《僕は漫画という星の海を旅しているのである》、自伝『遠く時の輪の接する処』を、そう締めくくっていた松本零士さん(享年85)。
大宇宙を舞台にした数々の名作を世に送り出した作家が逝去して、すでに2年となる。
同志ともいえる漫画家仲間との結婚、多くのアシスタントたちとの共同生活、伝説にもなった“風呂嫌い”……。人間味あふれるエピソードを家族が明かした――。
「父は、たくさんの原稿や宇宙に関する資料などを残しました。亡くなってから、ずっと母と私とでアトリエの整理もしていますが、あまりに量が多すぎて、はたから見たら、まったく片づいていないように見えるかもしれません」
そう語るのは、’23年2月13日に急性心不全により85歳で亡くなった漫画家・松本零士さんの長女で、漫画製作スタジオ・(株)零時社代表取締役の松本摩紀子さん。
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『銀河鉄道999』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』などの作品で、世界的なSF漫画ブームを巻き起こす立役者となった松本零士さん。逝去に際し、摩紀子さんが発表したコメントには、こうあった。
《松本零士が、星の海に旅立ちました。漫画家として物語を描き続けることに思いを馳せ駆け抜けた、幸せな人生だったと思います》
あれから2年の歳月が過ぎ、今月13日、松本零士さんの三回忌を迎えた。
「ようやく母のほうも締切りに追われる生活から解放され、ライフワークの日本画などを描いて穏やかな毎日を送っています」
松本さんの妻であり、摩紀子さんの母親が、少女漫画家の草分けでもある牧美也子さん(89)。『女性自身』の読者にとっては、’84年から連載された劇画『悪女聖書(バイブル)』でおなじみだろう。
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ともにカリスマ的人気を誇った夫妻は60年以上にわたり、東京都内の大泉学園の自宅2階にある同じ仕事場に机を並べ、ときに徹夜をしながら漫画を描き続けてきた。牧さんはこう言う。
「自宅と仕事場が一緒だったので、子供を仕事に巻き込まないよう気をつけ、できる限り普通の家庭を作ることを心がけました」
いっぽう、その娘である摩紀子さんは、
「基本的に、何事も私の選択を尊重してくれた父と母でした。ただ正直言って“松本零士の娘”であることがつらいと感じる時期も長くありました」
今回は、牧さんと摩紀子さんに、ともにロマンを追い続けてきた漫画家夫妻の道のりと、家庭での松本零士さんの素顔について語ってもらった。
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■運命の出会いは手塚治虫宅 牧さんは「なんて失礼なヤツだろう」
「松本の父、つまり私の祖父は陸軍将校でパイロットでしたから、戦後はいわゆる戦犯扱いで公職追放となり、家族を食べさせるために、野菜を売ったりしていました。7人きょうだいの次男だった松本も幼い弟や妹を食べさせるために、祖父と一緒に大変な苦労をしたと聞いています」(摩紀子さん)
’38年1月25日、福岡県久留米市に生まれた松本零士さん。小学1年生のころから漫画を描いており、県立小倉南高校1年在学中に描いた『蜜蜂の冒険』で商業誌デビューを果たす。
やがて東京の出版社から声がかかり、高校卒業後、学生服姿で現金700円だけを握りしめ夜行列車に飛び乗った。インタビューなどでも、「夜行列車の中、反対側の座席に美女がいるといった妄想をしていました」、そう語っているが、まさに『999』に登場する謎の美女・メーテルの原型を思わせる。
上京して目指したのは、連載が決まっていた光文社の『少女』編集部。そして、この編集部に出入りしていたのが、バレエ漫画『母恋ワルツ』でデビューし、早くも人気少女漫画家になっていた牧美也子さんだった。
牧さんは、神戸生まれの神戸育ち。高校卒業後の銀行勤めから漫画家に転身したという異色の経歴の持ち主でもあった。
「父親が本の問屋をやっていて、『店が忙しくなったので手伝ってくれ』と言われて、銀行を渋々と退職しました。
ただ、小さいころから絵も空想するのも好きだったので、親の店にある漫画の本を見て、自分でもやってみようと思ったんです。父親のツテで、出版社に作品を持ち込んだのがデビューのきっかけでした」(牧さん)
牧さんが上京後に入った下宿が東大正門前の玉泉館。一方の松本さんもほど近い丸ノ内線・本郷三丁目駅そばの山越館へ。ここで2人の出会いのキーパーソンとなったのが巨匠・手塚治虫。摩紀子さんが語る。
「両親が最初に出会ったのも、手塚先生の東京の仕事場でした。先に松本がお邪魔していて、手塚先生が玄関から『牧さんが来たよ』と声をかけると、わざわざ眼鏡をかけ直してきた父が、“どれどれ話題の女性漫画家はどんな顔してるんだ”といったふうに見てくるものだから、母は『なんて失礼なヤツだろう』と思ったとか(笑)」
牧さんも、当時のことをよく覚えている。
「松本含め、若い漫画家たちの下宿の賄いが朝食と夕食のみだったので、みんなで集まって本郷かいわいでお昼ごはんを食べてお茶を飲み、その後は三々五々に散っていき、またそれぞれに漫画を描くという生活パターンでした。そうそう。たしか、手塚先生のお宅で闇鍋もしましたね」
