「普通ではない」萩本欽一から生まれたトニセンと香取慎吾の共演…ミスター・テレビジョンの偉業

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2025年01月17日 11:10  web女性自身

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「共演したかったんだよ!」



香取慎吾(47)と久々に同じ舞台に立った井ノ原快彦(48)はこう叫んだ。事務所の垣根を取っ払ったコラボレーションは萩本欽一(83)の“普通を避ける精神”抜きには語れない――。



1月13日、『欽ちゃん&香取慎吾の第100回全日本仮装大賞』(日本テレビ系)が放送された。45年も番組が続く理由を考えた時、初回から司会を務めてきた萩本欽一の根本的な思考に辿り着く。



今大会、“普通を避ける”象徴的なやり取りがあった。兄妹の子供2人が『ハンモックで変身』の演技を終えると、萩本はラジオ『キンワカ60分』(ニッポン放送)で共演している審査員のオードリー若林正恭(46)に話を振った。



萩本:若林、友達のように話してあげて。
若林:陽太くん。お見事だったね。ブリッジの変身、変身が良かったよ。
陽太:ありがとうございます。
萩本:「ありがとう」じゃつまんない、もっと話しなきゃ。
若林:欽ちゃん、ダメ出しは俺だけにしてあげて(会場笑い)。
香取:(子供に)ありがとうじゃない言葉を。若林さんに言われたら、ありがとうじゃない言葉を言うんだよ。
若林:香取さん、香取さん、詰め過ぎだって!
香取:(若林に)お願いします。
若林:ハンモック1つで、あそこまで広げるって凄いね。
陽太:いや、それほどでも。



欽ちゃんが「普通の言葉」を禁止したことで、子供から「いや、それほどでも」というフレーズが生まれ、会場は笑いに包まれた。



思い返せば、『仮装大賞』は「テレビ界の普通」を壊すために生まれた番組だった。1979年大晦日の第1回は『NHK紅白歌合戦』の真裏で対抗。当時、視聴率70%超えの国民的行事に対し、他局は主に映画や音楽イベントでお茶を濁していたが、日本テレビはオリジナルにこだわった。76年、77年にもコント55号と『紅白歌合戦をぶっ飛ばせ』を制作していた齋藤太朗プロデューサー(88)が内容を相談すると、欽ちゃんはこう答えたという。



《向こうは芸能人がたくさん集まってるんで、こっちは素人にしたほうがいいんじゃないですかと言ったんですよ。それなら負けて当然だし、僕も気が楽だって》(『文春オンライン』2021年12月30日配信)



有名歌手勢揃いの『紅白』に、素人の『仮装』で戦いを挑んだ。視聴率は怪物番組の77.0%に対し、4.8%と全く歯が立たなかったが、民放1位に。80年5月に第2回大会が放送されると14.8%をマークし、81年6月の第4回大会では裏の巨人戦を上回る20.8%を獲得した。



素人の“普通ではない発想”から「アジのひらき」(第6回優勝)「明治神宮」(第6回ユーモア賞)「ボーンレスハム」(第17回優勝)などの名作が誕生し、『仮装大賞』は安定的な人気を得ていった。出場者と萩本欽一の相性も抜群だった。“普通を避ける精神”で根本的に通じ合っていたからだ。





■退所した香取慎吾の“テレビ激減”を食い止めた



そもそも、欽ちゃんはなぜ『仮装大賞』の司会者に抜擢されたのか。これも“普通ではない”起源がある。60年代に坂上二郎とのコント55号で一世を風靡した男は70年代にソロでの活動を始めると、『オールスター家族対抗歌合戦』の司会を依頼された。当初、萩本は「ツッコミだから、物事を前に進められない」と消極的だった。



《へただというのはよく知ってるわけだ。人を立たせることもできないし、きれいな言葉も使えないわけ。どうしたらいいだろう、困ったわけ》(『婦人公論』1976年4月号)



それでも、旧知のディレクターに懇願されたため、引き受けた。坂上とアドリブでコントをしていた萩本は、台本通りに番組を進められない。出演者を紹介する際、「はーい! 次のチーム! ……誰だっけ?」と手間取った。しかし、“普通ではない進行”が評判を呼び、『スター誕生!』など続々と司会の仕事を依頼されるようになる。『仮装大賞』もその延長線上にあった。



