ひとりの人を応援したい。読書の時間が約束された店「fuzkue」、10年間の静かな奮闘を店主が語る

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2024年12月18日 18:10  CINRA.NET

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Text by 山口こすも
Text by 今川彩香

「本の読める店 fuzkue(フヅクエ)」。読書のための時間が約束されたこの店は10年前、東京・新宿にほど近い初台の店舗からスタートした。

読書のための時間が約束されている……それはどういう状況だろう? フヅクエでは、「穏やかな静けさ」と「心置きなく思う存分に過ごせる」という2つの要素から、その空間を担保している。

今日はじっくり本が読みたい。それも、とびきり特別で、祝福された時間にしたい。でも、家では集中できない。カフェやバーでも、ずっと居座っていたら申し訳なくなっちゃって、やっぱり集中できない——。店主の阿久津隆さんは、多くの人が経験したであろうそんな体験を経て、いまのフヅクエをつくり上げた。

開店から10年という節目に、フヅクエの軌跡と物語、「幸せな読書の時間の総量を増やす」という目的についてなどなど、阿久津さんにゆっくりと語ってもらった。

本日はフヅクエにお越しいただきありがとうございます。
約束された静けさのなかで思う存分に本を読む時間が、明日への活力というか、よりよく生きるぞみたいなモードであったり、生き続けていくための希望の根拠のようなものになったらそれ最高だな、そんな場所であれたら最高だな、と、そんな気持ちでやっています。 - 本の読める店フヅクエ 阿久津隆 同店『案内書きとメニュー』冒頭より引用新宿から一駅という都心にありながら、どこか落ち着いた雰囲気のあるまち、初台。駅から少し歩くと、とあるビルのふもとにフヅクエの看板がある。2階へ上がり扉を開くと、ガラス窓に囲まれ、自然光、もしくはオレンジ色の照明が優しく包む空間に歓迎される。静けさのなか、阿久津さんやスタッフさんがことことと作業をする音がむしろ心地よく響く。

メニューはひとつの冊子になっていて、そして例えば上記の引用のように、飲食のメニューだけではなく、フヅクエの考え方も収録されている。それは「本の読める店」を「本の読める店」たらしめるために、書かれていることなのだという。エッセイのような口調で語られるそれには、「規則」の言葉が含む圧や押し付けがましさはなく、ひとつの読み物のよう。

例えば、「ペンの取り扱いについて」という項目。

「まずそれなんだ?」という感じの項目ですが、意外に無視できないもので、耳に障る音を発生させやすい物体です。当人は音が鳴るタイミングを知っているので驚かないですが、すぐ近くで不意に生じる音は、耳と意識にけっこうなびっくりを与えてきます。…… - たしかに。本を読みたくて入ったカフェで、隣の人が延々とペンをカチカチさせていて、結構な頻度で意識が途切れた経験は私にもある。しかし、この項目は「ペンを使ってはいけない」というわけではなく、あくまで、「ほかのお客さんの意識も読書に集中させてあげるような空間にしましょう」というお願いごとだ。

ほかにも、なるほどたしかに読書の時間にとってはノイズかもしれない、という発見もフヅクエのお願いごとからは見出せる。加えて、「スマホのお預かりできます」「アラーム係にも」など、フヅクエが来店者の読書に協力できることについても書かれている。

「いまここ(フヅクエ)に同時にいる人たちは、相互に快適であれるように、自分にできることがあるならば協力したい……みたいな、何かそういうメンタリティがそれぞれにあるような気がしていて。空間をお客さんみんなでつくってる感じがしますね」

阿久津隆(あくつ たかし)
1985年、栃木県生まれ、埼玉県大宮市(現さいたま市)で育つ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、金融機関に入社。退職後の2011年、配属地の岡山でカフェを立ち上げる。2014年10月、東京・初台に「fuzkue(フヅクエ)」オープン。著書に『本の読める場所を求めて』(朝日出版社)、『読書の日記』シリーズ(NUMABOOKS)など。

