1995年の全日本GT選手権第5戦スポーツランドSUGOを戦ったFEDEX 300ZX-LM。影山正美がドライブした。モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1994〜1995年の全日本GT選手権GT1クラスを戦った『ニッサン・フェアレディZ(Z32型)』です。
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現在、スーパーGT GT500クラスを戦うニッサンのベースマシンとして選ばれているニッサンのフラッグシップスペシャリティクーペ『フェアレディZ』。
ニッサンのGT500マシンといえば、ニッサン・スカイラインGT-RやGT-Rがよく知られるところであるが、2004年から2007年に戦ったZ33型など、フェアレディZもGT-R不在の間を埋めるかたちでニッサンのGT500参戦史を彩ってきた。
そんなフェアレディZが初めてGT500クラスに登場したのは、遡ること31年前の1994年。全日本GT選手権がシリーズとして本格的にスタートした年のことだった。なお、GT500クラスに当たる当時のクラス名はGT1。そして、スカイラインGT-Rも同時に参戦していた。
このとき、ベースとなったフェアレディZは、1989年に市販車が登場したZ32型で、それをレーシングカーに仕立てたのはチーム・ルマンだった。チーム・ルマンは、のちにトヨタ・スープラやレクサスRC FなどをJGTCからスーパーGTで走らせたトヨタ系ユーザーとして知られるレーシングチームである。そのチーム・ルマンのJGTC参戦史のはじまりは、実はニッサン車だったのだ。
チーム・ルマンは、シャシーおよび空力設計の面でニッサンテクニカルセンターの協力を仰ぎながら、マシンの実製作を担当。さらに搭載したV型6気筒ツインターボのVG30DETT型エンジンのチューニングおよびメンテナンスをオーテックジャパンに託すという体制で車両の開発を進めた。
こうして誕生したJGTC仕様のフェアレディZは、富士スピードウェイで開催された1994年のシリーズ開幕戦で登場。このレースではリタイアに終わったが、エアロの改良やリヤのダンパーとスプリングユニットを車内に移設するなどといったサスペンション系のモディファイなどをラウンドごとに進めていき、ポテンシャルを徐々にアップしていった。
それでも上位ランカーたちの壁を打ち破るには至らず。3度のポイント獲得、最上位は7位という結果でこのシーズンを終えた。
参戦2年目を迎えた1995年。この年もチーム・ルマン製のフェアレディZは、JGTCへの参戦を続けたものの、鈴鹿サーキットでの開幕戦で12位。以降、エンジントラブルなどで完走もままならぬ状況に陥っていた。
そこで、第5戦スポーツランドSUGOにて行なわれたこの一戦にて、チーム・ルマンは起死回生の一手を打つ。
デビュー以来搭載してきた3.0リッターV6ツインターボのVG30DETT型エンジンを捨てることを決断。同年ニッサンのBNR32型スカイラインGT-Rを走らせていたJUNオートメカニックがチューニングした2.3リッター直列4気筒ターボのSR20DET型エンジンへの換装を図った。
このエンジン換装で100kg近い車体の軽量化に成功し、確かに速さは増していた。しかし、それが結果には繋がらず、最終戦まで完走することも叶わなかった。
こうしてチーム・ルマン独自製作のフェアレディZによるJGTC参戦は、1995年をもって幕を閉じる。そして、翌1996年から同じフェアレディZながら、チーム・ルマンはそれまでとはまったく異なるニューカーをアメリカから導入することを決めるのである。
[オートスポーツweb 2025年02月25日]