のスペースにサイドバックが出ようとすれば、さらに裏のスペースを狙われた。次第にハイプレスの強度を失い、押し込まれる時間帯が増え、守備ラインは下がっていった。町田対策はテンプレ化されていたように思う。
シーズン前半でも第16節浦和レッズ戦や第17節アルビレックス新潟戦は同じような形で苦戦を強いられ、新潟には実際に敗れている。勝ちはしたが、第23節東京ヴェルディ戦の後半も中盤の数的不利をうまく利用され、シュートチャンスを幾度も作られながら前半の先制点を守ってかろうじて逃げきった。
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ハイプレスからの堅い守備をベースにチームのリズムをつかんできた町田が、そのハイプレスを封じられれば勢いを削がれるのは道理。優勝争いのプレッシャーも加わると、徹底してきたチームの約束事にもミスが頻繁に生じるようになった。そして失点を重ねるにつれ、チームは自信を失っていくように写った。
【自分たちのよさを見失った】
特に第31節北海道コンサドーレ札幌戦以降、5試合で2分3敗と勝てない状況が続き、町田らしい積極性がなりを潜めていた。当時の状況をキャプテンのDF昌子源はこう振り返る。
「優勝争いが佳境に入ってきて、すごく難しいシビアな時期だったと思います。例えばひとつ負けると順位がいくつも下がるとか。あの頃は特に点が取れていなかったので、前の選手はボールを大事にしすぎて迫力がなかったですよね」
そんな時、昨季から在籍するDF鈴木準弥が選手ミーティングで訴えかけたという。
「このチームのよさは、そもそもうまい選手が揃っているわけじゃないから、ミスして当たり前。ミスしてもみんなで取り返して、またミスしても取り返す。何度でも取り返す。誰かがミスしても『ミスすんなよ!』とかなかった。それが俺らのよさじゃなかったの?」
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昌子はそれを聞いて「まさにそうやな」と目が覚める思いだったという。
「あの頃は自分のミスでチームの順位を下げてしまうんじゃないかとみんなが縮こまっていましたよね」
勝っていた頃の町田は、たとえ守備がうまくハマらなかったり、誰かがミスをしても、チームの雰囲気が苛立ちや不安、焦りなど、ネガティブな方向へ振れることがなかった。どんな状況でもチーム全体で同じ方向を向いて、やるべきことを徹底し、愚直にやり続け、それが大きなうねりとなって相手へ襲いかかる。それが町田の強さの源泉だった。
それを見失っていたことは、失速のもうひとつの要因として挙げられるだろう。
【移籍とケガ人に泣く】
3つ目として、平河悠(ブリストル・シティ)の移籍は大きかったと言わざるを得ない。黒田剛監督もその穴がなかなか埋まらないことを隠さなかった。
「90分間、高い強度の守備であれだけチームを助けて、なおかつ攻撃でもクオリティを出せる。そんな選手はそういるもんじゃない」
昌子もまた同じように平河の存在の大きさを痛感していた。
「みんな口にこそ出さないけど、感じていたと思いますね。困った時は、とりあえず悠にボールを預けておけば、あいつがひとりでなんとかしてくれる。そんな感じやった」
その穴埋めとして代表クラスの相馬勇紀を獲得したのが、どれだけの穴だったかを物語っている。しかし、相馬は加入当初、ケガでコンディションがなかなか上がらなかった。加入直後のセレッソ大阪戦、湘南ベルマーレ戦には出場したが、その後の3試合で離脱。
第30節アビスパ福岡戦でベンチに復帰するものの、本来のコンディションを取り戻すのに時間を要した。ナ・サンホや藤本一輝ら他のウイングも奮起したが、平河の穴を埋めるまでの存在感を出すのは容易ではなかった。
さらにケガ人の影響も無視できない。天皇杯・筑波大学戦でDFチャン・ミンギュが骨折、ポリバレントな能力でチームの中盤から前線までどのポジションも埋められるMF荒木駿太も第29節浦和戦の骨折で長期離脱。
そして第30節福岡戦ではDF中山雄太も右ヒザの内側側副靭帯損傷で2カ月半離脱した。相馬のコンディション不良も合わせると、夏に大型補強をしたものの、戦力は思うように上がっていなかったのが実情だった。
【最後に取り戻した本来の姿】
第36節FC東京戦、これに敗れれば優勝の可能性が消滅するというまさに瀬戸際だった。そんな試合で黒田監督は勝負に出る。システムを4−4−2から3−1−4−2の3バックに変更。マンツーマンで前からハメにいく戦術に舵を切る。
マークにつく人を決めたことで、町田対策で泣きどころとなった中盤のスペースを気にする必要がなくなり、選手たちは後ろ髪引かれることなく、強気に前へ出ることができた。それによって本来の攻守にアグレッシブな姿勢、インテンシティを取り戻した。
ボランチの白崎凌兵は守備のタスク過多から解放され、相馬はキレが戻って攻撃を活性化、チャン・ミンギュが復帰したことで3バックに舵を切ることができた。抱えていた課題が一気に解決されたような会心の試合だった。
試合後の会見で黒田監督は少し涙ぐみながらこう語った。
「ゲームを通じて本当に果敢にプレーしてくれる選手たちの姿が目に焼きついている。『これぞ、町田の魂なんだ』というものを彼らが身をもって表現してくれた」
勝負師・黒田監督の一手が、町田を本来の姿に蘇らせた。
【3位は讃えられるべき結果】
町田らしさを見失うチームに黒田監督は苦悩する一方で、ブレることを嫌い、ここまでやってきたやり方を変えることを嫌った。しかし、チームが不調に陥り、その間に多くの勝ち点を取りこぼし、積み上げてきた自信や町田のサッカーまでも失いそうになった。
黒田監督が3バックへの変更を決断したのは、第35節サガン鳥栖戦で敗れた帰りの移動中だったという。ひとりで決めたというその決断にチームは応え、躍動。FC東京戦から2連勝した町田は、優勝の可能性を残して最終節の鹿島アントラーズ戦を迎えることができた。
結果的に町田は鹿島に敗れ、シーズンを3位で終える。優勝が手の届くところにありそうで、そんな甘いものではないと、歴代最多優勝を誇る名門に教えられたような最終節だった。
それでもJ1初昇格で歴代最高位の3位、リーグ最少失点、ACL出場権の獲得(ACLエリートは横浜F・マリノスと川崎フロンターレの結果次第。ACL2は確実)は、できすぎと言えるくらい誇るべき結果、偉業であり、大いに讃えられるべきである。
そしてもうひとつ、チームが失速した時期、町田のサポーターは決してブーイングをせず、選手の背中を押し続けた。それもまた、誇るべき姿である。
快進撃に始まり、炎上や誹謗中傷に晒され、不調に陥った長く暗いトンネル。あまりに濃かった今シーズンを糧に、来シーズン、ひとまわり大きく成長した町田が再び旋風を巻き起こすかもしれない。