大前プジョルジョ健太TBSの社員時代に、深夜の街で暮らす人々をフィーチャーする番組『不夜城はなぜ回る』で現場に立ち向かう名物ディレクターとして注目を集めた大前プジョルジョ健太。
メディア業界で名誉とされる「ギャラクシー賞」を受賞し、TBSの未来を担うテレビマンと期待されていた彼だったが、昨年突如退社したことで周囲をざわつかせた。
そんな彼は現在、無職やアルバイト生活を経験し、危険な国境越えを試みる移民に密着するドキュメンタリー『国境デスロード』(ABEMA)を企画・総合演出し、取材まで務める番組で再び脚光を浴びている。
好奇心旺盛なイメージが強い彼が、テレビマンになった理由や退社に至るまでのエピソード、多額の借金事情、海外取材で感じた葛藤までを赤裸々に語ってくれた。
◆一目惚れがきっかけでテレビ局の就職を決意
――TBSの入社を志した理由は?
大前プジョルジョ健太(以下、大前):元々は海外で働く仕事をしたかったんです。でも、一目惚れした同じ大学の女子がアナウンサーを目指していて、その子と近づくために同じゼミに入ったことが最初のきっかけですかね(笑)。
そこは映像制作をするゼミで、自分も映像を作っていくうちに徐々にのめり込んでいってマスコミへの就職を意識し始めました。
――恋愛がきっかけなんですね(笑)。テレビ局に入りたいと思ったのは?
大前:学生時代にお笑いや音楽を披露したり、花火を打ち上げたりする出張寄席グループに所属していて、東日本大震災の復興で東北に行っていたんです。
そのとき、仮設住宅に住む方々がテレビの話を楽しそうにしていたのが印象的で……。多くの人々に一斉に届かせられるメディアは「やっぱりテレビだな」と確信したことも大きいです。
◆憧れのTBSに入社し報道を経験
――ちなみにTBSは第一志望だったんですか?
大前:はい。TBSにどうしても受かりたかったですね。
自由度の高い社風や報道に力を入れていることもありましたが、『万年B組ヒムケン先生』という個性的な若者を取り上げて彼らの本音に迫るという趣旨のバラエティー番組がすごく好きで、自分もこういう番組を作りたいと思っていたんです。
TBSは『学校へ行こう』もあったり、一般の方々をフィーチャーして密着するドキュメントタッチの番組が多い印象だったので、そういう番組を作るチャンスがある局だと思っていました。
――見事、難関倍率のTBSに入社されましたが、最初はどんな仕事をされていたんですか?
大前:最初の配属は報道部でした。でも、当時同棲していた彼女が「テレビの報道は間違っている!」という考えを持っていて、家でテレビを見にくかったり、パソコンの検索エンジンを制限したりしていて。
もちろん、報道がもたらすマスコミの役割も信じていましたが、そういったマイノリティーな考え方を持つ人が何もかも間違っているわけではないなと板挟みになって……。悩むうちに元々やってみたかったバラエティー部に異動させてもらいました。
◆趣味だった深夜徘徊から生まれた番組が話題に
――『不夜城はなぜ回る』を企画した経緯は?
大前:学生の頃から、フラッと深夜の街中を徘徊することが好きだったんです。あとは、深夜の日雇いバイトで出会う海外労働者との交流が強烈な思い出として残っていて……。
普段出会うことのない“夜の世界”に生きる人々に注目すれば、別角度から世の中を知ることができるはずと思って、企画を提案しました。
――自身が出演する形は最初から構想していたんですか?
大前:最初は違いました。ニュースでは現場のレポーターを映すことが多いですが、密着バラエティーではそういった演出はしないので。ただ「この番組は実際に取材したときのリアルを伝えるべきだ」と作家さんに言われて……。
だったら、取材先の空気感や感想を伝える役割として自分がレポーターで出演することが一番誠実だなと感じたんです。
珍しい番組と言われることも多いですが、取材する番組だと考えたら、いたって自然な形だと思っていますし、だからこそリアリティーを伝えられたのかなと思います。
――『不夜城は〜』は「ギャラクシー賞」を受賞しましたが、そのときの心境は?
