ニック・ハーカウェイはジョン・ル・カレの息子、などという紹介はもはや不要なほど、彼自身がひとりの作家として確かな実績と大きな人気を築いている。ミステリ読者なら知らぬ者はいないといっていい。英国SF協会賞候補『世界が終わってしまったあとの世界で』や、クラーク賞候補『エンジェルメイカー』など、SF的要素を含む作品でも定評がある。
本書『タイタン・ノワール』は、タフな私立探偵が事件を捜査するうちにトラブルに巻きこまれるというハードボイルド小説だが、重要な設定がSFである。薬物投与によるタイタン化技術により、ひとにぎりの人間だけが長寿命を享受している世界なのだ。タイタン化すると、身体が若返り、成長が止まらないので巨大化する。この技術を独占する〈トンファミカスカ・カンパニー〉のトップであるステファンなどは、四回のタイタン化によって、身長は四メートルに達し、その声量だけで近くにいた者を気絶させるほどだ。
物語は、ロディ・デビットという生物学者が遺体で発見されたところからはじまる。場所は彼がひとり暮らししていたアパートの部屋。死因は頭部への銃撃。他殺か、自殺か、事故か? 警察は私立探偵キャル・サウンダーに、捜査の協力を要請する。
キャルのところに持ちこまれるのは、訳あり案件と決まっている。ロディはタイタンだったのだ。年齢は91歳。タイタン化の施術はまだ一回であり、巨躯とは言え、常人に混じって生活していけるレベルだ。問題なのは、身元が判然としないことだ。前述したとおり、タイタン化できるのは限られた人間だけ。ありていに言ってしまえば、〈トンファミカスカ・カンパニー〉と血縁があるか、コネがあるかだ。ロディの場合、その記録がどうしても見つからない。
過去の謎をさぐる地道な捜査を進めるなか、キャルは何度となく荒事に巻きこまれる(あるいは進んで荒事を引きおこす)はめになる。暴力沙汰はあたりまえ、意識を失うほどの目に遭うことさえ複数回という具合だ。
さて、キャルは普通の人間だが、じつはかねてよりタイタンとは浅からぬ縁があった。元恋人のアテナが、ステファン・トンファミカスカの最年少の娘なのだ。アテナ本人は常人の暮らしを望んでいたのだが、大事故に遭い、救命のためにタイタン化の手術が施されてしまう。いまは回復し、タイタンとして〈トンファミカスカ・カンパニー〉の後継者の道を歩んでいる。キャルとアテナは感情的に微妙な部分はあれ、お互いに信頼する間柄だ。
それとは別にステファンはキャルに一目を置いており、キャルが望めばタイタン化を受けられるのだが、キャルはそのつもりはさらさらない。また、〈トンファミカスカ・カンパニー〉内部は、家族(全員がタイタン)どうしの愛憎や権力バランスで、けっこうドロドロである。
主人公キャルと〈トンファミカスカ・カンパニー〉のもつれた関係に、正体不明の死せるタイタンであるロディが投げこまれることで、事態はいっそう錯雑の度を深めてしまう。さらに、ロディが秘匿していた謎をめぐって、犯罪界の顔役ライマン・ニュージェント(〈倍幅男〉と形容される異形の体型をしている)が、キャルになかば強引に接触してくる。ライマンは、キャルとステファン・トンファミカスカとのつながりをよく知っているふうで、「いずれ別系統の友人が必要となるかもしれません。その友人には、わたしが適任です」とうそぶく。
SF的アイデアとミステリのプロットのみごとな融合、物語の意外ななりゆきもさることながら、主役も脇役もキャラクターが立っている。活字で読んでいるのだが、脳裏にイメージが映しだされるようだ。読者それぞれだろうが、私の場合は板垣恵介のタッチでした。
(牧眞司)
『タイタン・ノワール (ハヤカワ文庫SF)』
著者:ニック・ハーカウェイ,酒井 昭伸
出版社:早川書房
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