無意識だったようだが、萩本は「芸能界の普通=タブー」も打ち破っていた。大手事務所を独立していた歌手の前川清(76)を『欽ちゃんのドンとやってみよう!』で起用し、コメディアンとしての才能を開花させた。「普通の女の子に戻りたい」と言って引退した元キャンディーズの田中好子の復帰の手助けもした。



今回の20th Century(トニセン)と香取慎吾の共演も、欽ちゃんが「芸能界の普通」を無視したことに端を発すると言っていい。香取は2017年9月にジャニーズ事務所(現・STARTO ENTERTAINMENT)を退所すると、テレビ出演が激減した。だが、『仮装大賞』の司会は続投になった。その背景には、同年10月18日放送の『おじゃMAP!!』(フジテレビ系)に出演した欽ちゃんの「(還暦の2001年頃に『仮装大賞』からの勇退を考えて)『俺を降ろして、慎吾にしてくれないか』と俺がお願いしたんですよ」という発言も大きかったと見られている。



当時、大手事務所を独立したタレントはテレビに出にくくなっていたが、2018年の95回大会も従来通り、日本テレビでは『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』が放送された。だが、既に70代後半を迎えていた萩本の体力は徐々に衰えていく。2021年の98回大会の収録中に「今回で私、この番組終わり」と突然の勇退宣言をする。その理由を取材で聞いた時、こう言っていた。



《体が持たないから、もう無理だと思ったの。80近くなってから、収録の終盤に疲れて『あと何組?』と聞くようになった。『8組です』と言われると、だいぶあるな……って。僕は二郎さんとのコント55号で、舞台を駆け回って世に出た。動けない欽ちゃんが座ってテレビに出るのは、自分が許さないのよ》(『女性自身』2024年1月30日号)



萩本の「終わり」宣言によって、昭和54年から毎年放送されていた『仮装大賞』はストップしてしまう。その時、香取慎吾が立ち上がった。「欽ちゃんが出ないなら、僕も出ない」と出演を迫ったのである。一般的に考えれば、80歳を過ぎた高齢者に酷な要求である。しかし、香取は「高齢者の普通」を嫌った。萩本を師と仰ぐ男にも「欽ちゃんイズム」が備わっていたのだ。



日本テレビの再三に渡る説得もあり、萩本は再び立ち上がり、2024年に99回大会が放送された。だが、この収録中、《もうちょっとアドリブ飛ばせるだろ》(前出・『女性自身』)と自らを叱咤していたという。その反省を元に、欽ちゃんは動く。アドリブ力を取り戻すため、昨年ほぼ毎月、新宿の小劇場『バティオス』で舞台に上がった。今度は、萩本自身が「83歳の普通」をぶち破った。



欽ちゃんと慎吾の“普通を避ける精神”が幾重にも重なり合い、100回大会でのトニセンとの共演に辿り着いたのである。長野博(52)、井ノ原快彦(48)、坂本昌行(53)の演目が終わると、萩本は「慎吾、お前やれよ」と司会を完全に任せた。井ノ原が欽ちゃんを見て話すと、「俺に言うな、あっちに言ってくれ」と指示した。そして、口を挟まずに4人のやり取りを見守った。



素人にも遠慮せず、「ありがとうじゃつまんない」と出る所は出る。一方で、「慎吾、お前やれよ」と引く所は引く。「ミスター・テレビジョン」は83歳になった今も、その押し引きを絶妙に使いこなしている。傍から見る限り、99回大会と比べ、100回大会のほうが欽ちゃんの元気さは増していた。普通を避け、限界を越えようとする萩本欽一は101回大会でさらなるパフォーマンスを見せるため、今年も小劇場で試行錯誤を繰り返す。この魂がある限り、『仮装大賞』は永久に不滅である――。



※視聴率はいずれもビデオリサーチ調べ、関東地区







文・岡野誠


ライター、松木安太郎研究家、生島ヒロシ研究家。執筆記事〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞に。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)ではV6井ノ原快彦らと田原のエピソードも掲載

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