大前:プロデューサーや作家の方々、出演していた東野幸治さんなどに神輿に担がせていただいて、そこに乗っていただけだと冷静に考えていました。
ただ、スタッフ一同が喜んでくれたり、取材相手の方々から「自分たちの生活を取り上げてくれてありがとう」と感謝の言葉をもらったりしたことは純粋にうれしかったです。
◆ドキュメントを撮るために退社を決意
――新進気鋭の若手ディレクターとして注目される中で、退職を決意された理由は?
大前:おかげさまで社内でも評価をいただいて、ドキュメンタリーを制作する部署の方から、「ドキュメンタリー映画を作ってみないか?」というお誘いをもらって、いくつか企画を出したんですけど、どれも自分の中では納得がいっていなくて……。
そんな時期に同世代の社員がちらほら退職をし始めていて、何でだろうと思っていたんです。そこで、自分が退職してみたらどうなるのかという実験的なドキュメンタリーを撮ることにしたんです。
――ドキュメンタリーを撮るためだったとは(笑)。社内からの反発はなかったんですか?
大前:ドキュメンタリー部署の方は面白がってくれたので、会社を辞めた先輩たちにインタビューを撮り始めていました。
でも、人事と面談をする際にボイスレコーダーで音声を録音していることがバレてしまいまして(笑)。何かを暴露しようとしているわけではなく、退職する会社員のリアルを撮りたかっただけなんですが、さすがにダメでした。
◆「不退転」と書いた紙と一緒に写真を撮って退職
――それでも退職されたのはどうしてですか?
大前:ドキュメンタリーを撮っていくうちに「会社を辞めて新しいことに挑戦したい」というマインドがすごく強くなっていたんです。20代後半の会社員が陥る「クォーターライフ・クライシス」と呼ばれる漠然とした不安を抱える時期も重なったのもありますね。
そこで実際に退職を申し出たら「5年以内に復職できる制度もあるから利用してみたら?」という前向きな返事をもらったので、退職を決めました。
――クビではなかったんですね。心が広い。
大前:普通だったら怒られて会社に戻るなんてできるはずがないですけど、本当にイイ会社ですよ。
その代わり、尊敬している上司のプロデューサーに「いつか戻ろう」みたいな甘ったるい考えを持っていてはダメだと言われて「不退転」と書いた紙と一緒に写真を撮らされました。
『不夜城は〜』についてSNSでエゴサーチして「まだ観ている人いないかな」とか過去にしがみついてしまうこともあったので、今でも写真を見返して初心を取り戻しています。
◆自分の中で最低ラインを決めれば「何をしても大丈夫」
――20代の若さでテレビ局員という肩書きを捨てる怖さはなかったんでしょうか。
大前:人よりも「なんとかなる」とは思っているタイプだとは思います。そういう性格は父親の影響が大きいかもしれませんね。
父は会社員を辞めて独学でパイロットの免許を取ったり、自称・発明家と名乗っていろんなモノを作ったりするハチャメチャなタイプの人間だったので(笑)。TBSを辞めるときも父親に「さすが俺の子供だな」って言われましたし。
――完全なるDNAですね(笑)。では、まったく生活に不安は感じていないですか?
大前:いや、不安だらけですよ。新卒1年目で忙しかったときに、細かいことは分からないまま新築ワンルームの投資を2つ契約してしまって、売ることもできずにその借金が7000万円近くありますから。毎月必死に返済しています。
――7000万?TBSを辞めた後に次の仕事のアテがあったんですか?
大前:なかったです。だからハローワークに行ったり肉体労働のバイトをしたりして、お金を貯めていました。
「貯金が200万を切ったらヤバい」という自分の中で最低ラインを決めていたので、その状況になるまでは「人間、何をしても大丈夫だろう」と割り切っていました。
でもショックだったのは、日雇いバイトをしているときにふと「つい最近までTBSにいたのに……」と思ってしまうときがあって。初めて「自分はプライドを捨て切れていないんだ」と気づいたんです。このままでは何をしてもうまくいかないと反省して、決意を新たにできました。
――無鉄砲なイメージがあったので、意外でした。
大前:後先考えずに突っ走っていると思ってくださる方も多いですが、ちゃんと情けないし、人間としてダサい部分もありますよ。
◆ABEMAで『国境デスロード』がスタート
――TBS退社後、世界各国にある国境を命がけで越える人々に密着するドキュメントバラエティー番組『国境デスロード』がABEMAでスタートしましたが、その経緯は?
