【モデルプレス=2025/02/04】【与田祐希 3rd写真集「ヨーダ」(2月12日発売/光文社)インタビュー】乃木坂46に16歳で加入し中心メンバーとして活躍した与田祐希(24)には、この8年半で「変わった」と思うことがあるという。苦手なことから逃げてばかりだった女の子が国民的アイドルグループに身を置き、どんな成長をしていったのか。卒業を目前に控えた今、キャリアを振り返った。(インタビュー全2回の前編)
【写真】与田祐希「やるしかなかった。辞められるものなら逃げ出したいと何度思ったことか…」◆与田祐希、8年半のアイドル人生を振り返って
― まもなく卒業ですね。
【与田】はい、卒業です。
― 8年半のアイドル人生は楽しかったですか。
【与田】結果、楽しかったです。ずっと楽しかったわけではないですが、今はすごく楽しいです。
― つらいときもたくさんあったと。
【与田】はい。でも私はつらい記憶を消しがちで、もうあまり覚えていないんです。だから振り返っても楽しかったことばかり覚えていて。
― 楽しかった思い出を聞かれて、最初に思い浮かぶのは?
【与田】ライブです。ダンスも得意ではないし、人前で喋ったり歌ったり踊ったりするのも緊張する、最初は苦手だなっていう気持ちの方が大きかったですが、でも今はすごくライブが好きになりました。
― それはできるようになったから?
【与田】それもありますが、やっぱりファンの皆さんが楽しんでくれているのを目の前で感じながら、仲間と一緒に一つのものを作り上げることができる。それってすごく貴重なことだなと。アイドルを卒業したらできなくなることですし、この時間が尊いなって思うようになりました。
― 何万人ものファンのペンライトが光る景色を見られるアイドルはごく一握り。
【与田】最初は楽しむ余裕なんてなかったです。もう立っているだけで精一杯みたいな。手も震えるし、足も震えるし、怖かったです。
― 少しずつ慣れて楽しめるようになった。
【与田】いまだに緊張はします。でもいつしか緊張を楽しめるようになってきました。緊張しているのは変わらないし、心臓の音がバクバクバクバクみたいな、そういうこともありますが、1周してこんなに緊張できるってすごいことだなと思えるようになって。その緊張感を自分の中で良い方向に持っていけるようになりました。緊張しなさすぎるのも良くないし、しすぎてガクガクなるのも良くない。程よく緊張しながらも、そのありがたみを感じることができるようになったんだと思います。
― 最後に卒業コンサートがあります。
【与田】たぶん卒コンも死ぬほど緊張すると思います。性格的に一生緊張はするんだろうな。でも緊張に含まれる感情が違います。昔は緊張に怖いとか不安とかがあって、今の緊張は楽しみとか良いステージにしたいとか、マイナスではなくプラスの気持ちが入りました。楽しさを見つけられるようになったのは成長なのかなって思います。
◆16歳→24歳。8年半で与田祐希が「変わった」こと
― 高校1年生のとき、乃木坂46に合格して福岡から上京。16歳から24歳、同世代が高校生から成人、そして社会人になるまでの期間、日本のトップアイドルグループに身を置いた。与田さん自身が「変わった」と思うのはどんなところか。
【与田】人が好きになりました。
― 昔は嫌いだった?
【与田】嫌いではなく、とても狭い世界で生きていたというか。友だちはすごく好き、でもその友だちは学校の同級生ばかり。人見知りだったので、そこから一歩外に踏み出そうとしないで、同じ人とずっと一緒にいるタイプでした。今は年下の子とも、同じくらいの年の人とも、年上の方とも、いろんな方とコミュニケーションを取りたい。誰かとなにかを作る、ライブもそうですし、作品、ドラマ、映画など、昔のままだったら性格もマイペースで集団行動も苦手でついていけなかったと思いますが、乃木坂46に入ってそういうことが心から楽しくなりました。
― 乃木坂46に入っていなければ、変わっていなかったかもしれない。
【与田】たぶん仕事はみんなでするものではなくて、一人で集中してできることをしていたと思います。
◆昔の口癖は「辞めちゃえ」。でも乃木坂46からは逃げなかった
― 加入当初、壁に向かって一人でダンスの練習をしていることも多かったですよね。
【与田】ダンスが本当に苦手で。乃木坂46のオーディションは、東京に行ってみたいから、という理由で受けました。だから歌もダンスもできないですし、人前で喋るのも緊張でままならない。学校でも発表とかしたことがなく、たくさんの人の前で意見を言うことができなかったので本当に苦労しました。加入してすぐに3期生だけでお見立て会をさせていただいたのですが、そのときも何回居残りしたことか、何回名指しで注意を受けたことか。一つ覚えたら一つ忘れてしまう自分が歯がゆくもありました。でも周りはどんどん先に進んでいく、完全に置いてけぼりでした。
― でもやるしかなかった。
【与田】はい、やるしかなかったです。辞められるものなら逃げ出したいと何度思ったことか。もう目的の東京にも来られたしなって。でも冷静になると、こんな奇跡はもう私の人生で2度と起きない、と思うんですよね。それにオーディションに合格したとき1度たくさん悩んでいて、途中で逃げるくらいなら最初に辞退する、でもやるなら5年は続けようと決めていて。だからつらくても5年は続けるって自分で決めたしなって思いながらやっていました。
― 人生で初めて「辞める」という選択肢をとらなかった。
【与田】初めてですね。それまでそんなことを決めたこともなかったですし、壁にぶち当たったらすぐに逃げていました。辞めちゃえっていうのが口癖でしたし(苦笑い)。でもそれがずっとコンプレックスだったのも確かなことでした。乃木坂46はお仕事になりますし、私にとっても初めてのお仕事。家族にも安心してもらいたかったし、自分にも安心したかったという気持ちがありました。
― 自分にも安心したかった、深い言葉ですね。
【与田】自分が不安で仕方なかったんです。これから社会で生きていけるのかと。だからここで頑張らなかったら、たぶん私は一生頑張れないかもしれない。そういう想いで食らいつきました。
―――――― インタビュー後編では、8年半の在籍期間を経て卒業を決意した彼女に、次のステップへと心が動いたきっかけや、夢を叶える秘訣について訪ねた。 ――――――
(modelpress編集部)
◆与田祐希(よだ・ゆうき)プロフィール
2000年5月5日生まれ、福岡県出身。O型。16年に3期生として乃木坂46に加入。翌年、18thシングル「逃げ水」で大園桃子とともにWセンターを務める。19年6月から「bis」、同年7月から「MAQUIA」のレギュラーモデルに。ドラマ「量産型リコ」(テレビ東京系/2022、23、24年放映)など女優としても活躍する。2月22日、23日のみずほPayPayドーム福岡での卒業コンサートをもって乃木坂46を卒業する。
◆与田祐希・3rd写真集「ヨーダ」(2月12日発売/光文社)
与田が「等身大の自分を見てほしい」と挑んだ今作は、ずっと行ってみたかったというオーストラリアがロケ地。動物たちと触れ合ったり、ジェットスキーをしたり、童心に返ったようなあどけない表情やドキッとするような大人っぽさの両方が収録される。また今回は3パターンのランジェリーショットにも挑戦。朝の寝起きや就寝前など、ナチュラルで美しい素顔の与田を垣間見ることができる。
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