バス停の名前は廃止から20年経った今も「競馬場通り」(c)netkeiba 昨年の秋、全国リーディングを快走していた森泰斗騎手が電撃引退を表明。今月6日には“Mr.PINK”こと内田利雄騎手が今月31日で現役を退くことが発表された。地方競馬を長年支えた2人には、初騎乗が宇都宮競馬場という共通点がある。同競馬場は売上不振により05年3月14日が最終日で廃止され、きょうで節目の20年。名手の功績にも思いを馳せながら、今はなき「うつのみや競馬」を振り返りたい。
平成初めに全国30場をうたわれた地方競馬場は、この30年ほどで半数まで数を減らした。北関東にも00年代前半まで高崎、足利、宇都宮の3場が存在。廃止直前には「北関東Hot競馬」と銘打って協力体制をとり、売上が減りゆく中でも開催を続けていた。だが、九州の中津競馬場に端を発した存廃問題により、03年に足利が消え、04年末に高崎が廃止。宇都宮も年明け3月14日をもって56年の歴史にピリオドを打った。
コストカットで賞金額を年々減らしていったが、所属馬のレベルは晩年まで高かった。代表馬のブライアンズロマンは通算43勝を挙げ、98年に上山のさくらんぼ記念を制覇。ベラミロードは00年東京盃、01年TCK女王盃を勝ち全国区で活躍した。ほかにも、トチノミネフジやダイコウガルダン、スルガスペインなど、90年代の地方競馬を彩った名馬の多くが宇都宮から羽ばたいている。
廃止20年を前にして、跡地を訪れた。「宇都宮」といっても、市街地からは5、6kmは離れた場所。東武宇都宮駅から3駅進んだ西川田駅より、さらに歩くこと15分前後はかかる。近隣の壬生町への移転計画も存在したが、最後までその地で開催は続けられた。
跡地は現在、栃木県総合運動公園となり、馬場があった場所は「カンセキスタジアムとちぎ」という陸上競技場に生まれ変わった。サッカーの明治安田J3リーグ所属・栃木SCがホームスタジアムとして使用している。スタジアム外周はコース跡を色濃く残し、ジョギング&ウォーキングコースとして整備。訪れた当日は心地良い陽気とあって、地元住民が汗を流す姿があった。
周辺で跡地とわかる遺構を探していると、帰りに乗り込んだバス路線に“手がかり”はあった。その名も「競馬場通り」バス停。廃止から20年が経ったいまも、宇都宮に競馬があったことを伝えていた。