ガンバ大阪・東口順昭、1試合も出場できなかった昨シーズン「『引退』という言葉が勝手に浮かんできた」

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2025年02月06日 10:21  webスポルティーバ

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ベテランプレーヤーの矜持
〜彼らが「現役」にこだわるワケ(2025年版)
第1回:東口順昭(ガンバ大阪)/前編

「ん? 俺、プロ何年目やった? もはやカウントできひんくなってきた(笑)」

 目の前に座った東口順昭に、今年で17年目に突入したキャリアについての話を聞かせてほしいと伝えた時の第一声だ。

「今年は30代最後の年やから、そのくらいは経つか。数字を言われないとなかなか自覚できひんけど」

 彼の言葉を受けて、質問しようとしたその時、偶然にも遠藤保仁コーチが取材場所の横を通りかかる。2023シーズンをもって、26年にもわたるキャリアに終止符を打った日本サッカー界を代表するレジェンドだ。遠藤と軽く言葉を交わし、その背中を見送った東口は、こちらに向き直ると語気を強めた。

「上には上がいたわ。アカン、アカン。17年なんて、生ぬるい! まだまだ行くよ。行けるところまで」

         ◆         ◆         ◆

 取材を行なったのは、沖縄キャンプも約半分の日程を消化しようとしていた1月23日。昨年の同時期は、右膝のリハビリのため、キャンプに参加することすらできなかった彼にとって、2年ぶりの沖縄キャンプだ。充実した時間を過ごしているという。

「自分のコンディションづくりもさることながら、チームが何をしようとしているのか、どんなリズムでトレーニングが進んでいくのか。新しく加入した選手の特徴は? みたいなところの理解を含めて、シーズンを戦っていくうえで"キャンプ"はめちゃめちゃ大事やな、と。この時期をチームと一緒に過ごせないと、心身両面でどこか乗っていけない気もしましたしね。だからこそ、みんなとキャンプを送れている今の時間をすごく大事に考えているし、自分自身も『ここから』という気持ちで過ごしています」

 今シーズンに描くのは、1年を通してケガをせずに戦い抜くこと。自分が加わることでどれだけのプラスアルファをチームにもたらせられるシーズンにできるか、というチャレンジと向き合うためにも、だ。

「ダニ(ダニエル・ポヤトス監督)のもとでの2シーズン目となった昨年は、僕自身は、リーグ戦に1度も出場できず、公式戦出場は天皇杯の1試合に終わったけど、チームとしてはJ1リーグで4位と近年では最も高い順位で終えたシーズンだったので。膝の状態もようやくスッキリした今は、チームの決まり事のなかでGKに求められる役割というのを理解しつつ、自分が加わることでチームに何を与えられるのかを試行錯誤をしながら、プレーで表現できるシーズンにしたいと思っています」

 その言葉にもあるとおり、昨年は1年の半分以上をリハビリに費やした。一昨年の12月に以前から痛めていた右膝の手術に踏みきり、リハビリスタートとなったなかで、3月半ばには一旦、チームに合流したものの、練習試合で右ふくらはぎを痛めて、再離脱。5月上旬には再びピッチに戻り、6月12日の天皇杯2回戦、福島ユナイテッドFC戦で初先発を飾ったが、さぁここからという矢先、今度は左膝を痛めてしまう。

「プロ1年目もリーグ戦に1試合も出場できずにシーズンを終えたし、2011年、2012年には大ケガも経験しましたけど、当時と30代後半での"試合に出られない"意味は全然違う。それもあって、かなり苦しんだというか。いろんなことを重く受け止めている自分もいました」

 なかでも、何度もメスを入れてきた右膝ではなく、これまで一度も痛めたことのなかった左膝を負傷した事実は、東口の心に暗い影を落とした。事実、チームを離脱した直後に顔を合わせた際は、言葉にはし難い焦燥感を漂わせていたのを思い出す。当時の葛藤について尋ねると、「さすがにもうアカンかなって思いもあった」と明かした。

「これまで無傷の左足だったんで。しっかり向き合わないとアカンと思いつつ、なかなか消化できなかったし、正直、先のことも考えました。口にしたくはないけど、『引退』という言葉が頭のなかに勝手に浮かんでいた時期もあります。そういう意味では左膝ということ以上に、自分と向き合っていることのほうが長かった気がする」

 そんな自分を奮い立たせて、戦列に戻ったのは10月の半ば。とはいえ、シーズンを通して安定したパフォーマンスを示してきた一森純のポジションを奪うまでには至らず、自身と向き合う時間はさらに続いた。

「ありがたいことに2014年にガンバに加入してからずっと、いい時も、悪い時も、ピッチに立って戦ってきたので。チームが上位争いを続けているという事実や、劇的に勝利を引き寄せるなど逞しく戦っている姿をうれしく感じながらも、心のどこかで試合に絡めない自分、チームから必要とされない自分、ということも考えました。もちろん、最年長選手としての振る舞いというか、この状況で自分が何をできるか、どんなふうにチームを助けられるかも考えながらでしたけど、シーズン終盤はずっと自分と戦っているような感覚もありました」

 これは、左膝の痛みが思うように払拭できなかったのもある。戦列に戻ってからも疲労が溜まってくると、痛みが出て自然とプレーに制限をかけてしまったり、違う箇所に筋肉の張りを感じるといった状況が続き、「無心にプレーすることがなかなかできなかった」と振り返る。

 それでも、選手である自分を諦めたくはなかった。

「正直、引退も考えたし、シーズン終盤はいろんなことが頭を巡っていました。ただ、そうした状況でもガンバからオファーをもらえたことで腹が決まったというか。正直、この年齢で1年間、ケガを繰り返してしまい、ほぼ稼働できなかったことを思えばスパンと切られてもおかしくなかったとは思います。

 でも、そんな状態でも必要としてもらえたことにチャレンジしない理由はないな、と。変な言い方ですけど、何より僕自身が、キャリアにおいて初めて直面している今の状況をどうやって乗り越えていくのかを見たいという思いもありました」

(つづく)◆東口順昭が10代のチームメイトに熱視線>>

東口順昭(ひがしぐち・まさあき)
1986年5月12日生まれ。大阪府出身。大学卒業後、2009年にアルビレックス新潟入り。2年目から出場機会を得る。2011年、日本代表に選出され、2014年にはジュニアユース時代に在籍していたガンバ大阪に移籍。以来、ケガに泣かされるシーズンもあったが、不動の守護神として活躍してきた。2018年ロシアW杯出場。国際Aマッチ出場8試合。

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