琉球ゴールデンキングスが"泥臭さ"と"団結力"で築き続ける比類なき実績 沖縄スポーツ界の象徴・岸本隆一が語る天皇杯初制覇の意味

0

2025年03月17日 18:10  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

 第100回の記念大会となったバスケットボール天皇杯決勝でアルバルク東京を60対49で下し、沖縄勢として初めて頂点に立った琉球ゴールデンキングス。Bリーグとこの天皇杯では2021-22シーズンのBリーグファイナルから今回の天皇杯まで6連続で決勝の舞台を踏む実績は比類なきすばらしいものだ。だが、琉球が圧倒的な強さを誇っているかと言ったら決してそうではない印象を受ける。

 その強さや魅力はどこにあるのか。Bリーグ誕生前から琉球ひと筋でプレーしてきた岸本隆一の言葉を拾いながら、あらためて考えてみる。

【「明日は明日でまったく違う日になる」】

 プロ入りから喜びも苦しみも味わってきた男にとって、ブザーが鳴るまでは試合の幕は閉じないということか。

 試合時間は残り46秒。中央付近から切り込んだ岸本隆一がテーブス海の頭越しに放ったふわりとしたレイアップは、バックボードに柔らかく当たって吸い込まれるようにリングの中に落ちた。

 得点が2点加点されたことで、点差は9。勝利を決定づけるシュートが入ったにもかかわらず、岸本の表情に大きな変化は見られなかった。試合の終わるブザーが鳴っても、チームメートたちの多くが両手を上げたり、満面の笑顔をたたえるなかで、彼は相好を大きく崩すことはなかった。

「うれしいです」

 試合後の記者会見。優勝の感想を聞かれた岸本が発した言葉は、これだけだった。短かったが、そこにはさまざまな思いが混在しているように感じられた。実際、そう言う彼の顔には終了のブザーの直後にはなかったほがらかな笑顔が広がっていた。

 沖縄・名護市出身で琉球では、Bリーグの前身であるbjリーグ時代からプレーをしてきた。その実績から"ミスターキングス"と呼ばれる。紛うことなきチームの、もっと言えば沖縄スポーツ界の象徴的存在だ。

 Bリーグにおいて「そのチームの顔は誰か?」と聞かれた時、「全会一致」で名前が出てくるような選手はまだ多くはないかもしれない。が、岸本はそうした数少ない例かもしれない。そのことはプロスポーツ選手としてこのうえない愉楽であるに違いない。

 と同時に、岸本の肩にのしかかる重圧や負担は、いかなるものか。岸本は琉球ひと筋でプレーする顔であるだけでなく、先発ポイントガードを担うチームの心臓である。琉球を抑えるために相手チームが岸本に対して徹底的にマークを厚くしてくることは、何ら不思議なことではない。天皇杯決勝戦のアルバルク東京にしても、岸本がボールを持てば人数をかけてディフェンスを厳しくしていた。

 天皇杯から遡ること1週間。琉球はマカオで、東アジアスーパーリーグ(EASL)の4強が優勝を争う「ファイナル4」を戦った。琉球はここでひとつの勝利を挙げることなく4位に終わった。敗因の要因のひとつとなったのは、相手が岸本への対策を徹底したことにあった。結果、岸本は準決勝と3位決定戦の2試合で平均7.5得点のみで、得意の3Pは23本中4本の成功(成功率17.4%)に終ってしまった。

 同大会が終って数日後、Bリーグの公式戦に戻った琉球は延長の末、島根スサノオマジックに敗れ、マカオで負った傷に塩を塗られる形となった。チームが苦しんでいることは、明らかだった。桶谷大ヘッドコーチが「チームが崩壊してもおかしくなかった」と話したほどだから、危機的状況にあったとしていい。

 しかし天皇杯決勝前日に行なわれた会見での岸本の表情や口調には、晴れやかとは言わないものの、重苦しい雰囲気はなかった。

「直近の試合の結果を見れば、もちろんよいとは言えないんですけど、悲壮感みたいなものはまったくなくて。むしろ自分のなかではもっと悪い状況を想像してというか......今シーズンに限らず今までの自分のキャリアのなかではもっと追い込まれたことは何度もあるので。そういう意味では切り替えられているかなという感じですかね。

 明日は明日でまったく違う日になるっていう気持ちでいますし、(試合をしたうえで)結果がついてくると思うので、一生懸命がんばりたいと思います」

 岸本の出身の名護は沖縄本島北部の自然豊かな「やんばる」地域にあり、この一帯の人々は一般的にポジティブでバイタリティがあると言われる。EASLからの連敗があっても「切り替えられている」「明日は明日で......」と楽観的に話したのは、あるいは、やんばる出身の彼の楽観さによるものなのだろうか。取材の際などには言葉を選びながら丁寧に受け答えをする彼を見ているだけに、気になるところだ。

【"強いが、強くない"強さ】

 そんな「岸本の」琉球が頂点に立ち、天皇杯を手にした。琉球はBリーグでは3年連続ファイナル進出中で2022-23シーズンには初めてのBリーグ制覇を遂げ、天皇杯には今回で3年連続での決勝進出を果たした。このチームがリーグの強豪中の強豪であることに疑いの余地はない。

 しかし一方で、その6度の決勝戦で優勝を完遂できたのは、今回で2度目にすぎない。通常のレギュラーシーズンの戦いぶりも含めて、憎たらしいほどに相手を圧倒するようなチームではなく、どちらかといえばリバウンドやルーズボールを取りきるところから得点機を広げるといった泥臭い戦いぶりをする。そこにこのチームの魅力があるのだろう。