やがて交際期間5年を経て、’61年3月に結婚。夫23歳、妻25歳の春だった。
「結婚のお祝いの会の発起人も手塚先生。新婚旅行は、伊豆長岡だったそうです。聞けば、松本は婚姻届出制度を知らずに、あとになってあわてて役所に提出したとか。式を挙げれば自動的に籍が入ると思っていたそうです。
ずっと漫画に夢中だった父は、結婚記念日も覚えていないと思いますよ。きっと尋ねても『いつだったかなぁ』でおしまいだったでしょう」(摩紀子さん)
■お風呂に入ってよと言うと、「ライオンが風呂に入るか、歯を磨くか?」と
「両親の結婚は、いまでいう格差婚で、周囲から『夫婦の実績のバランスが悪いのでは』などといった声もあったようです。
しかし母は、『この人は漫画家としていいものを持っていて、いつか必ず誰もが認める作品を描くから』と、黙っていたそうです。結婚の決め手は、『一緒にいて楽しい人だったから』と、私に話してくれたことがありました。
父は父で『俺は大器晩成だから』と言っていたそうですが、とにかく人のことは気にしない“わが道をゆくタイプ”というのは、生涯を通じてそうでした」
新婚時代の松本さんは、当時の主流だった少女漫画を描きながらも、なかなか芽を出せずに苦闘していた。
大泉学園にマイホームを建てたのが、結婚の翌年。以降、その2階が2人の共通の仕事場となる。
「手前に松本、奥に牧の机があって、その真ん中にアシスタントさんたちの机が5台とコピー機が。もうギュウギュウという感じでしたね」(摩紀子さん)
やがて青少年向けの週刊漫画誌の隆盛とともに少年漫画を描くようになった松本さんは、’71年から『少年マガジン』に連載された『男おいどん』で初ヒットを飛ばす。
四畳半の下宿で金にも女性にも無縁ながら夢見る生活を送る主人公の大山昇太(のぼった)は、どこか松本さん本人を思わせるキャラクター。そういえば、この主人公同様に松本さんには「風呂嫌い」というファンの間の伝説もあるが……。
「それは本当ですが、どこまで話していいものか。あまりに世間の常識とはかけ離れていたので……まあ、母に相談したら『いいんじゃない』とのことでしたし(笑)。
年に一度、大みそかとか元日に入るのは毎年恒例でしたが、次はいつかというと、半年後ということもありました。父が『今日は風呂入るぞ』と言うと、もう大騒動。その日は父の入浴がメイン行事です。3時間かけて入浴し、シャンプーも1本使い切り、あとの掃除も大変で。
もちろん、ふだんから『お風呂に入ってよ』とは言います。すると『ライオンが風呂に入るか? 歯を磨くか?』なんて、父らしい返答があって、それきりでした」
松本さんからすれば、忙しくて入浴どころではなかったのかもしれない。’74年にアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の制作に関わるとともに漫画版を連載、’77年からは『ハーロック』と『銀河鉄道999』の連載がスタートし、のちにアニメ化。松本零士ブームが巻き起こった。
いっぽうの牧さんも初代リカちゃん人形のデザインを監修したり、レディースコミックでも一世をしたりで日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。
気がつけば徹夜作業も日常で、10人を超えるアシスタントを抱えるまでになっていた。
牧さんが、当時をふり返る。
「うちは、まるで、ちっちゃな町工場。私は漫画を描きながらみんなの食事の世話もするから、ときには寮のおばさんのようでした。
若い人たちが『おなかがすいた』と言うから、仕事の合間にスパゲティをゆでたら山のようになって。ゆでるとあんなに増えるとは思わなかったの……」
摩紀子さんも、幼いころは仕事場の床でままごと遊びをして育ったというが、こんな約束事があった。
「仕事中は両親に話しかけないということです。それに『原稿にさわっちゃダメだ』と厳しく言われていました。少しでもはしゃいでいると、昼間でも父から『マキ、早く寝ろ』って。それなのに、自分が興味のある火星や金星の話なんかになると、写真を見せながら、『よく見てみろ。昔ここに建物があった跡、生物がいた跡があるだろう』なんて、何時間も止まらないんですから」
さらに、仕事場全体を律する大きな決まり事があったという。
「夫婦とも執筆で忙しかったせいもありますが、互いに敬意を持ち、相手の作品や仕事に関しては干渉しないという暗黙の了解がありました」(牧さん)
記者が驚いたのは、ときには10人を超えるアシスタントが松本、牧両先生の仕事をしていたこと。のちに仕事を手伝うようになる摩紀子さんが証言する。
「常に、2人の原稿の作業が入り交じっていた状態でした。画風も、また締切りの優先度も違っていたはずですから。そこで一度もいざこざも起きずに仕事場がスムーズに動いていたのは、まさに奇跡だと思います。お互いの仕事には口を出さない。この確固とした両親の間のルールがよかったのでしょうね」
(取材・文:堀ノ内雅一)
【後編】松本零士さん三回忌「ブラックホールのその先の宇宙を見てみたい」愛娘に語っていた“逝去後の夢”へ続く
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