子どもの教育方針は家庭によって違ってくるものです。それは子どもとの接し方にもあらわれていて、「叱らない育児」「寄り添う育児」などと言われることも。でも、このような育児に関しては疑問を呈する声もあるようです。
『子どものことを否定しない、叱らない、共感してあげて寄り添ってあげて……。それはおかしくない? 本気で叱るのも大切じゃない? もしも子どもが悪いことの一線を越えようとしたときに親の顔が浮かんだとしたら、「こんなことしたらお父さんはものすごく怒るだろうな、お母さんは泣いて怒るだろうな、悲しむだろうな……」と、「こんなことをしてもお父さんもお母さんもわかってくれるよね。だっていつも私の味方だし謝れば許してくれるもん」と考えるのは、どちらが親の愛が伝わっているのだろう』
投稿者さんとしては、子どもが悪いことや人に迷惑をかけるようなことをしたときには、叱ることが大切という考えのようです。子どもの気持ちに寄り添うことも大切ですが、そればかりでは何をしても許されると勘違いをしてしまうのではないか。そう思ってしまう可能性もあるのでしょう。叱らない育児はとても大きなテーマですし、育児をしているママたちにとっても課題となることなのでしょうが、ほかのママたちはどう考えるのでしょうか。
叱らないと子どもに伝わらないこともある
『今まさに叱らない育児の迷惑を被っている。叱らない育児で育った彼女は悪いことも平気でするのに、やけに自己肯定感だけ強くて、クラス中に嫌われてもノーダメージ』
『叱ること、ダメなことはダメと教える躾をしないのは、ある意味育児放棄だと思うわ』
子どもが悪いことをしても親が叱らないような育児をした結果、子どもは何をしてもいいと思ってしまうことがあるのでしょう。学校でもほかの子に迷惑をかけたり、友達を傷つけたりしても、それ自体悪いことと気づかない場合があるようです。むしろ、自分がしていることは正しいと思ってしまうのかもしれませんね。結果的に、ほかの子たちに嫌われてしまうので、それはその子にとっても好ましくない状況でしょう。親が叱らないと、子どもも善悪の判断がつけにくくなってしまう場合も。子育てが物事の善悪の判断も含むのであれば、親は子育てを放棄したようなもの。そんな厳しい意見も寄せられました。
叱りたくなることが起きるのは当然のこと
『どんなことでも一旦共感してあげてと言われたことあるけれど、ダメなことをしたら共感どころじゃないわ。例えば、お友達が遊んでいるおもちゃを取り上げて泣かせてしまった場面で、「そのおもちゃで遊びたかったんだよねぇ」とワンクッション置く意味がわからない。私は泣かせてしまったお友達への配慮と遊んでいるおもちゃを取り上げてはいけないことを教えるのが先だと思う』
『育てた結果、叱ることがなかったのであれば、まだわかる。でも、未来に何が起こるかわからないのに、育てる前から叱らないと決めている育児は変だと思う』
子育てをしている以上、親が子どもを叱る場面は出てくるもの。例えば、ほかの子を泣かせてしまったり、他人を困らせたりするようなことをしたら、子どもを叱るのが先という考えもあります。子どもの気持ちに寄り添うことも大切なのでしょうが、相手のことを真っ先に考える場面はあるものです。子育てをするなかで叱ることがないような子どももいるでしょうが、最初に叱らないと決めてしまうと、本来叱る場面での対応が難しくなってくるのかもしれません。叱るかどうかの判断基準は親によって違うでしょうが、親が叱るような場面ができて、親自身も叱りたくなるのは当然のことなのかもしれません。
言葉が独り歩きしている。「叱る、寄り添う」ミックスの子育てでいいのでは?
『どうして、「叱る」「寄り添う」のどちらかになってしまうのか?』
『叱りつつ、寄り添うだと思う』
『どちらもほどほどにできないのかしらね。適度に寄り添って、適度に叱る。それだけでいいのに』
「叱らない育児」と聞くと、子どもを全く叱らないことがよいと思ってしまうこともあるのでしょう。いつでもガミガミ叱るのは好ましくないでしょうが、全く叱らないのも考えものという意見が多く見られました。子どもが悪いことをしたら叱るのは、なぜそれが悪いのか、相手の気持ちはどうなのかなどを理解してもらうことなのでしょう。子どもが悪いことをするに至った気持ちを考えることも大切ですが、それだけではまた同じことを繰り返してしまう恐れもあります。叱ることと、寄り添うこと、この2つは子育てにおいて必要なことなのでしょう。どちらかに偏るということではなく、場面によって親が判断していくことが求められるのかもしれません。
文・こもも 編集・みやび イラスト・神谷もち
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