ウマ娘にもなったサムソンビッグは、同期のナリタブライアンとともに牡馬三冠に皆勤したバイプレーヤーだった。そんなサムソンビッグの唯一の重賞制覇となったのが94年のきさらぎ賞。単勝172.0倍の最低人気で逃げ切った一戦を振り返る。
サムソンビッグは父サクラショウリ、母シユンイチオーカン、母の父フロリバンダの血統。父は78年の日本ダービー馬。5代母のクリフジは43年の東京優駿競走を制するなど、通算成績11戦11勝の名牝だ。
サムソンビッグは3歳(現2歳)7月に札幌でダ1000mの新馬を逃げ切り。そこからコンスタントにレースを使われた。4戦目の函館3歳Sではマリーゴッドの2着に健闘し、賞金加算に成功。さらに萩Sで3着、デイリー杯3歳Sの14着を挟んで福島3歳Sでも2着に食い込み、オープン特別では安定した走りを見せるようになる。しかし、その後は朝日杯3歳Sが13着、シンザン記念が11着と2戦連続で2桁着順に大敗。「早熟だったのか…」。そんな雰囲気の中で迎えた一戦がきさらぎ賞だった。
1番人気はマチカネジンダイコ。2戦2勝の無敗馬、さらには武豊騎手が騎乗することもあって、初の2000mにもかかわらず、単勝オッズ1.3倍の圧倒的な支持を受けていた。離れた2番人気はダートの1勝クラスを勝ち上がったばかりのメイトウリュウオウ、3番人気は前走のシンザン記念が2着のイイデライナー。ここまでが単勝オッズ10倍以下だった。一方でサムソンビッグは唯一単勝が万馬券となる172.0倍だから、ぶっちぎりの最低人気。完全に忘れられた存在だった。
レースは驚くほどのスローペースとなった。押し出されるようにハナに立ったサムソンビッグが刻んだペースは前半1000m65秒1。それでいて向正面では2番手以下に2〜3馬身のリードがあった。3角あたりで後方も差を詰めてくるが、並びかけるところまではいかない。そのままペースが上がることなく直線へ。好位追走のマチカネジンダイコは反応が鈍い。かわって外からイイデライナー、さらに大外からタイキデュークが強襲。しかしそれらを抑えてサムソンビッグがまんまと逃げ切りを決めたのだった。
その後の活躍が期待されたサムソンビッグだが、これが平地での最後の勝利となる。牡馬三冠は皐月賞が17着、日本ダービーと菊花賞はともに最下位の18着、15着と結果を残すことはできなかった。それでも5歳時には障害で2勝を挙げて復活を果たすなど、名バイプレーヤーとして記憶に残る馬だった。