プロ生活20年の西山秀二が挙げた最も印象に残っている投手は? 「1センチ単位でコントロール」

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2025年01月10日 07:20  webスポルティーバ

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西山秀二インタビュー(後編)

前編:古田敦也全盛期の牙城を崩した西山秀二はこちら>>

 南海、広島、巨人で20年のプロ野球人生を送った西山秀二氏。キャッチャーとして多くのピッチャーの球を受け、多くの打者と間近に見てきた。そのなかで印象に残った選手は誰だったのだろうか。

【山本浩二監督から無視】

── 2004年オフに巨人に移籍し、05年に1年間プレー。現役通算20年以上の捕手は、これまで14人しかいません。

西山 区切りとして、20年プレーしたいという気持ちはありました。巨人では1年間だけでしたが、こだわってよかったです。他球団を経験することで見識も広がりましたし、中学時代の同級生だった桑田真澄ともバッテリーを組むことができました。不思議な巡り合わせを感じましたね。

── 西山さんはプロ通算20年で1216試合に出場し、716安打、打率.242、50本塁打、282打点。ヤクルトの古田敦也さんが全盛時にベストナインを2度受賞しています。

西山 胸を張れるような数字ではないかもしれませんが、要所で頑張れたかなと思います。ゴールデンクラブ賞も獲らせていただきましたし、オールスターにも2度出場することができました。若い頃は野球も一生懸命やりましたが、遊ぶのにも必死でした(笑)。

── 現役時代、最も印象深い出来事は何ですか?

西山 一軍と二軍を行ったり来たりのエレベーター状態で、「選手としてはもう無理かな」と思い始めたプロ6年目。オールスター前の横浜戦で、左腕の田辺学さんから逆転3ランとなるプロ初本塁打を放ちました。内角高めのストレートを3球続けられ、その3球目を仕留めたのですが、今でも鮮明に覚えています。

── それが一軍定着のきっかけだったのですね。

西山 いえ、まだ続きがあります。翌日も代打で左腕の野村弘樹と対戦し、追い込まれてからフォークをセンター前に弾き返しました。「ここで打たないと、昨日の一打の価値が半減する」と、強い気持ちで向かいました。この試合も逆転勝ちし、オールスター以降は「左投手時のレギュラー」に昇格。相撲で言えば、幕尻から前頭筆頭になった感じです。チームは中日をひっくり返し、5年ぶりのリーグ制覇。思えば、あの2打席がプロ野球人生のターニングポイントでした。

── 逆に、失敗談はありますか。

西山 仙台での横浜戦、9回裏のサヨナラの場面。ライト前ヒットで、二塁走者の石井琢朗が本塁に突入してきました。余裕でアウトのタイミングでしたが、僕がバックホームの返球を後逸してしまったのです。雨でぬかるんだグラウンドで、バウンドしたボールがスリップしてタイミングがずれました。翌日、山本浩二監督は口を聞いてくれず、しばらくスタメンから外されました(笑)。

【印象に残る好打者の共通点】

── マスク越しに見た印象深い打者は誰ですか?

西山 いろいろなところで言っていますが、右打者は清原和博、落合博満さん、左打者はオープン戦で対戦したイチロー、金本知憲、紅白戦で対戦した前田智徳です。共通点は、ギリギリまで投球を引きつけて打つところでした。

── 金本さんは広島時代の「トリプルスリー」から、阪神時代は「40発100打点」の打者に変身しました。

西山 金本は阪神にいってからスイングの強さ、スピードが増していました。甲子園球場のライトから吹く浜風でファウルにならないよう、レフトポール際にドローボールを打ち、フェア地域のスタンドに入れていました。金本が理想にしていたのは、バリー・ボンズのスイングです。極力前に出ないように軸足にためて回転する。前田も前に泳がないように前側の足で踏ん張って、投球を押し込んでスピンを利かせて打つ。落合さんは投球をバットに乗せるイメージでした。

── では、西山さんがバッテリーを組んだなかで、印象深い投手は誰ですか。

西山 大野豊さんのパームボールのキレ。それと北別府学さんのコントロールです。1センチ単位の出し入れで勝負するのです。球審に外角低目のスライダーを「ボール!」とコールされると、意地になってスライダーを1センチ内側に入れる。次の球も1センチ内側に入れる。後にも先にも、あんな絶妙なコントロールを持った投手はいませんでした。

── 「打者・西山」として対戦した印象深い投手は?

西山 やはり"大魔神"佐々木主浩のフォークです。同い年の佐々木とは仲がよくて、「オレの時は肩口からのカーブを放ってこい」と言ったら本当に投げてきたり(笑)。でも、三振記録か何かがかかっているとき、フルカウントのあとフォークを投げてきました。僕も打率3割の好調時だったので「とらえた!」と思ったのですが、かすりもしない空振り三振でした。「これが噂の消えるフォークか」と驚きました。日米野球でバッテリーを組んだ時、ストレートの軌道で来てズドーンと落ちる。「シゲ(谷繁元信)はいつもこんなのを捕っていて大変やな」と思いましたね。

【指示が具体的で的確だった三村監督】

── 現役時代は杉浦忠さん(南海)、阿南準郎さん、山本浩二さん、三村敏之さん、達川光男さん(いずれも広島)、堀内恒夫さん(巨人)、コーチ時代は原辰徳さん(巨人)、立浪和義さん(中日)と計8人の監督に仕えました。

西山 みなさんすばらしい監督でしたが、僕が一番やりやすかったのは三村監督です。たとえば走者のリードであれば、「最低限、セーフティーな何歩までリードを取りなさい。それ以上リードを取れる選手はもっと出てくれていい」と、指示が具体的かつ的確でした。僕が捕手の時も「ベンチの顔色をうかがわなくていいんだ。西山に任せているんだから、おまえが考えて責任を持ってサインを出せばいいんだよ。それを結果論でとやかく言わない」と信頼してくれました。

── 現役時代を鑑みて、西山さんがバッテリーコーチの時に注意したことは何ですか。

西山 結果論でモノを言わないことです。よく「初球に気をつけろ」と言うコーチがいますが、捕手はみんな気をつけています。それをポテンヒットになったら「だから気をつけろと言っただろ」と言い、打者を抑えたら「気をつけろと言ったおかげだ」と言う。どちらも結果論でしかありません。そうすると、捕手はウエストするしかなくなります。

── コーチとして巨人、中日で計7年間。一軍バッテリーコーチとして二度のリーグ優勝、日本一にも導きました。野球評論家としても、具体的でわかりやすい解説が印象的です。

西山 現在の知識があったまま現役時代にプレーできたらと思いますし、学んだことを後進に伝えられたらと思っています。


西山秀二(にしやま・しゅうじ)/1967年7月7日、大阪府出身。上宮高から85年のドラフトで南海から4位指名を受け入団。プロ2年目の87年シーズン途中、トレードで広島に移籍。広島では94年、96年にベストナイン、ゴールデングラブ賞をそれぞれ獲得。リーグを代表する捕手として活躍。2004年オフに巨人に移籍し、05年の1年間プレーし現役を引退した。引退後は巨人、中日のコーチを歴任。現在は評論家として活躍している

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