「ほっとしていますよ。はははは」

 強いが、強くない。天皇杯制覇後に感想を求められた桶谷HCが高らかに笑ったことが、そのことをどこか指し示していた。

 連敗から「切り替えられた」という岸本の言葉が本音かどうかは測りかねるところがあったが、桶谷氏の「ほっとしています」に疑いをかける必要はない。

 再び、天皇杯決勝の前週のEASL。3位決定戦で琉球は元NBAのジェレミー・リン率いるニュータイペイキングスに対して最終盤で逆転負けを喫した。試合後の記者会見には敗戦チームのHCと選手1名が登壇することとなっていた。しかし、琉球からは小野寺祥太のみが来て、先に取材対応をした。

 桶谷HCは、勝利したニュータイペイの会見が終ってからやってきた。その頃にはもう、広島ドラゴンフライズと桃園パウイアンパイロッツとの決勝戦が開始していた。3位決定戦が終わって1時間近くは経っていたかと思われる。

 その間に何があったのかは、わからない。桶谷HCは敗戦が天皇杯決勝戦などその後の試合にもつながると前を向く発言をした。だが、続けて言葉を紡ぐなかで、こう漏らしもしていた。

「このチームに関しては成長をしていく段階にいるなっていうところで、まあこの......苦いですよね。僕も試合が終ってから立ち直れないくらい......でも、それを受け入れていかないといけないなっていうふうに思っています」

 思えば、琉球は苦しみと栄冠を交互に味わってきたようなチームだ。換言すれば、一般社会にある多くの者と同様、いつもいい風が吹いているわけではないということを体現するような軍団なのである。

 昨年の天皇杯決勝では、千葉ジェッツを相手に48点差という悲劇的な大敗を喫した。シーズンの戦績から言えば優勝候補の筆頭だったはずのEASLファイナル4でも、先述のとおり連敗した。

 中立地開催の天皇杯決勝戦は奇しくも、アルバルク東京の普段のホームである代々木第一体育館で行なわれた。EASLからの連敗もあり、琉球に分が悪いように思うのが普通だった。 

 しかし会場のおおよそ半分は琉球ファンで埋め尽くされ、脆さのあるチームを大きな声援があと押しした。青臭い物言いかもしれないが、そのことが「ホームの」東京を機能不全にしたからこその勝利だったとも言えた。

 ファンの多くが遠く沖縄から来ていたに違いない。琉球の選手たちがマカオではやや萎えてしまっていたように見えた勇壮さを、「団結の力」のスローガンの入った白いTシャツを着たファンたちから取り戻してもらっていた。

「みんながゴールにアタックしていましたし、それがスコアにもなっていました。それがいい連鎖を生んでディフェンスのインテンシティ(強度)も上がっていきました。なんか自分たちは本当にこうやって勝ってきたなあっていうのをすごく表現できていました」

 岸本がこのように語ったことは、その証左としていいだろう。

【「たまにはいいことあるな」に見る岸本像】

 100回目の記念すべき大会で、琉球は天皇杯を初めて沖縄にもたらすこととなった。日本の男子トップリーグがふたつに分裂していたBリーグ以前、bjリーグのチームには天皇杯に参加することすらできない時期があった。また、沖縄という場所が日本史のなかで特別かつ複雑な背景を持つ場所だということもある。琉球が賜杯をこの地に持ち帰ることで、ほかのチームが勝ち取るのとはまた違う意義と感慨を人々は感じたかもしれない。

「天皇杯というのは、沖縄の人にとっても思い入れのある大会だと思うので」

 岸本はそう言った。

「昔から強い思いをもって積み重ねてきた人たちがいて、今日という日を迎えられたと思うので、いろんな人が報われるような、そんな大会になったと思います」

 琉球にとって天皇杯制覇の余韻に浸る時間は、瞬間的なものでしかないだろう。息つく暇もなくBリーグのシーズンが再開し、4年連続のファイナル進出と2年ぶりの優勝を狙う作業に本腰を入れなければならないからだ。

 その作業は、おそらく容易ならざるものとなりそうである。

「1クォーターから4クォーターの終盤まで、正直、あまり気持ちの変化はなくて。そもそもクロスゲーム(接戦)になって、お互い削り合いのなかでちょっとした隙が勝敗を分けるという認識で戦っていたので、その時間帯に関しても自分のなかで大きなターニングポイントだという意識はなかったかなと思います」

 天皇杯決勝の最終局面で、琉球は少し点差を離したかと思いきや、東京が連続得点で琉球ファンを少し緊張させるような点差に戻した。その時の心境について問われた岸本は、大きな感情の抑揚を見せることなく答えた。

 必要以上に悲観もしないが、無駄に楽観もしない、粛々と仕事をやり続けるのが岸本という選手の真髄か。彼の言葉を聞くと、勝利を決定的にするレイアップを決めても、勝利のブザーがなっても大きく表情を緩めることがなかったのにも、合点がいく。

「たまにはいいことあるな」

 天皇杯制覇について岸本は、こうも語っている。

 身長176cmの彼が10cm以上背の高いテーブス海越しに決めた勝利を決定づけるレイアップは、何度見返しても難しそうだった。

 それは、「たまにはいいこと」という彼の言葉を象徴するような1本であったようにも思えた。

    ランキングスポーツ

    前日のランキングへ

    ニュース設定