
「保険制度の破綻をまねく要因」が、キムリアなどの高額薬の使用と取れる発言だったためです。高額薬で命をつないでいる患者団体からも、心ない発言だと非難する声があがっています。
高額療養費の自己負担額上限引き上げ案の是非も、しっかりとした議論が必要ですが、今回は高額薬として名指しされた「キムリア」について、まず解説したいと思います。
初めて聞いた方は、「そもそもキムリアとは何に効く薬なのか」「なぜそこまで高いの?」「本当に保険制度を圧迫しているの?」といった疑問があることでしょう。それらの疑問について、分かりやすく解説します。
キムリアとは……白血病やリンパ腫の治療に使われる特殊な薬(遺伝子治療法)
「キムリア」(一般名:チサゲンレクルユーセル)は、白血病やリンパ腫の治療に用いられます。「薬」と言うと、錠剤や粉末を飲むというイメージがあると思いますが、「キムリア」は、薬と呼ぶべきか迷うくらい、全くの別物です。
|
|
まず、白血病やリンパ腫の方全てが、この治療を受けられるわけではありません。対象になるのは、既存の治療法では十分な効果が得られなかった患者、また、大人なら受けられる標準的な治療を受けられない白血病の小児患者です。
医師から患者やご家族への説明や検査を通して、キムリアを使った治療が有効そうかどうかが十分に検討されます。また、キムリアが使えるのは、あらかじめ決められた特定の病院だけに限られています。
非常に重大な病気に対する薬で、使用するまでにも効果が見込まれるのかがしっかり考えられるため、実際に使用に至る対象者は、かなり限定される薬なのです。
キムリアが実際に使われるまでの流れと効果
キムリアによる治療を行うと決まったら、入院し、成分採血の一種である「白血球アフェレーシス」を実施して、白血球を採取します。
|
|
アフェレーシスにより得られた患者の白血球は「-120℃以下」で凍結保存され、キムリアを製造できる専門工場へと輸送されます。工場では、患者のTリンパ球ががん細胞を攻撃できるよう、遺伝子操作が施されます。少し難しいですが、その原理も説明しておきましょう。
白血病やリンパ腫のがん細胞上には「CD19」という特有のタンパク質があります。このCD19を認識して結合できる「キメラ抗原受容体(CAR)」というタンパク質の遺伝子を、患者のTリンパ球に導入して改変すれば、患者のTリンパ球の表面にCARが備わります。
このCARが、がん細胞のCD19と結合することで、効率よくTリンパ球ががん細胞を攻撃し、消滅させることが期待できるのです。ただし、がん細胞も何とか攻撃に負けないように抵抗する手段をもっていますので、この治療では、それも抑えられるような仕掛けを施しています。
こうして加工された患者のTリンパ球を専用バッグに充填(じゅうてん)したものが「キムリア」です。つまり、ある患者が使う「キムリア」は、その人のためだけに製造された特注品(まさにオーダーメイド)なのです。
|
|
「キムリア」の投与に先立ち、多くの場合、「リンパ球除去化学療法」というものが行われます。せっかく製造したキムリア(CAR-T細胞)を投与しても、うまく働いてくれないと無駄になってしまうからです。そのため、投与の2日前までに複数の抗がん剤を投与してリンパ球を減少させ、CAR-T細胞の生着と増殖を助けるのです。
これらの長い過程を経て、いよいよキムリアが投与されます。投与直前に解凍し、適した細胞量になるよう計算した上で、CAR-T細胞を含む溶液が単回静脈内投与されます。ここまで終われば、あとは経過観察です。
問題なくいけば、治療は1回限りで終わりです。その1回で、およそ3260万円(2025年2月現在)かかるというわけです。保険適用が認められているので、患者さん本人が支払うのは高額療養費上限までの一部負担で、残りの額は公的医療保険で支払われることになります。
「キムリアは高額」か? 費用対効果で考えるべき薬価
確かに金額の「数字」だけをみれば、「非常に高額」という印象をもつ方が多いでしょう。しかし、上述の内容を知った上で、改めて考えてみてください。キムリアは「再生医療」の1つで、医薬品分類上も「再生医療等製品」という扱いです。改変されて移植されたT細胞がうまく生着すれば、がん細胞を攻撃し続けてくれます。要するに、がんを発症しない別人になるようなものです。繰り返し薬を投与し続けなければならない治療法とは、別次元の治療法なのです。
一般的な多くの薬と比較して、「キムリア」がそれなりの価格になるのは、無理がないことだと思わないでしょうか?
一言で「薬」と言っても、日常的な不調を軽減する程度のマイルドな効果のものから、難しい病気を根本的に治し、人の命を救うような劇的な効果があるものまで、さまざまです。今回ご紹介したキムリアは一例ですが、これまでの多くの薬とは全く違う、非常に革新的な治療法を提供するものです。
しかも1回限りで、大切な命が確実に救われるのであれば、むしろ「安い」のではないかと筆者は感じます。薬や治療法の価値は「費用対効果」で考えるべきです。
阿部 和穂プロフィール
薬学博士・大学薬学部教授。東京大学薬学部卒業後、同大学院薬学系研究科修士課程修了。東京大学薬学部助手、米国ソーク研究所博士研究員等を経て、現在は武蔵野大学薬学部教授として教鞭をとる。専門である脳科学・医薬分野に関し、新聞・雑誌への寄稿、生涯学習講座や市民大学での講演などを通じ、幅広く情報発信を行っている。(文:阿部 和穂(脳科学者・医薬研究者))