【インタビュー】92歳仲代達矢が能登、反戦、母を語る「被災地に芝居小屋の明かりがともる」

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2025年03月13日 05:01  日刊スポーツ

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日刊スポーツ

舞台「肝っ玉おっ母と子供たち」に主演する仲代達矢(撮影・鈴木みどり)

仲代達矢(92)が主宰する無名塾の舞台「肝っ玉おっ母と子供たち」(5月30〜6月22日、石川県七尾市・能登演劇堂)が、能登半島地震復興公演として上演される。24年元日の地震で延期されていたが、上演に向け準備が進み、稽古も進んでいる。仲代がこのほど、都内で、日刊スポーツなどの取材に応じ、能登や反戦、母親について語った。


無名塾稽古場での読み合わせ。仲代の声がよく響く。女役で歌もある、声を出しっぱなしで2時間以上稽古し、そのままインタビューへ。仲代は「役者としてせりふは言いますが、仲代達矢としてしゃべるのは下手で…」と笑みを見せた。


当初「肝っ玉−」は昨年10月開幕予定だったが、震災で劇場舞台装置や周辺が被害を受け延期となった。今回は復興公演として上演される。


「能登は私の第2の故郷です。一時はもうやれないかなと思っていたんですが、被災地にこの芝居小屋の明かりがともると思うと、本当にうれしいです」


40年以上前の家族旅行に始まり、無名塾の合宿、能登演劇堂の立ち上げ、毎年のように行う公演と、能登との縁は濃い。地震発生後すぐに劇場にファクスでメッセージを寄せ、その後も毎日のように電話をして状況を聞いていたという。


「何かできるといいなと思っていました。やっぱり芝居は人の心を和ませたり、笑わせたり、泣かせたり、いろんな感動を与えてくれるものです。能登の皆さんの生きる励ましにもなると思います」


「肝っ玉−」は軍隊に付き従い商売する肝っ玉おっ母ことアンナが、子供たちを戦争で失いながらも軍隊から離れられない、たくましくもかなしい姿を描く。物語に、経験した空襲や世界で続く戦争を重ね、能登にも思いを寄せる。


「戦争で生き延びる一家ですが、ある種の反戦劇です。今も世界で人間同士が戦い、能登では人と人ではなく災害との戦いもあるわけです。その助けになるだろうと、この芝居をやりたいと思っています」


劇作家、演出家で妻の故宮崎恭子(ペンネーム隆巴=りゅう・ともえ)さんの演出で88年に初演され、17年に再演された。


「女房に『おっ母やってくれないか』と言われた時は驚きましたが、稽古している間、これは俺の知っている中にいるぞと思ったら、母親の愛子でした。父を早く亡くし戦争中に苦労して私たちを育ててくれた立派な母です。男以上に男勝りなところがありまして、よし愛子でいこうと考え、今も続いています」


母の影響は大きい。ドラマなどに積極的に出演した時期を振り返る。


「たまたま舞台中心だった時、母親が泣きながら私のところに来まして、『テレビ出てくれよ』と。近所の人に最近売れてないと言われたみたいです。よーし、と思ってテレビ出はじめました」


愛子さんは初演の「肝っ玉−」も観劇したという。感想を聞くのを逃げていたそうだが、私ってあんなかい、と言っていたと聞いたという。能登、反戦、母…さまざまな思いを込めた上演となる。


92歳。「1本1本が勝負。これが最後になるかも」と言いつつ「引退とは申し上げておりません」と、その先への意欲も見せた。【小林千穂】


○…トレーニングと発声練習は、毎日欠かさない。1日45分はウオーキング、ランニングをしながら声を出すそうで「一声、二振り、三姿」と、役者にとって大事なことを挙げた。同席した無名塾の山本雅子、進藤健太郎、川村進は「努力の人」と口をそろえる。また、お酒も楽しみの1つ。仲代は「人間幸せに生きなきゃと思うと、一杯欲しくなるんです。最初にビール1缶。もうちょい飲みたいっていうんでもう1缶。終えようかなと思うけど、おかずにお刺し身なんか出ますと、日本酒。最後に、眠れるようにウイスキー」。驚きの声を上げると「このくらいでは酔わないですね。幸せな気分になります」と笑みを見せた。

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