映画『ファーストキス 1ST KISS』シナリオブックから見る、坂元裕二作品の「手紙」の重要性

0

2025年03月06日 14:00  リアルサウンド

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

『ファーストキス 1ST KISS』(KADOKAWA)

 現在、大ヒットしている塚原あゆ子監督の映画『ファーストキス 1ST KISS』(以下、『ファーストキス』)は、45歳の硯カンナ(松たか子)が、駅で赤ん坊を助けようとして電車事故で亡くなった夫の駈(松村北斗)の運命を変えるために、過去にタイムスリップして29歳の夫と再び出会い直す物語だ。


 脚本を担当しているのは坂元裕二。『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)、『カルテット』(TBS系)、『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)といった話題のテレビドラマを多数手掛けてきた坂元は、近年は活躍の場を映画にも広げており、2021年に大ヒットした『花束みたいな恋をした』や、2023年に第76回カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した『怪物』といった話題作を次々と生み出し、国内外で評価されている。


◾️過去作とは一線を画したテンポ感


 今回の『ファーストキス』は坂元が得意としている夫婦のラブストーリーだが、これまでにない要素としてタイムスリップというSF的なアイデアが盛り込まれている。


 その結果、坂元作品としては王道でありながらも新境地という不思議な味わいの映画となっている。特にシーンが次々と切り替わっていく序盤はこれまでにないテンポの良さで、脚本ではどうなっているのか映画を観ながら、とても気になっていた。


 そのため、映画を観終わってすぐにシナリオブック『ファーストキス 1ST KISS』(KADOKAWA)を購入し、一気に読んだのだが、やはり序盤は、これまでの坂元裕二作品のシナリオとは違う書かれ方だと感じた。


 『ファーストキス』の序盤は、説明的な台詞がほとんどない状態で物事があれよあれよと進んでいく。夫が事故で亡くなったこと、カンナが舞台美術のデザインの仕事をしていること、首都高をジープで走っている時に過去にタイムスリップしてしまったこと、夫との結婚生活は破綻しており、事故の日に離婚届けを出そうとしていたこと等の物語の前提となっている状況設定が、最小限の台詞と映像で提示されていく。


 シナリオでは場面が切り替わると「2 硯家の部屋(2024年12月24日、朝)」といった感じで、シーンの番号とその空間や時間が書かれるのだが、シーンとシーンの間隔が過去作と比べてとても短い。この切り替わりの速さを、映像に落とし込むとあのテンポ感となるのかとシナリオブックを読んで感じた。


 また、序盤は登場人物の台詞が少なく、カンナがボソッとつぶやく独り言が多い。会話劇は助手の世木杏里(森七菜)とのやりとりぐらいで、これもあまり長くない。


 テレビドラマを書いている時の坂元の脚本は、会話劇の連続で成り立っており、登場人物が饒舌だ。しかもそこで語られる台詞は意味があるようでないものばかりで、大事なのは会話の中身ではなく、話している相手との関係性や話者の考え方を見せるために延々と喋らせているという印象だ。


 だから坂元作品には長台詞の応酬が多いのだが、今回の『ファーストキス』の序盤はカンナが一人で行動する場面が多いことを差し引いても台詞のやりとりが少なく、台詞も短く簡潔なものが多い。


◾️重要な「手紙」の存在


 その意味でも挑戦的な脚本だと序盤は感じるのだが、後半に入り、カンナと過去の駈が丁々発止のやりとりを展開するようになると連続ドラマ『最高の離婚』(フジテレビ系)等で描かれたあるあるネタを散りばめた男女の緊張感のある会話劇へと変わり、いつもの坂元節が全開となっていく。


 そして終盤になるとついに手紙が登場する。手紙の朗読は坂元作品においては歌のサビみたいなもので、書き手の気持ちが全開になり、物語上のカタルシスが生まれる。坂元作品には手紙が繰り返し登場するのだが、作品によって相手に届く手紙もあれば、相手に届かない、もしくは本人が出さない手紙も多く、届かない時は書き手の相手に対する気持ちが宙吊りにされる。


 坂元が会話劇を重視するのは他者との対話を通してお互いを理解する姿を描こうとしているからだ。しかし同じくらい彼は、絶対にわかり合うことができない他者を、恋人や猟奇殺人犯といった存在を通して描こうとしており、他者を理解しようと歩み寄った果てに生まれる苦い断絶を描くことによって、逆説的に他者の存在を記述しようとする。その意味で「届かない手紙」とは、他者との断絶を描いてきた坂元作品をもっとも象徴するアイテムだが、近作の手紙は「届くこと」の方が多いように感じる。


 この手紙というモチーフの変遷が、作家としての心境の変化なのか、物語上のテクニックの問題に過ぎないのかは、とても気になるところである。


 最後にシナリオブックのあとがきは、カンナを演じた松たか子と坂元裕二が執筆しているのだが、松は坂元について、坂元は松について書いているため、続けて読むと往復書簡のような面白さがある。


 あとがきによると、二人は数回しか合ったことがないそうだが、脚本家の書いたキャラクターを役者が演じ、台詞を発するという行為自体が「手紙のやりとり」に近いものなのかもしれない。


(文=成馬零一)



    ニュース設定