すべては、「あなたの読書の時間がよりいっそう豊かなものになりますように、の言い換えの気がしています」とも、阿久津さんは綴っている。

「ひとりの人を応援したい」という気持ちから始まったフヅクエ。10年前の開店当時から、ルールをはじめ、さまざまな変化を経て、いまのフヅクエがある。

フヅクエはなぜ生まれたのか。それを知るために、阿久津さんの物語を辿りたい。

1985年に栃木県で生まれ、埼玉県の大宮市(現さいたま市)で育った。読書体験のはじまりは、両親の読み聞かせからだった。例えば? と聞くと、「『ズッコケ3人組』、とかね」。小学生時代には図書クラブに入るなど、気づけば本を読むことは日常的な、当たり前の習慣としてそこにあった。高校生時代には、一学期かけて村上春樹の『風の歌を聴け』を読むという授業があり、村上春樹が好きになったというエピソードも。

そして、都内の大学へ進学。大学生になってからは、自ら小説を書くようになった。

「頭ん中が静かになる感じがあるのかな。読むにしても書くにしても——」と阿久津さんは語る。

「本を開いて、目が文字を追い始めた瞬間に何か、そこに別の時間、空間が生まれる、それは面白いことだなって。突然別の世界が生まれる。音楽や映像とは、また全然違う体験ですよね」

大学時代、就職を考える時期には、小説家になりたいという思いがあった。ゼミの教授に相談をすると、「小説のネタにもなる」と一度は就職してみることを勧められたので、「とりあえず」のつもりで、生命保険会社に就職。そして、縁もゆかりもなかった岡山支社に配属された。自社の商品についぞ興味を持つことができなかった会社員生活は、面白くなかった。

2011年3月。耐えきれなくなり、とうとう出社拒否。人事と今後を話し合う面談が3月12日に予定されていたが、3月11日に東日本大震災が発生、その予定は中止になった。震災を目の当たりにした阿久津さんは自分の人生を見つめ直し、退職届を出すに至った。

そして、当時のパートナーからの誘いを端緒に、岡山市内の川のほとりにカフェをオープン。古民家を改装したカフェで、客席はいくつかの空間にわけられていた。そのなかの1つの空間は「本の部屋」と呼ばれ、阿久津さんやパートナー、そして友人・知人からもらった蔵書が壁面にずらりと並び、ぐるりと窓に囲まれた空間だった。フヅクエ初台の間取りと、よく似た構造だ。

阿久津さんは、こう振り返る。「この物件(フヅクエ初台)も、横長の部屋で窓が大きくてっていうのは『本の部屋』と似ていますよね。確かにあそこで見えていた景色というか——あの席で、1人で本を読んでいる人の後ろ姿は、静かでいい景色だな、という思いがありましたね。だから、あの光景を見たいっていうのは、いま思えばあったかもしれない」

「ひとり」で奮闘している人を応援したい——。ふつふつと、阿久津さんに芽生えた感情だった。さまざまな要因も重なり、2014年、阿久津さんは岡山を離れ、ひとりで店を出す決断をする。

まずは都内での物件探しから始まった。物件を案内してくれた不動産会社のスタッフにお店の動機を説明すると「趣味の店っすか?」と聞かれたこともあった。

内見を経て、初台という場所と物件を気に入った。こうして、2014年10月17日、フヅクエはオープンした。名前の由来は、読書や物書きなどに使う「文机」から。スタート地点は読書特化型というより、「一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かな店」だった。ここから変遷を経て「本の読める店」になっていく。

阿久津さんは、オープン初日のことを、こう振り返る。

「初日から『いいもんだな、僕がやりたかったことはやっぱりいいものだぞ』という気持ちはありました。だから、やりたかったことの軸は初日からあったと思うんです。そこからはディスリスペクトな空気が入り込まない微調整をひたすら続ける感じ、とでも言うのでしょうか」

開店から半年くらいは、お客さんに値段を決めてもらうという「支払い額自由」制だったが、かえって店にいづらいのではないかと考え直し、メニューに値段をつけるように。翌年には、心置きなくゆっくり過ごしてもらえるように、オーダーと滞在時間によって値段が変わる「料金変動制」を導入した。この制度も、年月をかけてブラッシュアップされていく。

大きな改革というとほかにも、タイピングの禁止——つまり、パソコン作業の禁止、がある。これは特に、苦渋の決断であったと阿久津さんは話す。店の売り上げ的にも無視できない割合を占めていたし、フヅクエという空間を好いて来てくれるお客さんが来なくなってしまう可能性もあったからだ。しかしそれでも、2017年に決断。読書特化型の空間へと変化をとげたのだった。

「自分が実現したい空間——当たり外れなく、いつ来ても快適に穏やかな気持ちで本が読める空間を実現するためにはやむなし、みたいな」

また、実務的な話として、スタッフが増えていくにつれて、ルールを明確化しておく必要もあった。そういったさまざまな試行錯誤は、結果として「幸せな読書の時間の総量を増やすため」という軸に収斂していく、と阿久津さん。

