1998年の全日本GT選手権第3戦仙台ハイランドを戦った綜警 PORSCHE。山田洋二と岡田秀樹がステアリングを握った。 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1998年の全日本GT選手権 GT500クラスを戦った『綜警 PORSCHE』です。
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1994年に全日本GT選手権(JGTC)が本格的にスタートして以降、GT2〜GT300クラスのみならず、GT1〜GT500クラスにおいても外国車で戦うプライベーターの味方であったポルシェ911。
ポルシェ911は、JGTCのシリーズ初年度である1994年にまず964型がエントリーを開始し、翌1995年からはチーム・タイサンをはじめとする数チームが993型の911 GT2を投入した。すると、GT500クラスと呼称を変えた1996年以降、993型がポルシェユーザーのメイン機種となっていった。
シリーズが年次を重ねるにつれ、ニッサン・スカイラインGT-R、トヨタ・スープラ、そして1997年から参戦のホンダNSXという国産自動車メーカー肝入りのGT500マシンたちが力をつけてくると、ポルシェのみならず外国車を使うプライベーターたちは劣勢となっていく。
そんな状況もあり、1998年にはGT500クラスにシリーズを通して参戦するポルシェが一台のみに減少してしまった。
その一台というのが、チーム・テイクワンが走らせた『綜警 PORSCHE』だ。
テイクワンは、1995年から993型の911 GT2をGT1/GT500クラスに投入すると、それから勝利こそ手にすることができなかったものの、チーム独自のモディファイを加えつつ、国産車勢に対抗し続けていた。
しかしながら、前述の通り、1997年に本格的に空力を突き詰めたGT500マシンであるホンダNSXが登場するなど、国産車勢の進化幅は大きかった。
そのようなライバルたちと戦うには厳しい状況であったものの、テイクワンは諦めず、1998年に向けてポルシェに大改造を施した。
テイクワンのポルシェを手掛けていたノバ・エンジニアリングは、シーケンシャルミッションを新たに採用したほか、サスペンションのジオメトリーを大幅に変更し、ロールセンターを下げ、ロール量をさらに減らした。加えて、トラクションをさらに求めて、リヤウイングをさらに大型化するなどエアロにも手を加えて、1997年仕様よりもポテンシャルの高いマシンに仕上げた。
だが、そのモディファイも上位進出には繋がらなかった。1998年シーズンは第3戦仙台ハイランドでの8位、第5戦ツインリンクもてぎでの9位という2度の入賞が精一杯だった。
辛酸を嘗めさせられたテイクワンは、翌1999年から新たな外国車のウェポン、マクラーレンF1 GTRをGT500クラスに投入するのである。
[オートスポーツweb 2025年04月02日]