海外大会での記録を更新する43個のメダルを獲得するなど、メダルラッシュに沸いたパリ五輪。
その直前、当時19歳だった体操女子・宮田笙子選手が飲酒、喫煙をしていたとして出場を辞退した。
「体操女子のエースとしてパリ五輪での活躍を期待されていた宮田選手は、2024年7月に強化合宿中に都内のナショナルトレーニングセンターの自室で飲酒と喫煙をしていたことが“内部通報”によって判明。
日本オリンピック委員会が定める『国際総合競技大会派遣規程』と日本体操協会の『日本代表選手・役員の行動規範』に違反したとして、出場を辞退しました」(スポーツ紙記者、以下同)
4か月ぶりの復帰戦
宮田選手は2024年9月に行われた『国民スポーツ大会』(旧国体)に福井県代表として出場。4か月ぶりの復帰戦となった。
|
|
「最初の演技前のウォーミングアップのときに涙を浮かべていました。
演技中は高い集中力で技をしっかり決めていましたが、最後の種目で宮田選手が一番得意としていた床の演技を終えた直後、感情があふれて両手で顔を覆い、涙を流していました」
復帰戦でチームを優勝に導く活躍を見せた宮田選手。大会後、騒動後から初めてとなる取材に応じると、
「このたびは私が取った行動によって、たくさんのみなさまにご迷惑をおかけしてしまい、深く反省しております」
と謝罪を口にした。
|
|
「いつも強気に振る舞っていた宮田選手ですが、五輪の代表と主将にも選ばれて、かなりのプレッシャーがあったのだと思います。
代表辞退となり、しばらくは憔悴しきっていたよう。
復帰戦で人目もはばからずにあれほどの涙を流したのは、よほどこみ上げるものがあったからでしょう。今はもう、次の目標に向かって切り替えていると思います」(体操関係者、以下同)
涙の連続となった再出発。順天堂大学に通う彼女が福井県代表として出場したのには理由があった。
後輩を気にかける“姉御肌”
「福井県の鯖江高校出身である宮田選手は、卒業後も同校女子体操部の田野辺満監督から指導を受けており、福井にも練習拠点があります。
|
|
宮田選手は我が強い性格。その宮田選手が信頼しているところを見ると、手綱をうまく取れるのが田野辺監督くらいなのかもしれません」
こだわりの強いところがある一方で、後輩からは頼りにされる“お姉さん”でもあるという。
「宮田選手は後輩を気にかける“姉御肌”なところがあります。
パリ五輪前の合宿で、宮田選手は年下が多い団体メンバーにヘアピンをプレゼント。
パリ五輪では、団体メンバーの4人がユニフォームの色に合わせて予選では赤、決勝では青といった宮田選手からもらったヘアピンをつけて臨んでいました。
決勝の入場では、宮田選手が床の演技の最後にする決めポーズをしていました。それほど慕われていたのでしょう」
2028年のロサンゼルス五輪では笑顔の彼女が見たい。