日本好きだったアニマル・レスリーは、引退後も帰国せずにタレント活動 松永浩美は「やめたあとのほうが充実感はあったみたい」

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2025年02月11日 07:30  webスポルティーバ

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松永浩美が語るアニマル・レスリー 後編

(前編:「記録より記憶に残る外国人選手」アニマル・レスリー 雄叫びのイメージも「一番優しかった」>>)

 松永浩美氏に聞く、阪急ブレーブスの抑えとしてプレーしたアニマル・レスリー氏のエピソード。その後編では、アニマル氏のパフォーマンスや現役引退後の活躍などを語ってもらった。

【勝ったあと、アニマルに近づくのを警戒していた】

――アニマルさんといえば、試合に勝利した直後にキャッチャーの藤田浩雅さんのマスクをグラブで殴る行動が儀式のようになっていましたね。松永さんはどう見ていましたか?

松永浩美(以下:松永) 藤田もぺぺ(アニマル氏の愛称)が自分のことを殴りにくることをわかっていましたからね。彼は殴られる直前に、むち打ちになったりするのを防ぐために首筋に力を入れるんです。

 私たち野手からすると、まず藤田に犠牲になってもらう感じ(笑)。そのあと、ぺぺがベンチに向かって歩き出すぐらいのタイミングを見計らって、「ナイスピッチング」などと言いながらグラブ同士でポンとたたき合うんです。危険は回避していました(笑)。

――野手はみんなアニマルさんを警戒していた?

松永 試合に勝った瞬間、野手はダーッとマウンド付近に駆け寄っていってハイタッチをしたりするじゃないですか。でも、ぺぺが最後に投げて勝った試合では、ほかのピッチャーの時と比べて出だしの一歩、二歩が遅かったです(笑)。自分も含めて、みんな警戒していたんでしょうね。

――けっこう激しく、グラブで藤田さんを殴っていたように見えました。

松永 先ほど(前編)でも話しましたが、殴ったときの音は大きかったのですが、実はあれって、あまり強くは叩いていないんです。たたいた瞬間にグラブを引くような動作をしていたので、衝撃は見た目ほどではなくて意外と痛くなかったはずですよ。気を遣っているんだな、と思っていました。

――試合に勝った時のパフォーマンスもいろいろありましたね。

松永 日本の文化が好きだったので、相撲の四股踏みをしたり、手刀をやってみたりしていましたね。両手を上げてロッキーみたいなポーズもしていました。

――松永さんはブーマー・ウェルズさんとも仲がよかったそうですが、アニマルさんとの交流も多かったですか?

松永 ぺぺが阪急に在籍していたのは2年ですが、在籍時はもちろん、彼が現役を引退した後も神戸などで会ったり、いろいろと交流は続いていましたよ。新幹線のホームで偶然会った時もあって、遠くから「マツさーん!」と呼びかけてきたりとかね。野球とプライベートの区別がしっかりしていましたし、いいヤツでしたよ。

【引退後、タレントとして活躍】

――パフォーマンス以外に印象的な出来事はありましたか?

松永 そういえば1回、プレーで驚いたことがありました。ぺぺは右投げなので、軸足は右足じゃないですか。ランナーがセカンドにいてセットポジションだったのですが、牽制をするときに右足を上げたんですよ(笑)。当然、セカンド塁審にボークと言われたのですが、「なんでボークなんだ!」と激高していました。

 私も、マウンドに行って「いまの完全にボークだぞ」と言いましたよ(笑)。彼は左足を上げたつもりだったのかもしれませんが、右足を上げたので「えっ!?」とびっくりしました。そのあとは、バッターに向かって投球するようなフォームでセカンドに牽制していましたし、気持ちが舞い上がっていたのか、頭が真っ白になってしまったんでしょう。ランナーがいない時は威勢がいいんですけど、ランナーが出たらすぐに慌てるタイプでしたね。

――現役引退後は「亜仁丸レスリー」という芸名のタレントとして、人気バラエティ番組『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』(TBS系)などにも出演していましたね。

松永 ぺぺは野球選手を引退してもアメリカに帰らず、「日本を拠点に活動がしたい」と言っていましたからね。メジャーだったら自分よりもいい選手っていっぱいいるじゃないですか。日本で広く名前が売れたので、それを生かしたいと思っていたみたいですよ。

――松永さんはアニマルさんのタレント活動を後押しした?

松永 引退後も日本に残りたいという話は聞いていたので、「テレビ番組などに出られるチャンスがあればいいね」という話はしていました。ビートたけしさんの番組に出られたこともそうですし、俳優としてアメリカの映画にも出演したり、結果的には大成功でした。野球をやめたあとのほうが、充実感はあったみたいですよ(笑)。

――阪急に在籍していたのは2年ですが、早く引退したことが結果的にはよかった?

松永 インパクトがあるパフォーマンスで有名になりましたし、2年目はバッターが球筋に慣れたこともあって打たれていましたから、スパっとやめたことは正解だったかもしれません。逆に現役にしがみついて3年も4年もやっていたら、タレントとしての値打ちが下がっていたかもしれませんしね。実際に、彼から引退することを告げられた時も、「なんでやめるの?」とは思いませんでしたから。

――アニマルさんは2013年に腎不全で亡くなられましたが、54歳と若かったですね。

松永 ぺぺと仲のいい方から訃報を聞いたのですが、早かったですよね。仲間内で「ぺぺは今度、いつ日本に来るのかな」という話をしていた時だったんです。

 ひと言で言うと、"風雲児"という感じの人間でしたね。ただ、周りを笑顔にする"楽しい風雲児"。決して人を嫌な気分にはしなかったですし、一緒に食事に行った時も、次にまた行くのが楽しみになる人間でした。雨の日には私の車にぺぺを乗せて、西宮球場から西宮第二球場まで行ったりもしていましたし、今でもいろいろなことを思い出しますね。

【プロフィール】

松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

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  • 必殺仕事人のスペシャルで、助っ人外国人仕事人役で出ていた。鉄球を投げて殺してオーバーアクションで叫ぶ、という…バレるって(´・ω・`; )������������ӻ�����
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