大前:まず、南米に行ったことがなかったので行ってみたいとは思っていました。それと母親がインドネシア人で過去に国境超えをした背景があったので、南米の国境を走るタクシー運転手になって、そこで暮らす人々の人生をドキュメントするという企画を考えました。
それをABEMAの知り合いに提案しましたが「危険すぎる」と止められて、どうしたら企画として成立するんだろうと悩んでいましたね。
――企画が頓挫しかけたときに、どうブラッシュアップしていったんですか?
大前:元・テレビ東京でABEMAにいる高橋弘樹さんに企画の骨組みは面白がっていただいて、高橋さんから「視聴者のことを考えたほうがよい」とか「配信で見てもらえるものにしたら?」といったアドバイスをもらいました。
それを受けて、『不夜城は〜』でやっていたような自身がレポーターになって体当たり取材するスタイルを意識することや、国境超えに成功できるかできないかを分からない形にするとか改善を繰り返し、ようやくオンエアできることになりました。
◆現地通訳から「お前に何がわかるんだ?」と言われた経験
――実際にロケをしてみて感じたことは?
大前:命がけで国境越えをする人々に密着する番組ではあるのですが、すべてが危険な場所ではないし、その中でも力強く生きている人たちがたくさんいるんですよ。だから、危険ということを煽りすぎないように意識しています。
――何かトラブルに巻き込まれたりしたことは?
大前:危険に出くわすことや驚くような経験もしていますが、一番印象に残っているのは現地の通訳と喧嘩したことですね。
自分なりにリアルを共有したいと思って、現地の人々と一緒にゴミ捨て場に入って食糧調達をしたことがあったんです。その後、日本から移民してきた通訳に「お前がたかが数時間だけ移民の真似事をするだけで何が分かるんだ?」というようなことを言われて……。
「じゃあどうしたらいいんだよ」と絶望して口論になり、最終的には殴り合いになってしまいました。
そのとき、通訳に言われた「お金を稼ぎたい、視聴数を稼ぎたいならそれでいい。でも、簡単に“ありのままを描きたい”と口にするのは見せかけでしかない」という言葉はずっと心に残っています。今もその葛藤は持っていますね。
◆優秀なディレクターになって「戻ってこい」と言われたい
――現状、TBSに戻るつもりはありますか?
大前:もちろんあります。あれだけ自由なことをやらせてくれる良い会社はないと思います。ただ簡単に戻ることができるわけではないので、優秀なディレクターになって「戻って来いよ」と言ってもらえる存在になってからだとは思います。
――今、やってみたいことは何かありますか?
大前:映像の仕事も続けていきたいですが、ラジオや書籍など、メディア問わずいろんなことにチャレンジしたいです。
でも、ベースにロケや取材があるといいなとは思っています。やはり、現地に行ってそこで暮らす人と会うことが好きですし、一番大事なことだと感じているので。
――将来的な目標があれば教えてください。
大前:南米で仕事をしてそこで暮らす人々や文化をもっともっと知りたいです。ロケに行ってみて、南米に住んでいる方々が本当に力強いなと感じて、自分の中のキャパシティーが広がったんです。人として成長できたので、その恩返しをできればと思っています。
【大前プジョルジョ健太】
大阪府生まれ。法政大学卒業後にTBSへ入社。報道局経済部から『ラヴィット!』『サンデー・ジャポン』などの情報バラエティー番組を経て、入社5年目に自身が立案した『不夜城はなぜ回る』を担当し「ギャラクシー賞」を受賞し話題を呼ぶ。その後TBSを退社し、フリーターを経て現在は『国境デスロード』(ABEMA)の企画・総合演出に携わるなど、精力的に活動している。
<取材・文/瀬戸大希、撮影/星亘>