「結果として、やっぱり自分が一番に共感を寄せられて、本当に応援できるのは読書だったなというか——読書と、それ以外がなかなか共存できないんだな、難しいなみたいな考えになっていった。読書以外の、仕事や作業をしたい人のための場所はほかにいくらでもあるしな、みたいな」

現在、フヅクエは初台店と、商業施設「BONUS TRACK」内の下北沢店、そしてフランチャイズの西荻窪店(現在はお休み中、2025年1月10日に再開予定)の3店舗がある。

「自分の街にもフヅクエがあったら」。お客さんからそんな声が上がる機会が次第に増えていく。そんななかで声がかかり、出店を決断。コロナ禍にあった2020年、フヅクエ下北沢がオープンした。「BONUS TRACK」内には「本屋B&B」と「日記屋 月日」があり、書店のすぐそばのフヅクエは、阿久津さんがかねてからやってみたかった試みでもあったという。

商業施設という場所柄、どういう店か知らずにフヅクエに訪れる人も多い。そんなお客さんたちと接するうち、阿久津さんの考え方にも変化が生まれた。

「下北沢に店を出すまでは、本を読む人と、本を読まない人っていう切り分けをしていたんですよね。この店に関係ある人と関係ない人に分けていた。おしゃべりしながら入ってきた2人組の方に対して『はいお帰りください〜』みたいな。それは(フヅクエの)なかにいる人たちに対して『あなたたちの時間を守っていますよ』というパフォーマンスにもなると思っていた。時間がたって、それがもう必要なくなったこともあるかもしれないけど……。より開かれた環境である下北沢に出店したことで、いま本を読みたい人、いまは本を読みたくない人、っていう考え方ができるようになった。そうすると人間全員、いつかは本を読みたいかも知れない」

「例えば、お店に来て、机にパソコンをまず置いたお客さんがいたとき。『じつはここはパソコンはダメで……』と説明をする際にも、『今のあなたはここではない場所に行ったほうがいいと思う。だけどいつかゆっくり本を読んで過ごしたくなったら、そのときはここを思い出してくれたら僕は本当にうれしい』ということを、心から思えるようになったんです。『また来てください』って本心から言って見送れるようになった」

お客さんは本を読む人、本を読まない人はそうではない——という考え方から、人類全員がフヅクエでの時間をいつか求めるかもしれないと思えたことは、阿久津さんにとって大きな変化だった。

「(下北沢出店以前は)もうこれで出来上がったんだろうなみたいな、完成形はこれなんだろうなみたいに思っていたので。まだまだ、こんなにも変化の余地があったんだ、こんなふうに開けることがあるんだみたいな、と」

10年、そして下北沢店での心の変化を経て、阿久津さんはこう語る。

「(フヅクエという場所が)私物だったのが、ある種の公共性を帯びてきたというか……そんな感覚がちょっとある。負わなくてもいいんだろうけど……責任みたいな感じですね。フヅクエを広げたいっていうより、フヅクエが広がりたがっているっていう感じがします。いろんな人から、フヅクエのような場所がもっと近くにあればいいのにな、みたいな言葉は本当にたくさんいただいていますから」

見たいのは、ひとりひとり独立した没頭を持ちながらも、それでいて言葉のない連帯があるような「美しい光景」。そして、収斂していくのは「幸せな読書の総量」を増やすという軸。

「言うまでもなく人それぞれですが、フヅクエで本を読むことは、ほかで読むより読書に集中できる率って高いと思うんですよね。そうすると本を楽しめる率もぐっと高めていると思う。ということは、読書っていいもんだなってあらためて実感できる率も、この場所は高めているはず。ちゃんと楽しい体験ができると、そこ(読書)に戻ってくる率が上がると思うんですけど、単純に読書文化にとってそれはいいことだよなあって思いますね」

「映画館で見たからこそ楽しめた映画ってあると思うんですけど、フヅクエが誰かのどれかの読書にとって、そういう場所であれたらな、と思います。せっかく楽しい本であるならば、楽しんで読まれてほしい。一番シンプルな願いはそこです。その舞台となるのは家でも通勤電車でももちろんどこでもいいけれど、『困ったときは、フヅクエがあることを思い出してください。フヅクエはいいぞ』、そんな気持ちですね」

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