川崎憲次郎が振り返る2人の名将 「野村ミーティングは講演会」「落合監督はグラウンド外では饒舌だった」

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2025年02月11日 19:10  webスポルティーバ

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川崎憲次郎が語る2人の名将(前編)

 野村克也氏が2020年2月11日に亡くなり、5年が経った。野村氏に影響を受けた野球人は多く、ヤクルト時代にエースとして君臨した川崎憲次郎氏もそのひとりだ。また川崎氏は、中日移籍後は落合博満監督のもとでプレーするなど、ふたりの名将から薫陶を受けた数少ない選手のひとりだ。そんな川崎氏に野村監督、落合監督について語ってもらった。

【じつは饒舌だった落合監督】

── 中日監督時代の落合さんは、試合後のコメントがとても少なく、記者泣かせでした。

川崎 しゃべると言っても、コメントをひと言出すぐらいでしたね。落合監督はユニフォームを着てグラウンドに出ると、基本的にしゃべりません。試合後、選手への批判や悪口も決して言いませんでした。

 試合中、ダグアウトでも表情をほとんど変えませんでした。完全なポーカーフェイスで、喜怒哀楽を表に出しませんでした。表情に出すことで、選手に余計なプレッシャーをかけたくなかったんでしょう。とにかく自分の思いを悟られないようにしていたんだと思います。

── 実際は、試合中のイニング間にベンチ裏に行き、なにかを蹴飛ばして鬱憤を晴らしていたと、動画のなかで語っていました。

川崎 そんなこともあったのかもしれませんね。

── 普段もしゃべらないのですか。

川崎 いえ、それが信じられないかもしれないのですが、普段はとても饒舌です。球場の通路ですれ違いざまに気さくに話しかけられたり、キャンプ中のマッサージルームで現役時代の「右打ち本塁打の秘訣」に関して詳しく説明してくれたり......。いろんな話をしていただきました。

── 一方、ヤクルト時代の野村克也監督はよく話しました。選手に伝えたいことを、マスコミを通してやることも多かったです。

川崎 ノムさん(野村監督)の選手との接し方で「無視」「称賛」「非難」がとても有名です。発展途上の選手は褒めて育て、選手が成長すると勘違いしないように非難して高みを目指させる。選手間でも「無視される選手にはならないように、叱られているうちが華だよな」という話をしていました(笑)。

── 川崎さんは具体的にどんなふうに叱られたのですか。

川崎 私が入団2、3年目の頃(2年連続2ケタ勝利)は、インコースを狙うもコントロールミスが多くて、本塁打も四球も多かったんです。よくノムさんは「どういうつもりで投げているんだ」「どういう練習をしているんだ」と。神宮球場での試合前練習の時に打撃ゲージの後ろに立たされたまま、2時間ほど叱られたことがありました(笑)。

 ノムさんは感情的にはなりませんが、あれはお坊さんのありがたい説法と同じですね。とにかく長い......。一度捕まったら、最低でも30分。私はよくホームランを打たれたので、けっこうターゲットにされました。

── 基本、野村監督は話をするのが好きなのですね。

川崎 そうです。だから"野村ミーティング"は、講演会でしたね(笑)。

【野村ミーティングノートの中身】

── その"講演会"のなかで、印象的だったテーマを教えてください。

川崎 「野村ミーティングノート」は、今読み返してみても、とてもいいことが書いてあるんですよ。それを今さらながら、いや、今だからこそ実行している最中です。なかでも「奇跡を起こす3つのポイント」という話があったんです。

 まず1つ目が、初めてのことを何かやってみる。2つ目が、古いものにしがみつかない。そして3つ目が、知らない人に話しかけてみる。実は今、この3つ目を実践しているんです。現役時代はプロ野球選手としてのプライド、情報漏洩防止もあって、ファンや一般の方との接触を極力避けていた部分がありました。しかし今は、現役引退後に就任したロッテの投手コーチを退いてからも10年になります。

── 道行く知らない人に声をかけているのですか?

川崎 いえ、SNSですよ。「自分で何か変わらなきゃ」と思い、フェイスブックを始めて、コメントを返すようにしたのです。いつ花が咲くのかわかりませんが......。ノムさんはヤクルトの監督就任時に「1年目に種を蒔き、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせてみましょう」と言って、92年に優勝を成し遂げました。また「行動が変われば運命が変わる」とも言っていました。だから、SNSをやることで野球と関係のない業界の方と話をするとまったく違う知識が入ってくるし、とても新鮮です。

── 野村監督、落合監督に教わった技術的なところで、印象に残っているのはなんですか。

川崎 私は現役時代の落合監督と実際に対戦しています。その経験から「落合監督、現役時代になぜ左足をあれだけ開いて、右方向に本塁打を打てたのですか?」と聞いたんです。返ってきた答えは、「右打者は体を開かないと内角を打てない」と「右足で打球を押し込むため」の2つでした。とても興味深い回答でした。

── 野村監督からはどんなことを教わりましたか。

川崎 カウントには「0−0」から「3--2」まで12種類あります。そのなかで「投手有利」「打者有利」「五分五分」などがあるわけです。たとえば、初球がボールになれば投手は2ボールにしたくないからストライクを取りにくる確率が高くなり、しかも際どいところには投げてこないから打者は狙いやすくなる。

 逆に初球ストライクなら、打者は追い込まれたくないから2球目に手を出す確率は上がる。変化球にしても、カーブやフォークといった縦の変化球は振り幅が大きくなるので、ストライクを取るのが難しい。だから、困ったらスライダーという投手が多い。そういうことをインプットしていれば、打者の狙いがわかってくると。とにかくノムさんも落合さんもアドバイスが理路整然としていて、わかりやすかったですね。

つづく>>


川崎憲次郎(かわさき・けんじろう)/1971年1月8日、大分県生まれ。津久見高から88年ドラフト1位でヤクルトに入団。1年目から4勝を挙げ、2年目には12勝をマーク。プロ5年目の93年には10勝を挙げリーグ優勝に貢献。日本シリーズでもMVPに輝くなど、15年ぶり日本一の立役者となった。98年には最多勝、沢村賞のタイトルを受賞。01年にFAで中日に移籍するも、右肩痛のため3年間登板なし。移籍4年目は開幕投手に抜擢されるも成績を残せず、04年限りで現役を引退した。13、14年はロッテの投手コーチを務めた。現在は解説をはじめ、さまざまなジャンルで活躍している。

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